《推定睡眠時間:1分》
出資していた吉本興業が手を引いたことで沖縄国際映画祭は去年くらいに終わってしまい現在は沖縄環太平洋国際映画祭というまた新たな国際映画祭が始まってややこしいが、その吉本が沖縄国際映画祭を通じて遺した最良お置き土産の一つがおそらく吉本所属ガレッジセール・ゴリこと照屋年之の監督作『洗骨』で、これはユーモアの中に得も言われぬ殺気の漂う独特なムードが面白い良く出来た映画だった。
その照屋年之の長編2作目がこの『かなさんどー』というわけでちょっと期待して観に行くと冒頭数分ほとんど台詞もなく静寂の中で無声映画的な謎の新婚カップルの沖縄ハネムーンが描かれ『ソナチネ』等たけし映画と部分的に近い。これは傑作か、と思うもしかしその後は例の殺気を帯びつつもわりと平凡な家族の再生ドラマになってしまったので、面白いけれどもそこまでのものでもないのだった。
父娘の確執の理由が回想を交えて徐々に明らかになっていく構成はベタかもしれないとはいえ悪くない。が、そういえば『洗骨』の時にも主演の奥田瑛二が衣装についてこういうキャラならこうだろうと言って汚いブリーフか何かに変えてもらったらしいが、照屋年之という人は良くも悪くもなのかもしれないがあまりディテールを気にしないところがあって、『かなさんどー』でもたとえば認知症併発の死病にかかった父親(浅野忠信)に看護師が「ぐっと老け込んでねぇ」と言ったりするのだが、その見た目は娘(松田るか)の回想に出てくる元気な頃の父親と変わらないので、台詞に説得力がなく作り物感が出てしまう。この死病というのも具体的になんなのか語られないし、詰めが甘いんである。
予算的な都合なんかもあったのかもしれないけれどもこういうところはもったいないなぁと思ってしまう。父娘の確執とその理由を通して浮き彫りになっていくテーマのようなものがあるとすればそれはおそらく「人間はみんな他人」とか「幸せはウソの上にのみ成立する」みたいなことであろうと思う。主人公一家は表面的には仲良しで父親と母親(堀内敬子)にケンカなどはなかったのだが、その仲良しはお互いが相手の深いところを詮索しないという暗黙の了解によって成り立つものだった。母親には母親の不満があり父親には父親の不満が内心では大いにあったのかもしれないけれども、言わない。夫婦といってもしょせん他人は他人だからと必要以上に理解は求めず、それよりも波風立たない平穏な生活を求めるんである。
真実のさらけ出しが幸福を生むとは限らないというあまり当世風ではない考え方がベースにあるのは素晴らしい。それに同意するかどうかはともかく監督本人にちゃんと哲学がある。でもだからこそもう少しディテールを詰めてリアリティを重ねていれば傑作になったのに、とか思ってしまう。『洗骨』の場合は沖縄的(?)死生観をベースに生と死の交わるダイナミックな構成が良かったのだが『かなさんどー』はそこまでのダイナミズムがシナリオになく、ちょぼちょぼ笑えるほんのりのんびりイイ話という感じで小さくまとまってしまうのももったいなさを感じるところ。でもこのへんは伊江島という沖縄の小さな島が舞台なのでそれはそれで舞台に見合ったスケール感てところもありますが。
総じて小品なのだがただやっぱり、この独特のムード、沖縄の明るい風景とのんびりした平和な日々の中にある人と人の距離感、他人の内面には深入りしない配慮とも諦観ともつかない関係性が織りなすどこか冷めた、けれども反面で暖かな幸福感、イイんだよなぁ。ちゃんとリアルな人間を見て映画を作ってるなって気がして俺こういうの好きなんですよ。本州の田舎のムラ社会とはまた違った沖縄のシマの精神風土も感じたりしてね。だからなのかどうやら沖縄の人も結構観に来ていたらしく、俺が観た回ではこのロケ地がどうのこうのと地元話で盛り上がっていましたよ。そういうところも含めてなんだかんだイイ映画、少し苦くてでもユーモラスな愛すべき小品というかんじかもしれない。あー、沖縄行きてー。