こうして覚え書きを残しておくのはあなたのためなのだと書けば私は自分を偽ることになるでしょう。なぜならば、なにより先に、この覚え書きは私の罪悪感を紛らわすためのものなのですから。けれどもそれはたしかにあなたのためでもあるのです。あなたが苦しんだり破滅したりしないために。実際のところ、それはあなたのすぐそばにあるのです。これを読んでいるあなたに知って欲しい。あなたに助かって欲しい。そうでなければ、私はおそろしくておそろしくてどうにかなってしまう。耐えられないのです。ですからあなたには救われて欲しい。それが私を救うことにもなるのですから。
私は臆病な人間です。そして卑怯な人間です。それに関していささかも反論するつもりはありません。私の犯した罪の大きさを思えば、本来は匿名など許されないことも承知しています。ですが、怖いのです。もしも本名を出してしまえば、いったいどんな目に遭うか。それが私の罪に相応しい罰であるとしても、私は自分からそれを引き受けることはできません。ですから、人物や場所を特定できない記述にあえてしていることをご理解ください。私が伝えたいのはそこで起こった出来事であり、人や場所の具体名ではないのです。
ある職場を想像してください。おそらくどこにでもあるような平凡な職場だと思います。私もまた平凡な人間です。勤続十数年ですが、目立った役職はありません。容姿や人格に関しても特徴はないと思います。ただ、あえて言えば、周囲の人間から比較的信頼されていたことが特徴かもしれません。思うにそれは私が無味無臭の平凡な人間だからではないでしょうか。どこにでもいるような、いくらでもいるような、そんな取るに足らない人間だったのです。
ある日、同じ職場で働くAさんが、少し憂鬱そうにしているのを目にしました。私は何気なく、どうしたの? と聞きました。Aさんは答えます。いや、大丈夫です、と。どうしてそんなことをしたのか私にはわかりません。そのときも、今も、ずっとわからないのです。私はふっと、まるで息をするように、自分では何も意識しないまま、Aさんに言っていました。Bさんからなんか言われた?
Aさんはキョトンとします。Bさん、何か言ってたんですか? AさんとBさんは、その職場では普通の同僚だったと思います。特別に親しいわけでもありませんが、仲が悪いわけでもありません。そして私がBさんからAさんについて何か言われたこともありません。ですから、どうしてそのときにそんな言葉が口を突いて出たのか、本当にわからないのです。でも、私はいつの間にか話を続けていました。Bさん、よくAさんの悪口言ってるから。
これはまるで根も葉もないことです。でも、どうしたらそれを根も葉もないことだと確認できるでしょうか。AさんがBさんに自分の悪口を言ったかと聞いたとすれば、Bさんは言っていないと答えるでしょう。実際にそのようなやりとりがあったと聞きます。けれども、他人の陰口を言う人間は、決して本人の前では同じことを言わないものです。ですから、BさんがAさんの悪口を言っていても、言っていなくても、BさんはAさんの問いかけに、言っていない、と答えます。つまりAさんがBさんから真実を引き出そうとしても、決して引き出すことはできないのです。
その日から私とAさんはこの話題を話すようになりました。Aさんからというときもあれば、私からのときもありました。繰り返しますが、そんな事実はないのです。BさんはAさんのことを悪く言ったことなどありません。もしあったとしても、私はそのことを知りません。ですからこの話題は純粋な虚構と言えるでしょう。だからだったのかもしれません。私はその話題を話すことに、子供じみたイタズラの喜びを感じていたようです。まるで他人事のような書き方ですが、そうなってしまうのは、私自身その話題を事実であるかのように感じていたためで、とくに意図というものもなければ、感情を喚起されたこともなかったからです。私はただ自然にAさんとそのことについて話しました。ですが、今にして思えば、そのときの私の深層心理には、やはりなんらかの喜びがあったのではないか、と考えるのです。
Aさんは次第に職場で孤立していったようでした。人間は孤立すればするほど、他人を信じなくなる反面、一度信じたものには盲目的にすがるようになります。Aさんは私の言葉を疑いませんでした。ですから私はAさんの求めるままに話しました。このようにして、AさんはBさんや、Bさんと仲の良い他の同僚に対する不信の念を育んでいったのです。
このようなAさんの変化にやがてBさんも気付きます。AさんはBさんを自分の敵だと感じていますから、BさんがAさんを心配して言葉をかけても、自分の考えていることを正直には言いません。そればかりか逆に、BさんがAさんを気遣うかのような言動は、Aさんをより苦しめることになりました。それはAさんにとって、Bさんの嫌味と映ったのです。なぜといえば、私はAさんにBさんをそのような人間だと繰り返し語っていたものですから。
Bさんは不思議に思います。Aさんはどうしてしまったのだろう。Bさんは私に相談します。Aさんが最近おかしい、と。私は今度は逆のことを話しました。これは秘密にして欲しいけれど、AさんはBさんへの不満を自分には打ち明けている。これは虚偽というわけではありませんでした。そのころにはBさんへの不信が高じて、Aさんは私にBさんの嫌いなところ、苦手なところを話すようになっていたからです。
人間は他人を嫌うと、後からその人間の嫌いな理由を作り出すようです。そして後から作り出された嫌いな理由は、それが実態を欠いているために、どこまでも増殖していくことになるのです。同じようにして、AさんとBさんの不和も、それが実態のないものであるからこそ、歯止めなく進行しました。素直に認めなければいけないのは、私は明確にその状況を楽しんでいた、ということです。今度は無意識にではありません。意識的に楽しかったのです。私はただほんの二三のでまかせを吹き込んだだけなのに、AさんとBさんはロボットのように思い通り動いてくれる。ときには私の思いを超えて。なんだかとても偉い人間にでもなったような気分でした。世の中のすべてが私の思い通りに動くようでした。その感覚は私を大いにぞくぞくさせたものです。そんなことをやってはいけないという良心の声すら、善悪のしきいを乗り越えるスリルとなって、私に快楽を与えたのです。
怖かった。でも止められない。楽しいから。視点を変えれば、私自身が逆に、AさんとBさんに操作されていたのかもしれません。AさんもBさんも私に求めました。AさんにとってはBさんが、BさんにとってはAさんが、自分の想像したように悪い人間であることを。私はただ二人の求めに応じた話をするだけです。それは私の意志ではなく、AさんとBさんそれぞれの意志だったのです。ですから私の感じた恐怖の一部は、奇妙に思われるかもしれませんが、AさんとBさんに対してのものでした。そしてその楽しさもまた、AさんとBさんの操り人形になることの楽しさだったのです。思考の全てを誰かに操作されるロボットの楽しさを、あなたは想像したことがありますか?
