《推定睡眠時間:0分》
帰省しました。実家帰りました。映画で帰省。
さっさと廃れるかと思った3Dがますます伸びてきてしまっている昨今、パーフェクトなヴァーチャル帰省体験ができる『海よりもまだ深く』も没入感を更に高めるべく3Dの4DX上映にすべきだと思います。ついでに爆音上映。煮物作る音とかババァ(樹木希林)の息遣いを大音響で聞けばもはや現実。
阿部寛のズボラ歩きといい樹木希林のオバケだぞ~な仕草といい実家的所作完璧。実家的セリフも完璧。実家的美術も完璧に現実を超えた現実。
つまり『海よりもまだ深く』は阿部寛が実家で寝たまま覚醒しない『マトリックス』(1999)です。ウォシャウスキーを超えた!(?)
いやもうババァと長女の小林聡美が実家の団地でグダグダ喋ってるだけで面白すぎ実家すぎなんでなんでもいいんじゃないか。実家映画(と地方映画)やるならとりあえず置いとけ的な樹木希林と小林聡美がいるだけで既にハイパーリアル実家なんじゃないか。
これを超える実家はあるのか。これを超えるリアルはあるのか。「ファイナルアンサ~?」のババァに対し穀潰し長男・阿部寛は「いつのネタだよ!」。これ食べなさいよと出されたお手製冷凍カルピスアイスを阿部寛はグチグチ文句を言いながら嫌そうに食べる。「ほらやっぱり硬すぎるって!」。
俺にそんな記憶はないはずだが思わずあるあると頷きそうになってしまったのでもはや模造記憶のサブリミナル的インプラントです。
現実的で堅実な姉・小林聡美に対して阿部寛はいつまでも叶わぬ夢を追いかけるバイト感覚興信所員のダメ男。自称小説家で昔取った杵柄(島尾敏雄賞)と実家と一体化したババァにいつまでも縋り付く甲斐性なし。ついでに元妻の真木よう子(ダメ男のくせにふざけんな)と彼女が親権を持ってる息子にも縋り付くので真木よう子いつもぷんぷん。真木先輩のあんなゴミを見るよな冷たい視線を頂けるのならこんなポジションも悪くないですね。
はて実家に帰るたびにタンス預金を物色したり素行調査ターゲットの高校生をこのネタ依頼主にばらされたくなかったら金くれ競輪行くからと脅したりとまったくロクでもない俺…いや阿部寛だったが、こんな俺でいいのかよとはちょっと思ってるのだ。
で、そう思いつつもいま一つ一歩踏み出せない俺…いや阿部寛が実家でぬくぬくと過ごしながらちょっとずつ成長してくと、なんかそんなお話が『海よりもまだ深く』。つまり結局いつもの是枝裕和の映画だな。
お前はどんだけ実家が好きやねんと思うが、ここまで来るとキモイとかウザイとか情けないとか通り越してハイパーリアル絵画の如し感動が宿ってしまうので何事も追求し続けることに価値がある。
実家の求道者・是枝裕和の現時点での到達点に違いない。きっとそうに違いない。到達したところでそこには実家しかないが、実家しか描けないことのある種アウトサイダーアート的凄みが『海よりもまだ深く』にはあるのだ…!
ところでハイパーリアル絵画といえば前にどっかの美術館で見た超絶リアルなヴァニタスなるジャンルの絵を見たことがあり、すごいなこれはと感極まれりだったがヴァニタスとは人生の空虚を主題とする静物画のことだそうであった。
詳しいことは知らないがヴァニタスと写実は相性がいいんじゃなかろか。あの完璧にして空虚なる絵は何一つ映し出さないカプーアの穴と対称を成しながら同じことを描いてるんじゃないかとボヤボヤ思ったりすんのだ。
劇中、真木先輩の今の交際相手の成金男が「君の元夫が書いた本読んだけど、俺にはテーマが感じられなかったなぁ」とか言う。実家あるあるを私小説的に綴ったらしい阿部寛の小説(島尾敏雄賞受賞!)に成金男が感じたのはたぶんこの空虚なんじゃなかろか。事物の全てには意味があり目的があり役に立つもの役に立たないものに分けられるはずなのにこいつの小説ときたら…みたいな。
似たようなシチュエーションをグザヴィエ・ドランの『マミー』(2015)でも見たが、そこでは主人公くんの大好きなママの交際相手が「ロッキー3最高30回は見た!」などと抜かしてた。
どっちの男もバカ丸出しのクズ。…とそれぞれの映画の中では捉えられてるが、これたぶんどっちも作り手がリアルに言われて傷付いたんだろ。お前の映画はテーマがないからつまらない! とか女々しい野郎だ『ロッキー3』(1982)でも観やがれ! とか。セリフをスワップしても成立してまうなこれ。
ドランもやっぱり実家とババァの映画ばっかやってるらしいが、この手の実家作家とゆーのは共通する世界のイメージがあんじゃないか。なにか、世界の中心はゼロであり無意味である、みたいな。時間は一直線に流れておらず終わりと始まりがくっついた円環を成している、みたいな。
母胎的なイメージだと思うが、ドランはそれが西欧的な価値観と対立してしまうことを強く意識してるっぽいんでやたら実家と家族関係がギスギスしまくり、他方ジャパニーズ実家映画の天才是枝さんの場合は郷愁とか自然と結びついて軋轢を引き起こしたりしない居心地の良い空間を作り上げるのだった。まぁなんか拗れても結局は実家のババァがなんとかしてくれんである。日本のババァ偉大。
『映画は父を殺すためにある』とゆー通過儀礼から映画を読み解いた本があり、そこで著者の島田裕巳さんは日本映画ってあんま通過儀礼やんないし主人公成長しないよね的なことを言っていた。
しかし、とこの人は続ける。寅さんは全部通過儀礼の失敗の映画だけど、それを何度も何度も飽きるほど繰り返して寅さんはちょっとずつ成長してく。これが日本的な成長のあり方なんじゃないか。
さくらをババァとするジャパニーズ実家映画の金字塔が寅さんなので日本式ダラダラ成長の図は実家とババァの上に成り立つ。大林宣彦の『HOUSE』(1977)では思春期少女のウルトラ疾風怒濤が最終的に家との同化によって治まってたが、いやまったくガラパゴスジャパンには実家と同一視されるババァへの信仰が根強いな。
このあたりフェミニズム的な観点から槍玉に挙げられるんだろが、逆に言えば父の不在と権力の弱さを感じさせるぞ。ババァがいるんでジャパンにジジィはいりません。そうだ是枝さんの映画はいつも父が存在しないんであった…。
なんかそんなことを考えさせられる映画が『海よりもまだ深く』だったな。
あー面白かった…おいババァ! ヤンマガ買ってこい! ヤンジャンじゃねーよヤンマガだよ!(←成長しないジャパニーズの典型)
(文・さわだきんたま)
【ママー!これ買ってー!】
一家全員強制帰省映画。中国人エリートママがハイパーなスパルタ教育法を綴った『タイガーマザー』なる本を出して話題になったこともあったそうですがこちらはキムチママです。実家! ぬか漬け! ババァ! のジャパニーズに対して実家! キムチ! ババァ! のコリアンです。
観てないけど。
↓その他のヤツ
Mommy/マミー [Blu-ray]
映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫)
※アマゾンで検索したら真下に是枝さんの『そして父になる』が出てきて笑う