《推定睡眠時間:1分》
『ベルサイユのばら』マンガもテレビアニメも宝塚版もオール見たことないからこれが完全ベルばら初体験なのだが観る前からブルスカで原作ファンたちによる原作のアレやコレを省きすぎだという声は目にしていて中にはオスカルの父親の狂気がカットされたので無毒化されてしまったみたいなのもあったから映画館で観ながらこれで無毒化とか言われるんならお前らが食ってきたベルばら猛毒じゃろ毒耐性をつけるために各種の毒物を浴びせられてきた幼少期のキルアかよとか思ってしまった。これで毒が無いとか薄味とか感じられるとしたらそれは舌がどうかしているからそれは。激動の昭和を生き抜いてきた歴戦のベルばらファンのみなさんからしたら薄味かもしれませんがこれは現代基準では既に次郎系だから。やっぱりベルばらファンの人は『極道の妻たち』とか五社英雄作品好きなんでしょうか。
というメロドラマでベルばら童貞の俺からしましたら14歳のマリー・アントワネットがフランス王室に嫁いでくる冒頭のギラッギラのギャンギャンに過剰装飾の施されたある意味歌舞伎町センスととても近い感じの目が痛い麻薬的画面の時点でその圧に押されているが目の中にコスモが広がっている可憐な乙女マリーの戸惑いとわくわくの同居するステキな王宮生活が描かれていくのかなと思ったのも束の間マリーと近衛兵長オスカル(男装の麗人)との忠義でも憧れでもほんのわずかな恋心でもあるような関係性がサクッとミュージックビデオ風に処理されたのちマリーの夫であるところのルイ16世はガチ超空気と化してマリー速攻スウェーデンの眉目秀麗貴族に惚れて一方でオスカルも眉目秀麗貴族に惹かれてこれまで男として育てられてきたがお忍びでドレスを着込んで女装し舞踏会で眉目秀麗男子と接触とこれもまたミュージックビデオで処理され身分違いの恋、(その当時は)禁じられた同性愛、不倫(未満)、略奪愛(未遂)、更にはオスカルの下男アンドレのオスカルへの片思いなどが容赦なく押し寄せてくる。大事なシーンをミュージックビデオ演出で省略してるダイジェストだから薄味だ、と言われても。逆にダイジェストだからこそ農具を手にパリへと進軍する蜂起農村女性たちの如く観客の心臓にベルばらが迫ってくるとも言える。
その後も登場人物が3分に1回泣きながら難病、心中(未遂)、軍人信仰、浮気バレ、子供の真の父親は怪文書、口に葉っぱ咥えた昭和の二枚目、暴力、セックス、そして革命と18世紀ベルサイユに咲き誇ったバラたちの生と性はマジ超空気のルイ16世を除いてあまりにも濃密。マリーとスウェーデンの眉目秀麗との不倫セックスの場面などすごい。直接的な描写こそないもののおそらくマリーが絶頂に達したと思われるその瞬間、二人が同衾しているベルサイユ宮殿の寝室の窓からバラの花弁の旋風が立ち上りパリの空をピンクに染めるのである。近年はセックスレスの時代、若者がセックスをしなくなったなどと言われるが、ベルばらは昭和の獰猛な肉食女子に向けられたマンガであろうから、もうセックスというものが人間の本性であり人間の生きる目的であるのだぐらいな勢いでセックスの気持ちよさが表現されるわけである。おそるべきマンガであるし、この映画である(こんなにセックスの絶頂感が出てる映画なんか今もうピンク映画でも無いと思う)
たしかに原作ファンの人たちが不満を口にするように重要シーンをミュージックビデオ演出で表現する手法は、まぁ楽曲や映像自体は煌びやかで楽しいが、ストーリーテリングの面ではあまり有効に機能しているとは言えない。財政悪化により日に日にパリ市民が困窮していくのを見てオスカルは「なんということだ…これは…アントワネット様に伝えなければ…」とか言うがその後とくにその件で展開はなくしばらく経ってまた「なんということだ…これはアントワネット様に…」と同じような台詞を繰り返すのではよ進言しろやギロチン送りにされるぞお前んとこの王妃と思うわけだが、たぶんこのへんなんか原作ではオスカルもマリーの贅沢三昧を改めるよう言ってたりなんかする回があったものの映画版では尺の都合上カットされたのでオスカルがアホに見えるとかかもしれないし、前半はマリーが主人公だが後半はオスカルが主人公になるので最初の方はちゃんとしてたマリーが後半かなり急に「下劣なる民衆ども!」とかのたまう悪女豹変っぷりも、原作の方ではもう少しマリーの心情変化が描かれていたんじゃないかと推測する。要は2時間の映画にするためのストーリーの再構成があまり上手くいっているようには見えないわけである。とはいえ歴戦の固定ファンありきの映画化だから大胆な改変もできないだろうし、そこらへんは難しいところだったんだろう。
どちらかといえばこれはどうかと思ったのが戦闘シーンでのアクション演出の平板さだった。アクション主体の映画ではないことはわかるがそれにしても味気なく紙芝居っぽい。動乱の18世紀パリを描くのならばやはりここはもう少し力を入れて迫力ある演出にしてほしかったところだ。作画自体は良いというか、池田理代子のあの絵が基本そのまま動くわけだから、良いとか悪いとかあんまりそういう話でもない。この絵の良さがわからぬならそれはお前が悪いと画面越しに詰められている気分になってくるので、もはや受け入れるしかない。この強制的に胸ぐらを掴まれてノセられてしまうところがきっとベルばらの不朽の名作たる所以なのだろう。今もう俺もわっしゃわしゃのドレス着たいですからね。
ちなみに『ベニスに死す』の絶世の美少年役で知られるビョルン・アンドレセンはこの人のドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』に出演した池田理代子によればオスカルのモデルになったらしい。オスカル絡みの話で言えばかつて日仏合作で製作された実写映画版『ベルサイユのばら』でオスカルを演じたのはカトリオーナ・マッコールという人だが、この人はイタリアンホラーの巨匠ルチオ・フルチの『地獄の門』でウジ虫の雨を浴びたり『ビヨンド』で汚水溜めの腐乱死体に襲われたり『墓地裏の家』でゾンビ博士に引きずられて階段にガコンガコン頭ぶつけて死んだりしていたので、ベルばらと聞くと俺の頭にはフルチの情熱的な残酷描写が頭に浮かんでしまう。まぁ、どうでもいいことなのですが…。
※パロディ広告で見たことある「がびーん!」ってなるところがギャグじゃなかったのびっくりした。
原作では、マリーとフェルゼンはほとんどラストまでプラトニックだったことになってます。だからあのシーン、原作厨的にはそう見えたら困るというシーンでした。そう見えたんですね
詳しい演出・シナリオ意図は作ってる人に聞いてみないとわかりませんが、その後のルイ16世への怪文書もあり、あれは映像記号としてはそう捉えるしか無いものだと思いますので…想像になりますが、前半をマリー、後半をオスカルと主人公をバッサリ分けた上でマリーの晩年部分をカットしているので、そこで描ききれなかった要素をある程度前半にまとめてる脚本なのかもしれません