なんかこう切ないもんがあってだな。
いや80年代ネタいっぱいだから懐かしくて、とかじゃない。俺その世代じゃないから80年代の記憶なんてないし。
そうじゃなくてさ、コレ『キングスマン』と一緒に観たんだけど、アレだ、こーゆー作りしか出来ないのかなみたいな。
うーん、なんつーか…。
『ピクセル』観てきた。
ゲーム、映画、テレビ、音楽…80年代カルチャーをどっかにいるかもしんない宇宙人に向けて発信しよう!
とゆー誰もが忘れていたかつてのプロジェクトの結果、なんとソレを受信した宇宙人がゲームキャラクターとなって今頃地球に襲来!
この未曾有の危機に立ち上がったのは、かつては天才ゲーム少年、いまやすっかり落ちぶれたダメ人間(一人は大統領に出世した)たちだった…。
とゆーハナシ。
別に、ストーリーとかどうでもいい感じではある。
なんせリアルタイム世代じゃないから、ゲームはそれなりに好きだがほとんどネタが分かんない。
いやパックマン出てきますよ、ドンキーコング出てきますよ、マリオだってインベーダーだって出てくる。
それはさすがに分かるが、宇宙人たちと戦う天才ゲーム少年(中年)の一人がさ、レディ・なんちゃらっつー80年代ゲームのキャラクターに萌えてて、ワリとストーリーに絡む部分なんです、コレが。
アレなんだったんだろ。オールドゲーム少年にはお馴染みのキャラクターなんかな。
宇宙人はゲームを模して地球侵略を始める。
最初は「ギャラガ」(コレはやったことある)、次は「アルカノイド」(コレもやったな)、「センチピード」(名前は聞いたコトある)に「パックマン」(もちろん)ときて、最後は色んなゲームキャラが一挙に襲ってくる。
思い返してみれば四分の一くらいは分かった気もするが、だからといってなんの感慨も湧かないのがアウトオブ世代の辛いトコである。
最後のゲームキャラ大乱戦、リアルタイムでかつゲームマニアだった人には堪えられないもんがあんのかもしんないけどなぁ…。
同様にして、宇宙人はテレビを通じて80年代カルチャーを模したビデオメッセージを送ってくる。
コレは全然わからん。ホール&オーツ? マドンナ? 『マックス・ヘッドルーム』?
懐かしの人々が「地球人の諸君、ゲームで勝負をしようではないか!」と呼びかけてくるが、ふぅん、そうかと思ってしまう。
『007 死ぬのは奴らだ』(1973)のスカラマンガみたいのも出てきたけど、アレ誰なんだろう。
スカラマンガかと思ったが、年代的に違うよな…。
そーゆーワケで、なにやらフワフワした映画体験になったのだった。
パックマンの生みの親・岩谷徹がパックマンと対峙するシーンとか、なんや知らんがグっとくるもんあったが。
(例によって思い入れは全く無い)
なんつーか、それはそれでいいじゃんと思いますよ。
懐古商売っつーか『ALWAYS 三丁目の夕日』(1999)方式っつーかですが、そらどんな映画だってそれなりにターゲティングしてるワケじゃんさ。
だいたい、ネタあんま分かんなくても面白かったしね。
パックマンがバクバク街を食ってって、アダム・サンドラー率いるダメ人間部隊が雑魚キャラのカラーリング施した対パックマン・カーでそれを追い掛ける。
追い詰めて撃退しようとすると、パックマンは何故が街に置いてある無敵アイテム食って無敵化、一転反撃に出る。
作戦を指揮する軍の司令部のモニターには、その光景が「パックマン」そのものとして映ってるってな具合。
そーゆーのがたくさんある。リアル「ドンキーコング」で「風雲たけし城」よろしく戦ったりね。
あはは、バカバカしくて楽しいなぁ、と。
でもさぁ…ぶっちゃけ脚本とかヒドイっすよ。
なんだろな、ホラ、一般的にゆーたら、各々の要素が映画全体の中でどう機能してるかが脚本の良し悪しだったりすんじゃないすか。
そーゆー意味で言ったら、もうどこもなんも機能してないよ。
いや例えば、元天才ゲーム少年のダメ人間部隊ん中に陰謀論者でゲームキャラ萌えのニートがいるんです。
コイツのキャラ面白いけど、なんとなく面白いキャラにするために陰謀論者にしてるだけで、それが全然ハナシん中で意味ないの。
一応、コイツが宇宙人の存在をアダム・サンドラーに伝える役割を果たしてはいんですが、コイツじゃなきゃいけない必然性とか意外性とか無いんだよ。
あるいはさ、宇宙人がリアルゲーム対戦を挑んでくるワケですが、それでアダム・サンドラーたちが勝って喜んでたら、「貴様ら、裏技使ったな! ルール違反だ! 許さん!」って宇宙人が怒り出すんです。
それはまぁ分かるじゃないすか。分かるんだけど、そのあとのリアルゲーム対決でアダム・サンドラーがゲームのルール無視して宇宙人に勝つんです。
コレ、ダメだろうと。
つかこの人「俺がゲームに強いのはアルゴリズムを覚えるコトができるからだ! それが勝利の道だ!」とか言っといてこうなんだぜ?
ついでに言うと、この人は今のゲーム(「コール・オブ・デューティ」とかのFPS)をアルゴリズムが複雑化して読めないからつまんないって批判する。
それを聞いた現代っ子が「今のゲームはキャラクターになり切るのが勝ち手段なんだよ!」とか言い返すが、こんなん意味わからんわ。
脚本的にはこのセリフをラストの伏線にしたかったらしいが、色んな意味で伏線になってないから更に困ってしまう(観れば分かる)
別に、映画全体の中で各要素がどんぐらい機能してるかとか、どうでもよくもある。
面白けりゃなんでもいいし、部分部分が結びつかない散漫な映画はむしろ好きだったりもするし。
この映画はそのシーンのみで機能する小ネタをひたすら重ねてく脚本になってるワケで、だからその意味じゃ俺は結構好きな感じではある。
…なんだけど、でもその小ネタのほとんどが80年代カルチャーに根ざしててさぁ、ごく限られた客層の記憶と懐古的な心情に依存してるってのはどうなのよ?
なんかさ、それってすげー貧しい映画だなぁって気がすんだよなぁ…。
んで、一緒に観た『キングスマン』でも同じようなコト思って。
客層がやたら狭く見えるワリにはレーティングを意識してか(親子連れを見込んでんだろ)薄~い味付けの『ピクセル』と違って、『キングスマン』は結構印象に残る突出したシーンがあって面白かったんですが、コッチもコッチで「どうなの?」って脚本になってたんすよ。
たぶんまたソッチの感想で書きますけど、なんつーか、場面場面での扇情を優先するあまり、物語とかもうどうでもよくなっちゃったみたいな。
コレやってるコトは『ピクセル』と全然違うけど、映画の設計思想は同じなんじゃねぇかな。
(その無邪気さや現実感の無さも同じではある)
ポルノ的な、とかゆーと語弊あるが、でもそーゆー作りの映画だよ。懐古ポルノっつーか。
それならそれで開き直ればいいのにって思いますよ。
ポルノ? いいじゃん。脚本の出来なぞ知ったコトか! 面白けりゃそれでいーんだ!
それだって映画の正義でしょ?
でも開き直らなかったな、『ピクセル』。
脚本の煮え切らなさでいったら『キングスマン』だってそうで。
なんとなくどっちも『マーズ・アタック!』(1996)なんかに似てるが、アレもっと開き直って遊んでたし、低俗な映画だってちゃんと意識してたでしょうよ。
そういうさ、低俗映画ですよポルノと変わんないですよみたいな意識の欠如してる感が…って別にコレに限ったコトじゃないか…。
えぇと、『ピクセル』はなんだかんだ下らなくて面白かったです。
結構笑える。8bitなエンドロールも眼福。
さんざ文句言った後だから全然説得力ないけどな!
(ところでテトリスも出てくるが、こうなると製作の噂される実写版『テトリス』の立場が無い。ホントに企画進んでんのかどうか知らんが)
【ママー!これ買ってー!】
孤独で冴えないボンクラのアメリカ人が救いを求めたのはいつも宇宙なんであった。
ワクワクしながら宇宙人に会いにいったら単なるテレビ大好きのダメ宇宙人で大落胆の『エクスプロラーズ』(1985)、ゲームしか取り得の無い田吾作が宇宙戦争のヒーローになる『スターファイター』(1984)、こちらは使えないクズだと思われていたババァが侵略宇宙人を撃退する『マーズ・アタック!』、『未知との遭遇』(1977)だって生活力の無いコドモ大人が宇宙人と友達になるハナシだ。
ときに宇宙人はダメ人間の唯一の理解者で、またときには汚名返上の最後のチャンスなのだ!
ほんで『ピクセル』もその定型を一応守ってたりするワケですが、なんせそのハナシをドライブするだけのドラマが全然描かれてないんで、アダム・サンドラーらダメ人間がいくら宇宙人相手に奮闘しようがどうでも良くなっちゃったりした。
なんでも脚本家はアダム・サンドラーの座付き作家らしいが、この野郎、いつまで経っても面白さが皆目分からないアダム・サンドラーなんかいいからお前は黙って『ギャラクシー・クエスト』(1999)を100回観ろと言いたい。
かつては『スタートレック』的ドラマに出演しチビっ子に大人気も、今やすっかり落ちぶれてコミコン回りで食い扶持を稼ぐダメ俳優たちに涙してだな、そんな彼らを今でも神と崇拝するイイ歳こいたクソオタクどもに涙してだな、そのドラマを本物だと信じて辛い境遇を乗り越えてきた宇宙人たちに涙してだな、そして彼らのために立ち上がるダメ俳優たちに涙して…ってもう泣くトコしか無いじゃないか!
いや、泣けるだけじゃない! 笑えるトコもいっぱいだ! 勇気もらえるトコもいっぱいだ! 可愛い宇宙人も出てきて、アブノーマルなエロスだってある!
つまり、『ギャラクシー・クエスト』はサイコーである!
その証拠に今だって書きながら思い出して泣いている!
ネバーギブアップ!