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映画が始まってまずスクリーンに映し出される上海の映画会社ホアホア・メディアのムービングロゴが一本の木だったがそこから連想されるのは『ブレードランナー』の世界観を強く印象付けたラッド・カンパニーのムービングロゴ、コンピューターが描画するデジタルツリーなのだった。
ラッド・カンパニーはアメリカのスタジオですが『ブレラン』には香港の名門ショウ・ブラザーズが出資していた。『ブレラン』の香港的カオスな混淆様式未来都市像は押井守の『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』ではほぼほぼ香港そのものになってしまう。
香港に還れ。そのタイトルにも関わらず原作の指示する”ゴースト”の概念に(きっと)なんの興味も持てない押井守の『攻殻』における唯一の関心は返還前の香港の風景を再現することにあったんじゃないか、とまで思える。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』は香港ロケを敢行して、その街並みを『ブレラン』的近未来にデジタル再変換するのだった。
しかしとはいえでも『ブレラン』のリドリーヴィルはくすんで諸々闇に溶けてしまっているのに対して『ゴースト・イン・ザ・シェル』の香港未来都市は遠目にビビットなカラリングがなされていて、印象が近いのはテリー・ギリアムの『ゼロの未来』だったりする。あの未来都市こんなんだったよな、広告が派手でうるさくて…。
『ゼロの未来』は『未来世紀ブラジル』の別バージョンと言えそうな映画だったが、『ブラジル』のラストは『ブレラン』を皮肉ったものだった。リドリー・スコットがどう思っているかは知らないがギリアムの方は何故かリドスコに敵意を燃やしているのでインタビューでよく名前が出てくる(例:俺は少しの予算超過も許されなかったのにリドリーは『エイリアン』で大幅に予算超過しても何も言われなかったんだ!『映画作家が自身を語る テリー・ギリアム』)
共通項はゲームであった。なにやら今の映画はもうゲームに敵わんねとシニックな押井守なのですが(→実写版『攻殻機動隊』を見て押井守監督は何を思ったのか?:「僕に言わせれば相当奇妙な映画だと思う」)、天才プログラマーがコンピューターに世界の真理を求める『ゼロの未来』ではプログラミングが全然おもしろくなさそうな3Dパズルゲームとして表現されていた。
映画はあくまでクリエイターが自己を表現するものでインタラクティブ性を旨とするゲームとは相容れないというのが芸術家ギリアムの立場で、いつだかの万博で体験したらしい観客投票でラストの決まる実験的な映画上映をギリアムはこき下している。
にも関わらず、必ずしも否定的な文脈ではなしにゲーム的な意匠を取り込んでいるのがギリアムのおもしろいところだ。モンティ・パイソンとしては90年代後半にパソコン用インタラクティブCDなるものもリリースしているが、他方で宿命と決闘をその映画の二大柱に据えるリドリー・スコットの映画的映画にはゲームとインタラクティブの発想は入り込む余地すらないわけだから。
物語上の要請でスカーレット・ヨハンソン演じる”少佐”にはミラの名が与えられた。ミラ…ジョヴォヴィッチ!!!!!!!
いきおい感嘆符をそんなに付けるべき事柄ではまったくないがゲームとアクション・ヒロインそしてミラの前フリが与えられたら据え膳食わぬはって感じになる。それに『バイオハザードⅡ』以降のミラ・ジョヴォヴィッチ(演じるアリスという人)は記憶を失ったサイボーグ超人として再定義され、その記憶の行方がシリーズのどうでもいい核心になってくるんである。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』と同じじゃないか。据え膳食わぬはオタクの恥!! バカか。
ハリウッド・オタク・アクション。押井版『攻殻』が『マトリックス』に多大な影響を与えたことはよく知られているが、『マトリックス』の起こしたオタク革命は即座にオタクって儲かるじゃん…としてハリウッド資本主義に回収されたので我らの大正義『バイオハザード』もそうしてかどうしてかはまぁよく知らないがとにかく生まれたのです。『バイオハザード』のDVDコメンタリーではミシェル・ロドリゲスが『マトリックス』に言及していたな。これはもうホントに学園ノリ(学生ノリに非ず)の愉快なコメンタリーなので一人でも多くの人に聴いてほしい…。
その『マトリックス』を世に送り出したウォシャウスキー兄弟の兄の方が性転換してラナを名乗り始めたのはゼロ年代指折りのハリウッドゴシップだったが弟の方もいつのまにか性転換していた。ウォシャウスキー兄弟からウォシャウスキー姉弟の表記変更を経てのウォシャウスキー姉妹で忙しい。大して話題にならなかったのはジェンダー意識の高まりの表れだろうから良い世の中になりました。
自分のかたちは自分で選ぶの義体思想。セックスを伴わないアクション・ヒロインの誕生。ハリウッド・オタク・アクションのゲーム志向の土台にあるのは欲望が選択肢を作るのではなく選択肢が欲望を作るとのドライな認識なんじゃないか。
人にコントロールされるのは嫌だがその反対側に純正の自由と幸福があるわけではない。だとしても選択肢の無限増殖の混沌に可能性を見るのがオープンワールドとも通底するハリウッド・オタク・アクションの遊戯的革命思想だ。
その意味では幼稚でバカで安いハリウッド・オタク・アクションこそ人権教育と闘争の最前線にあったのだ(?)
