《推定睡眠時間:45分》
ブラジルのアート・アニメ映画。『父を探して』ってなんかすごく物語映画っぽい邦題な気がするが映像ポエムだった。
一応ストーリーはあり、年代とかちょっとわからないが(文字とか説明が一切出てこない映画なのだ)、ブラジルの田舎に暮らす貧しいが幸せっぽい家族がおった。
幸せっぽいとゆーのは、この映画が全編主人公の男の子の主観でしか描かれないから。なーんも縛られず自然と戯れておうちに帰ればやさしいおとーさんおかーさんがいて、と男の子にとっては超幸せな毎日だったのだが、ご両親はそうでもなかったらしいので、生活のため父親は建築ラッシュの都会に出稼ぎに出る。
長い長いどこまでも続く恒久列車に乗って消えてく父親。なんでや! 許せん! パパ帰って来い! つって、男の子は単身父親を追って旅に出るのだった。
それで、『父を探して』。探してとゆーより『父を返して!』って感じである。
それがハナシのとっかかりであるが、ちなみに俺はこの時点で寝てるので、男の子がどんな大冒険を繰り広げたか全然知らない。
今回の居眠りは長かった。体内時計を信じるなら上映時間の約半分を寝てる。それだけ疲れてたとゆーのもあるが、睡眠誘発映画であるコトも否定できない。
まず、全編幼い男の子の主観として、男の子に見えた世界のカタチがそのまま提示されるため、記号性がほとんどないボヤつきユラついた抽象イメージがひたすら続くコト。つまり夢のような作りなので、睡眠導入力が高い。
それに、セリフが無い。コレは寝る。もう確実に寝る。明瞭なストーリーもイメージもない上セリフまで無いんだから寝るに決まってる。俺の場合は。
ネタバレしないでグダグダ感想垂れる
しかし別段、寝てもなんも問題ない映画なのだった。どうせ夢の中を漂うような映画なんで寝ながら観た方が自然と受容できる可能性すらある。子供の映画なんだから子供みたいに観ればいいじゃない。子供が集中して映画観れるかってったら観れないでしょ。
子供の観た曖昧な世界を大人の目と言葉で解釈してしまうコトほど退屈な見方はない、あるいはそれこそ暴力でありこの映画で描かれた悲劇なのだ(タチが悪い)。
さて男の子がどんな夢幻ブラジルを彷徨ったのかは知らないが、目覚めたらチャリでブラジルを放浪してる兄ちゃんと一緒に深夜の紡績工場に忍び込むところ。
誰だお前は。何が目的なんだ。知らないが、とにかく兄ちゃんは紡績工場から綺麗な織物を盗み出す。男の子が窓の外を見ると、誰だか知らんオッサン二人がなんか話してる。いや、俺がマジメに観てなかったからじゃなくて、セリフも無いし文字も出てこないノン説明映画だからそんな風にしか書けないのだ。
まぁ、マジメに観てないのは確かではあるが。
若干ショックを受けたのは、あたりの光景が様変わりしてたからなのだった。冒頭、男の子が自然の中で戯れる場面なんて色彩の奔流、意味を持たない自然の音楽と次から次へと変化する不定形のイメージの世界。なんかクレヨンとか色鉛筆とか色々使って描いてるっぽいが、コレ素晴しい。キレイたのしい。
ところが俺が目覚めた時には例の紡績工場、外に出れば地平線まで続く広大なジャンク置き場、ゴミ、ゴミ、ゴミの山。彼方に聳え立つ摩天楼はまるで色彩も音楽も失ってるではないか。
あのカラフルな抽象イメージの世界はどこへ行っちゃったんだろう。誇張された具象の世界は確かにカッチョイイのだが、わずか45分ほど寝てる間にこんなに世界のカタチが変わってるだなんて…いや45分は僅かとは言わない可能性もあるが、とにかくビックリなんであった。
まぁなんか知らんが、男の子はついに大人たちの都会に足を踏み入れたらしい。お父さんは都会に出稼ぎに来たんだから、これでお父さんに会えるはず。
果たしてその顛末は…ってとこではあるが、しかし別にそれでハナシが終わるワケじゃないので、『父を探して』なんてタイトルは若干ズレてんである。
なら何を探すのか、といえばコレは正確には『音楽を探して』とでもいったところなのだった。
なんの音楽か。それを書いてしまうとネタバレになってまうので、ストーリーの無い映像ポエムと見えて意外とシッカリしたストーリーあったのだ。
とりあえず始原の音楽とかなんかそんな感じではあった。胎児が聞く母親の胎内音とでも言うような。するとコレは、父を探してるようでいて母を探してたハナシとゆーコトにもなるんである。
タイヘンに歯切れが悪い書き方でワケワカランが、そんなもん観ててもワケワカランのだから仕方が無い。
しかし後半のダイナミックなどんでん返しは結構ビックリなので、うわぁ眠そうなアート・アニメかぁなんて敬遠しないで観たら面白い。
大丈夫、途中で寝たとしてもそのあたりとっても楽しめます。だいたい画も音楽もポップで可愛くて素晴しいので、多少寝たとしても損した気はしないだろう。
実際に45分も寝た俺がそう言えば説得力あるんじゃないかな!
