オレの記憶違いでなければコレSFラブストーリーとかなんとかどっかに書いてあったと思うが、いくらなんでもコレをSFゆーのは無理があるだろ。
SFをサイエンス・フィクションじゃなくて少し不思議と解釈してもまだ無理がある。しがないOLの電車に乗り遅れた人生と、もし電車に乗り遅れなかったらのifな人生を交差させて描いた『スライディング・ドア』(1997)がSFだったかよってゆー、そーゆーハナシっすよ、こりゃ。
つか、そーゆー映画だ。ifものの『スライディング・ドア』、『メリンダとメリンダ』(2004)、『ミスター・ノーバディ』(2009)、ほんで『ふくろうの河』(1961)であり、『ドニー・ダーコ』(2001)であり、『(500)日のサマー』(2009)であり『ブルーバレンタイン』(2010)でもあるような、そーゆーの全部をミックスさせたら超面白くなるじゃんと思わせといて、かなり面白くない映画。
そんな映画『COMET/コメット』を観てきたんで感想書く。ネタバレはあるがネタバレは無い。なにそれですが、とにかくそーゆーのイヤなヤツは読まないよーに。
とりあえずあらすじ。
なんとか座流星群到来。その観測会に訪れたジャスティン・ロングはそこでメガネ女子のエミー・ロッサムに出会う。
流星群をバックにその場で結ばれる二人。だがロマンチックなのは最初だけで、何年も付き合ってると段々とお互いのダメなトコが見えてきて冷めてくのだった。
恋愛ってタイヘンだなー。
まぁしかしジャスティン・ロングゆーと毎回イヤなヤツかバカなヤツ設定な気もするが、コイツこの映画でもすげーウゼェ。
自分は誰より賢いと思ってる人で、早口でベラベラと御託並べて「君はこう思ってる。そうだろ?」とか言ってくる。ウゼェ。
つまりは『ソーシャル・ネットワーク』(2010)でのマーク・ザッカーバーグみたいなソッチ系の人なワケですが、あの映画のザッカーバーグに比べるとコッチのジャスティン・ロングは薄っぺらいアホである。
「今ね、ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んでいるんだが、中にこんな一節があってね…」とか得意げに言うが、今頃ドーキンス読んで賢ぶるなよ。
なんて底が浅いんだ。中二かお前は。
んでそんなウザ野郎が惚れんのがエミー・ロッサム。この人いかにもオタク受けしそうな清楚風の真面目メガネっ子だったが、付き合いが長くなると立場が逆転。メガネっ子が自堕落ダメ女になって、ウザ野郎はワリかしちゃんとした人になる。
どうしてそんな風になったのかってな恋愛映画ではあるが、編集で時間を錯綜させて過去と未来を行ったり来たりすんので中々ハナシの全貌が掴めない。
しかも、二人の結婚式の朝、何故か太陽が二つ昇ったりする。いったいこりゃなんだ? 現実か? 妄想か? SFか? …とまぁなんか、そんな感じ。
ほんで、コレ全編この二人の会話だけで進む。
その会話、いや英語分からんからなんとも言えんトコあるが、センスあるでしょ風の、その実まどろっこしくて迂遠なだけのバカ会話でアホらしくなる。
「なんだっけ…ホラ、ラストで主人公が死んでたコトが分かる…」
「シックスセンス?」
「そう、それだ…いやオチ言うなよ! オレそれまだ観て無いよ!」
「誰でも観てる映画じゃない!」
…こんな会話なんも面白くないと思うが、コレが90分ずっと続く。こーゆーの聞くとウディ・アレンがその映画でいかにセンスあるセリフ書いてるかよー分かる。
ウディ・アレンの映画とか気取り腐っててすげー嫌いだけどな!