話を戻しましょう。長くなりましたのでそれからの出来事は手短に。Aさんは職場ではホットコーヒーを飲むのが日課でした。私はAさんに報告します。BさんがAさんのコーヒーにふざけてツバを入れるのを見た。当然ながらそんな事実はありませんが、私がなにか変な味がしないかとAさんに訊ねると、Aさんは本当に変な味がするように感じ始めたようです。私はAさんから退職したいと相談されました。Aさんは限界だったのかもしれません。私はAさんを慰めました。そして辞めないで欲しいと熱心に説得しました。私はあなたの味方だから。それは私の本心でした。なぜでしょうか。私自身にもそれはわかりませんが、ともかく、Aさんには辞めて欲しくありませんでした。そしてBさんには、Aさんが強い被害妄想を持っていること、BさんがAさんのコーヒーにツバを入れたと思い込み、強い敵意を抱いていることを伝えました。それもまた本当のことでした。
それからAさんは警察にコーヒーの件で相談に行ったようです。しかし民事不介入を原則とする警察は証拠がなければ何も出来ないと言います。今度は弁護士に相談に行きました。しかし証拠がなければ行動できないのは弁護士も、そしてその後Aさんが相談に向かったという労基署も同じです。ですが証拠などあるはずもありません。BさんはAさんのコーヒーにツバを入れたことなどないのです。そのためAさんは困ったことになりました。私はその間ずっとAさんに辞めないよう懇願し続けましたが、しばらくすると私へのAさんの相談は途絶えます。私はたしかに良い相談相手にはなりますが、問題解決の役には立たないと判断されたのでしょう。私は何も出来ない人間だと思われていたのです。良い人、だけど何も出来ない人。だから誰もが安心しきって私に相談しようとするのです。私は自分の考えなど何も言ったりしないのですから。考えのない、同じ言葉をオウム返しにするだけのロボット。
Aさんが護身用に持ち歩くようになった折りたたみナイフでBさんを刺したのは、給湯室でコーヒーを淹れているときに言われた、Bさんのこんな言葉がスイッチになったようです。病院、行ってみたらどうですか? Aさんは愚弄されたと感じたでしょうし、Bさんにも心配を装った愚弄の意図があったのかもしれませんが、Bさんは病院搬入後すぐに亡くなってしまいましたから、真意は知る術がありません。もしかするとBさんはそんな言葉は発していなかったのかもしれません。いずれにしても、言葉など重要ではないことは、あなたにはもうおわかりだと思います。言葉と真実は、まるで関係の無いものなのです。
この事件は報道されることさえありませんでした。日本では年間で1000件ほどの殺人事件が発生していると言います。職場での不和が高じての同僚殺し。こんな事件にどんな報道価値があるでしょう。世界には今も飢え、虐殺され、病魔に冒され、人身売買や奴隷労働の犠牲となっている数多くの無辜の人々がいるのです。そうした巨大な悪を差し置いて報じるほどの価値はAさんにもBさんにもありませんでしたし、人々もそんなありふれた凡庸な死には興味を示しません。警察でさえそうなのです。ですから、私は取り調べさえ受けることがありませんでした。憤りを覚えました。真犯人がここにいるのに! でも、言い出すことは出来ませんでした。もちろん勇気がなかったためでもありますが、それだけではありません。楽しかったのです。またどこか別の場所で、別の誰かに、同じことをやってみたいと思ったのです。
それが今こうして、私の罪をしたためている理由です。私には私が止められません。私は私がこわいです。でもどうすることもできません。ですから、これを読むあなたのために、強く警告したい。あなたのもっとも信頼している人、あなたのもっとも愛している人、あなたのもっとも味方でいてくれる人、そうした人々を、信用しないでください。その人こそが私かもしれないのです。どうか、お願いします。これはあなたのためなのです。あなたの信じる人を、信じないでください。信じないでください。信じないでください。