あ、ちなみにこんなアート・アニメなのにエンディング曲がラップで、これもビックリポイント。ビックリ感高い映画だった。
こっからネタバレしつつ更にグダグダと…
ところでショックと言えば後半、アニメ世界に記録映像が侵入してくんである。
男の子が旅を進めるにつれて夢の抽象世界が具象世界に取って代わって、ついには現実世界に塗り替えられてしまうのだった。
ブラジル知識は例によって皆無ではあるが、まぁ観てる限りだと経済発展の代償としての暗い現実らしい。
そのような映画だった。父を探す男の子の旅は男の子の人生の旅であると同時にブラジル現代史を辿る旅でもあったのだ(と思われる)。
わりあい陳腐な手法。フィルムが焼かれる演出があって、アニメの下から記録フィルムが現れる。それでもなんかショックではある。あの楽しい世界はもう戻ってはこないのか…と、そこで映画が終わってしまうんだろうと思ってたらまたアニメが戻ってくる。そこから再生が始まる。あの音楽と色彩の世界の。
ブラジル現代史を辿る映画なので大いに風刺の意図があると思われるがその表現もさして目新しい感じでなく、鳥が爆撃機と化して画一化された警官隊(軍隊だっただろか)が画面を埋め尽くし爆撃音とともに黙示録的な光景が広がったりする。ブラジル教養を持った人なら何の暗喩なのか一目瞭然なんだろうが俺は知らない。
要するに都市に対して田舎であり、言葉に対しての音楽、意味に対しての無意味、人為の秩序に対しての自然のカオス、大人に対しての子供、とまぁそんな感じの構図になっていて、後者を讃える。その表現も含めてインテリぶったアート人種が好みそうな映画だなと思ったりはする。
発展の代償として我々が失ったものを今こそ取り戻すべきではないか? なんて思想を汲み取ってしまえば途端につまらん映画になってまう。なんでもアカデミー賞がなんだというらしいがたぶんにその思想が評価されたとゆー面はあるんだろうから、批評する人間とゆーのはその行為によって映画をつまらなくしてしまう可能性があるコトに多少なりとも自覚的であって欲しいもんである(エラそうに!)
言ってしまえばこんな映画をアレコレ解釈してる時点で負けである。なにがあの音楽と色彩の世界を殺してその上に摩天楼を築かせるに至ったか、その下にスラムとゴミ置き場を築かせるに至ったか、とくれば言葉であった。
そんなワケでこの映画には言葉がない。言葉を聞く代わりに旅の果て、老齢の主人公はかつて聞いた父の(そして母の)音楽を記憶の中で反復すんである。
反復ちゅーのは祈りだろう。あの音楽と色彩だけの言葉なき始原の世界に還りたいって祈りだろう。そんなコトはせいぜい死ぬコトによってしかありえないので、従ってそれを現代批判なんて風に捉えても不毛なだけなのだ。
けれども、個人の切なる叶わぬ祈りとして見ればこれはとってもグッとくる映画だったりする。
死が音楽と色彩の美しき世界を再生する。するに違いない。そうあって欲しい。
どうあれこの手の映画が好きなのは、なにか作り手がかつて見ていた(かもしれない)胎児の夢と、それに繋がる(かもしれない)死を言葉の外で必死に捉えようとして、それはどうやったって不可能なんだけれども無謀にも挑んじゃう。表現云々とゆーよりその姿勢が面白い。
この映画自体が言葉にならない祈りのようなもんで、そうであるからにはこれ以上つまらん言葉を弄すのをやめてとりあえず面白かった、寝たけど面白かった、いやむしろ寝た方が面白い、そんだけ無責任に言って感想終わる。
(文・さわだきんたま)
子供から見た世界といえば、コレもそんな映画だったが、やはりセリフが無いんである。なんとなくやってるコトも似てる。
ちなみにコチラもシッカリと上映時間の半分くらい寝てる。