『バイオハザード』シリーズはこのあいだ完結してしまった。どうせうそだろうけど終わってしまった。どのようにおわったか。世界はどのようにおわったか。ミラ(アリス)の旅はどのようにおわったか。婉曲ネタバレだから安心してほしいがつまりは一人の少女の妄念(?)に世界が取り込まれてしまったんであった。少女と対面したところがミラの旅の終着点だ。
香港幻想(または台湾幻想)を潜り抜けた先にはイノセンスがあるというのが押井守の確信的な願望で、『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』も『赤い眼鏡』も『ケルベロス』も『天使のたまご』も『迷宮物件』もそして『イノセンス』も、もうなにからなにまでお前ほんとそればっかだなと思うが、すべては無垢な少女の空想である。無垢な空想は無制限の欲望の入り乱れる出口のない九龍城塞なんである。俺のゴーストがそう囁いてるから間違いない。
ギリアムの『ローズ・イン・タイドランド』は天才子役ジョデル・フェルランドが干潟の空虚をカオティックな空想でサバイブする。人気ゲームの映画化『サイレントヒル』では廃墟の町とその住民たちがジョデル・フェルランドの怨念渦巻く空想世界に取り込まれる(その母親役で、主演のラダ・ミッチェルの役名はローズという)。
ミラは、『ゴースト・イン・ザ・シェル』のミラ少佐も、電脳と香港の迷宮の先で失われた己の少女を発見すんである。ゴーストとはいつか通り過ぎたイノセントな自分の亡霊に他ならない。それは押井守とテリー・ギリアムとハリウッド・オタク・アクションとサイバーパンク的なものすべての夢なのだ。
よかったよな『ゴースト・イン・ザ・シェル』。いやなんかあんまり盛り上がらないんですけど、そんなに楽しい感じの映画じゃないんですけど、ちょっと感動しちゃって…実は原作は読んだことない、押井版はむかし一度見たきり、しかも大して面白かった記憶がない、思い入れも全くない、テレビシリーズSACの第一期は完走したけど嫌い、第二期はそれほど印象悪くなかったけど6話ぐらいで挫折。
あれそれ『攻殻』に向いてない人なのではと思うが…ともかくその程度の浅知識でも2時間の映画で、しかも予算と同じだけ制約も多いハリウッド映画で、殊更にマニアがうるさい、かといって誰にでもヒットするキャッチーさはないし、更に言うならもうぶっちゃけ古い…『攻殻』を実写映画にするっていう企画がどんだけの難産確定クレーム案件地雷地帯か想像するのは難くないわけじゃないですか。
それが、でも、ちゃんとした普通のSF映画になっている…ちゃんとした普通のSF映画になっている! それだけでもすごいことだと思うんですけどオマージュとファンサービスも織り交ぜながら合意と主体的な意思決定を是とするリベラル的なハリウッド命題に上手いこと合致する形でまとまっていて。ハリウッドオタク映画の正統発展形て感じで。
なんか、とんでもない普通を見たなって思いましたよね。こんなに関わった人間の苦労の伺える感動的な普通はないですよ普通。まぁ普通なんだけど…だからその普通が普通はできねぇって話をしてるんだ! 怒ることでもべつにないが!
面白いところはいっぱいあったがなんすかね残念も含めて9課の面々だな、そこ、求心力高い部分だな。あの9課がハリウッド映画化でこうなる。スカヨハの少佐、ビートたけしの荒巻さんはさすがに見る前から知っていたので驚きはないがピルー・アスベックのバトーが意外と意外とハマっていたのは嬉しい予想外だったし、一見してちょっと笑ってしまうチン・ハンのトグサもラーメン食ってる場面の生活臭がたまらなくトグサで大いに良し。
だがなにより言うべきはイシカワでしょう。イシカワ、ブラザーになってたよ。なんつーかあまりにも安直な置換に思えて逆に衝撃的だったが、それさえ見ているうちに馴染んでくるあたりこの「普通さ」の案配はやはり尋常ではない。
残念だったのはこの大変味のある9課がほんの添え物扱いで全然出てこないところ。ストーリーのベースは押井版で、「草薙素子が9課に残った」SACの前日譚的なポジションだからなのだが…ええところでのサイトー登場そしてラストの9課横並びの構図を見るに当然構想されていたに違いない9課メインのSAC的続編の可能性が興行大コケによりほぼ絶たれてしまった!
これはめっちゃ痛い…一応単品としてもそれなりにオチはついてるがでもやっぱり中途半端に感じてしまうし…もっと見たいぞこの9課…! 三本契約でもう二作目の製作入っちゃったからみたいな感じでなