著者のセンソージ・ロックこと荒島晃宏さんが浅草の名画座で映写技師(兼いろいろ係)として働き始めたのは2004年からということだったので思ったよりずっと最近であった。その経緯も先物取引に失敗して借金を抱え、そのうえ勤務先であった自由が丘武蔵野館が閉館して流れ着いたというのだから、これにはなにやら感慨深いものがある。本の感想からは逸れるのだがその理由は俺にとって重要なことなので開き直ってのっけから脱線してしまおう。
俺が浅草の名画座に通い始めたのはおそらく2007年ごろからだった。高校中退後、家賃3万のエアコンも風呂もトイレもない(共同の和式はさすがにある)木造クソボロアパートで一人暮らしを始めて映写担当バイトとしてシネコンに採用されるも、今にして思えばのうつ症状で定刻通りに出勤できず、1週間ぐらいで辞職的解雇。失意のままとりあえず映画に関わる何かをしたいと今度はレンタルビデオ屋でバイトを始め(これは長く続いた)、封切館で新作を観る金はないので休日になるとチャリで浅草の名画座に行くようになった。高校中退したての若造にしては渋いチョイスに思われるかもしれないが、当時はまだ雑誌のぴあがあったので、それを見ながらなんか面白いのやってないかなと探すと浅草に目が留まるわけである。
寄席の浅草演芸ホールやビートたけしが修練時代を送ったことでも知られるストリップ劇場・浅草ロック座などが軒を連ねる浅草六区には2007年当時映画館が5館あって、その詳細は本の中に書かれているのでそちらを読んでもらいたいが、俺がほぼ毎週行ってたのは浅草中映。ここは洋画の主にアクション二本立ての番組編成で、本の中にもあるようにセガールとか、あとヴァンダムとか、そしてなぜか浅草中映では人気作だったというタンクトップの金髪おねーさんのポスターが印象的な(ジジィどもにエロ映画だと勘違いされたんだろうか)『エル・コロナド 秘境の神殿』とかよくやってた。2012年に中映を含む浅草5館はすべて閉館するわけだが、その後は新橋文化が似たような番組編成だったのでそっちに通うことになる(しかしこちらも2014年に閉館となってしまったのだった…)
2007年といえばレンタルビデオは既にレンタルDVDへとほぼ移行していたし、映画館も在来館がどんどん潰れるか大手シネコンに吸収されていった時期。そんな中で浅草中映はいかにもな昔の映画館で良かったな。でかいスクリーンと二階席のある広々構造、ロビーには灰皿があって二本立ての幕間にはタバコを吸えた。料金はいくらだったか、1000円とかだっただろうか。新橋文化はチラシに付いてる割引券を使って二本立て900円だったのでたぶんそのへん。新橋文化より100円高いがスタンプカードがあって10回観れば1回無料。幕間のBGMが『荒野の七人』のテーマ曲というのも「映画館に来てるな~」という感じで、近頃平成レトロなどと言ったりするが、浅草中映はその頃の俺にとって昭和レトロであったのだ。
基本は浅草中映でアクションを観てたので他の4館はそれほど多く足を運んでないが、それでも脳に強く焼き付いているのは地下にあった浅草名画座である。東映の任侠・ヤクザ映画を中心とした邦画三本立て900円は一本あたりの単価がレンタルビデオよりも安くビデオ屋店員びっくり、その底値なので客が真面目に映画を観るわけなんかなく、大抵の客は寝てるかメシ食ってるか他の客と揉めて軽く口論していた。再開発がまだ本格化していなかった頃の浅草六区であるから昼間っから場外馬券場(浅草名画座の目の前にあった)前の路上に競馬新聞と赤ペンと酒を握りしめた家があるのかないのかわからないオッサンたちが座り込んでガハガハやって、その人たちなんかが暇つぶしで浅草名画座に入ったり出たりしてたらしい。
本の中では著者の勤務先の浅草新劇場の方が「魔窟」として描写されているが、俺の体感でいえば浅草名画座の方が魔窟というかスラム感が半端なかった。なにせ浅草名画座ときたら客がメシ食った後のゴミを場内のそこらへんに捨てていくので、あるときなどスクリーン前に捨てられた弁当のゴミを漁りに上映中ネズミちゃんたちがタッタッタッと舞台袖から走ってきて、映像を遮りながらご飯を食べていたほどである。でもそんなの誰も気にしない。それが浅草名画座であった。あとトイレが臭い(これは浅草新劇場も同じ)
本の中で多く紙幅の割かれている浅草新劇場は俺は2回ぐらいしか行ったことがないのだが、それは本に書かれているようにハッテン場だったためではなく、ここは東宝とか松竹の人間ドラマなんかがメインの三本立てを組んでいたので、中映の洋画アクション二本立てや名画座の東映ヤクザ三本立てに比べると、まだヤングな年頃だった俺には魅力が感じられなかったため。ヤングなのでハッテン場のルールなど知らずいつも中映でしているように普通に二階席で三國連太郎と佐藤浩市が親子共演した実写版の『美味しんぼ』を観ていたらなにやらチャプチャプいう音とジジィの喘ぎ声が聞こえてくる。ハッテン場になっている映画館の二階席というのは素人同士のハッテンではなくプロ(※女装の男娼の人)を買って『真夜中のカーボーイ』行為をする場だと知るのはそれから随分経ってからのことであった。
しかしそのときは後ろのオッサンが「うるせぇ外でやれ! こっちは映画観てんだ!」と怒鳴りつけてプロと客をロビーに追い出してしまい、そりゃまぁたしかに映画館だからそうなのだがちょっと可哀相であった。幕間にロビーに出ると客なのか知り合いなのか知らないが別のオッサンがプロに「ほいよ」と缶コーヒーを渡している光景が目に入り、なにやら下町人情を感じたり。既にモノをしゃぶらせてもらったお礼のチップ的なものなのか、これからしゃぶらせてもらうための挨拶代わりなのかもしれないが(ここは勘違いされやすいところなのかもしれないので念のため記しておくが、ハッテン場でプロの人を買う、もしくは簡易ハッテン希望の場合、客はしゃぶってもらうのではなく、相手のモノをしゃぶるのが基本である)
残りの二つ、浅草世界館と浅草シネマは成人映画館なので、たしか浅草世界館に一度行ったぐらいで、浅草シネマの方は結局行かずじまいだったと思う。一度しか行っていないわりに浅草世界館は結構思い出深い映画館である。何の映画だったかは覚えていないがともかく何らかのエロ映画を観ていると太ももにモゾッと動く何かを感じる。見ればそれは隣に座ったジジィの手であった。そしてジジィの方に目を向けるとジジィパンツ下ろしてチンチン丸出し。これがハッテンの誘いか! 一瞬ギョッとしたものの黙って少し離れた席に移動するとそれ以上の追撃はなかったので、なるほど、嫌と思えば態度で示せばわかってもらえる、これがハッテン場の作法なのだなと俺は浅草世界館で学んだものである。あとハッテン場では容姿とかコミュ力とか関係なくとりあえず若い男であればそれだけでモテモテというのも学んだので、モテたくて仕方がない若い男の人はハッテン場に行くといいかもしれません(自己責任でおねがいします)
さて、先に挙げたビートたけしも大学を中退してブラブラしているうちにロック座に辿り着いたというし、荒島さんも借金を抱えて行き場を探していたところで浅草逢着、そして俺もとりあえずビデオ屋バイトという職はあったものの高校中退したばっかだし将来のことなんかは何もわからない中で浅草中映を見つけたのだから、再開発が本格化する前の浅草というのは、大なり小なり人生に挫折した人たちが棲みつく、ある種のセーフティネットであったのかもしれない。
今の六区にホームレスの居場所などないだろうが、俺が浅草に通い始めた2007年ごろにはちょうど浅草新劇場の真裏にあたる人通りの無い狭い路地に「不幸な星の下に生まれました」と書かれた段ボールを横に置いて乞食活動をしているホームレスの老婆がいた。屋根とお金のないところで暮らすのは大変なのでその人はきっと全然幸せではなかっただろう。けれども、そうだとしてもとりあえず受け入れてはくれる場所、どんな人でもとりあえずはそこに居ていい場所、それが再開発前の浅草で、浅草の映画館だったんじゃないだろうか。
ということでようやく本の感想っぽいことが書けるが、この『されど魔窟の映画館 浅草最後の映写』は浅草が持たざる人々の居場所だった最後の時代を、映写技師兼いろいろ係の立場から記録したもの。だいたい同じくらいの時期に浅草に観客として通っていた俺なので読んでいて懐かしい気分になる。チラシに書かれた浅名アニキとセンソージ・ロックの作品紹介、読んでた(あと鈴虫みたいなペンネームの人もいなかっただろうか)。新劇場のトイレは一番臭かったねぇ。先輩映写技師がフィルムを繋ぐときに足で踏みつけてコマに直接番号を書いてたとかまた別の先輩映写技師が「スタンダードの映画をビスタサイズで(トリミングして)上映できたら一人前」と豪語するとかの内部事情はさすがに客の俺は知らなかったが、それでも浅草らしいなというか、まぁどうせちゃんと観てる客もいねぇしな俺含めて、と知った感じで笑ってしまう(荒島さんは浅草のバンカラ映写技師たちと違って映画に真面目なので尚更おかしい)
まぁ荒島さんとしては何度辞めようと思ったことかとか書いてるぐらいだし決して良い思い出だらけの場所ということはないだろうが、無責任な客の立場から、それもほとんど晩年の浅草5館しか知らない客の立場からすれば、浅草は楽しかった。楽しいというよりも、ビートたけしが浅草修練時代を回顧した自伝『浅草キッド』に書いたように、居心地が良かったのかもしれない。今では映画館に弁当なんか持ち込んだりすると怒られたりしてしまうが、弁当どころか何を持ち込んでも浅草じゃあ別に誰も気にしない。場内で光の出る機器の使用はご遠慮下さいが今や映画館のスタンダードだが、そもそも浅草ではスクリーンの両サイドに非常口のマークと「禁煙」の赤ランプが上映中でも常時点灯しているので、客の側でちょっとやそっとケータイを光らせようがそんなもんはどうでもいい。今や外でもタバコを吸うことができなかったりするぐらいだが、浅草ではロビーに出れば吸えたし、成人映画館の方では客席で吸ってる人もたまにいたと思う。ようするに、浅草の映画館はすごくゆるかったんである。
それが必ずしも良いこととは思わないし、今のちゃんとしたシネコンとこの当時の浅草の映画館のどっちが映画を集中して観られるかといったら、それはもう圧倒的に今のシネコンに決まっている。タバコだって健康のためには吸わない方が良いし俺も10年くらい前にやめた。あとトイレが汚くて臭くて個室は和式しかない、これも浅草の映画館の相当なマイナスポイントである。スタンダード作品をビスタ上映するのもその作品を真面目に楽しみにしてたお客さんからすれば金返せってなもんだろうし、ハッテン場…はもちろんそうじゃない方が良いに決まっているだろう(少なくとも映画を観たいお客さんからすれば)
だから浅草というのは決して「良い」映画館ではなかったのだが、それでもこの本を読みながらあの頃の浅草を頭に思い浮かべると、そこには抗いがたい魅力がやっぱりあるんである。ノスタルジーとかそんな単純なものでもないように俺は思う。東大生でもホームレスでもハッテン目的でも誰が来たってまぁ迷惑行為さえしなけりゃ排除しない、一番安い浅草名画座では1本あたり300円で映画を観せてくれて、当然入れ替え制じゃないから一日中そこに居たっていい。また同じようなことを書いてしまうのだが浅草の映画館は人間の居場所だった。たとえサイテーな人間でもちゃんと人間として扱ってくれる落ちこぼれの避難所のようなものだった。
今そんな機能を持った映画館が日本と言わず世界にどれだけあるだろうと思うと、浅草中映の隣にあったきったねぇ中華料理屋で頼んだラーメンに小さなGが入っていたことを会計時に店のババァに言ったら不機嫌そうに「あ、そうですか」と一言だけ返されたことを思い出しつつ、ちょっとしんみりとしてしまうんである。