いやそれはいいが、上のやりとり、コレ冒頭でジャスティン・ロングがあわや暴走車に轢かれそうになって助かった直後のエミー・ロッサムとのやりとりだったが、ココが映画のキモになってんのだった。
勘のイイ人なら「ジャスティン・ロングは実はココで死んでいた! 錯綜編集も二つの太陽も、彼の死の間際の走馬灯的な願望を表現したのだ!」とか思われっかもしんないが、そう単純なハナシでもなく、エミー・ロッサムも奇跡的に列車の脱線事故を回避する、とゆーシーンもある。
まぁなんにせよ、あり得たかもしれないもう一つの世界を二人のどっちかが、あるいは二人して夢想してんのを映像で表現してるっぽいので、時空行ったり来たりな錯綜編集になって太陽も二つ昇ると、そーゆーハナシらしい。
はて、かなり核心なネタバレしてる気もするが、別にネタバレではない。なんせこの映画、オチが無い。オチが無くてブツ切れで終わる。
インディーズ系の映画作家サンがよーやりたがる「解釈は観客にお任せしまーす」とゆー、あの手法を採用してたりすんので、ネタバレしようも無いのだった。
なんつーか、もうこの手の作りの映画、ぶっちゃけ飽きたよ。ダメそうな男のミニマムなハナシに大事故とか彗星とか突飛なイベント絡めてさ、そんでメンドクセェ編集施して過去と未来とかパラレル・ワールドを行ったり来たりさせてさ、分かりやすい伏線ばら撒くだけばら撒いて最後まで回収しない映画。もういいです、そーゆーの。
この手の映画は『ドニー・ダーコ』でお腹いっぱい。いやアレ面白かったけどさぁ、飛び道具だから面白かったワケでさぁ、あのオフビート&不条理な作劇なんてのは何回もやって面白いもんじゃないっすよ。
ったくいつまでも同じようなコトやってやがってよぉ。
つか、そーゆーの全部抜きにしても単純に恋愛映画として面白くねぇんだよコレ。
だって感情の機微とか、くっつくか離れるかのドラマとか、ちょっとした芝居の面白さで見せるよーなトコとか、そーゆーの全部ねぇんだもん。
アレだろ、恋愛映画ってんだったらジャスティン・ロングみたいなあんまお近づきになりたくないダメ男になんでエミー・ロッサムが惹かれたのかぐらいは見せてくれたってイイじゃねーか。そーゆーのナシかっつの。それ大事なトコだろそれ。
なんつーか、無駄に入り組んだ構成ありきでハナシ考えてるからツマンネェ映画なったんじゃねーのかっつの。奇をてらう前にこの監督は基本を見直せっつの。気の利いたセリフと繊細な演技だけありゃ恋愛映画なんて大抵面白くなるんじゃねーのかよっつの。
『(500)日のサマー』とか『ブルーバレンタイン』だってアレ、編集が面白かったっつーかその部分ちゃんとしてたから面白かったんじゃねーのかっつーの。
いやまぁなんか映像とか凝ってる感じだったけどさ。列車の中のシーンで窓の外の風景があえて粗いスクリーン・プロセス(風景映像を映したスクリーンの前で俳優が演技する合成の手法)になってるとか、降り注ぐ彗星群がファンタジックに消滅したり、とか。
面白いかと言われれば別に面白くなかったが、そーゆーので虚構感を強調してる感じで、なんか雰囲気はいーんじゃねーの、なんか。知らんけど。
二つの太陽。
繰り返される衝突事故。
夢とパラレルワールド。
錯綜する時間。
流星群の到来。
こう、要素だけ切り取るとちょっと面白そうな気もしてくるが、実際観たらオレはつまんなかったし、見え透いたカルト映画狙いにむしろ腹が立ったりした。
いやホント、基本に還る、ハナシの構造をいじる前にベースのドラマとか演技をちゃんと作るって大事だなぁと、なんかそう強く思わせられる映画なんでしたとさ。
(文・さわだきんたま)
【ママー!これ買ってー!】
予算が無けりゃアイディアで勝負だ! といってすーぐに入り組んだ錯綜編集に飛びつくのはマジやめろっつーの。そんなん大したアイディアじゃないし、別に面白くもねーっつーの。
でも撮る映画撮る映画全部を錯綜編集にするジェイコブ・ジェントリーとゆー人(自分で編集もしてる)、この人の映画は人を食ったユーモアがあってなんか面白い。
『パラドックス・ハプニング』ゆー映画もこの人の作で、変なTVドラマのヒロインを軸に、彼女に関わる色んなダメな人の運命を時間をバラして交錯させてく。
酔っぱらい牧師デヴィッド・キャラダインが出てきたり、女子高生天使が出てきたり、なんじゃこりゃと笑える楽しい錯綜編集恋愛映画。
>メガネっ子が自堕落ダメ女になって、ウザ野郎はワリかしちゃんとした人になる。
どうしてそんな風になったのかってな恋愛映画ではあるが、編集で時間を錯綜させて過去と未来を行ったり来たりすんので中々ハナシの全貌が掴めない。
しかも、二人の結婚式の朝、
ダメ女になった訳ではなく、復縁したのに結婚の話を進めてくれない彼に苛立っているんですよ。
あと、最後のシーンは主人公二人の結婚式ではないです。
最後のシーンでしばらく考えたあと、キスをする。カップルは、付き合ったら一度は必ず大きなウソをつく。このことに主人公が気づいたのでは。彼女が初めて主人公を騙せたんだなと思いました。
なるほど、そういう映画でしたか…。
実を言えば2年くらい前に寝ながら見た映画なので内容をほとんど覚えておらず…なんとも言いようがないのですが、あの、カップルのすれ違いを時間軸の操作で表現したのが面白かったなあっていう、そういう印象だけ残ってます。もう一回見てみようかな…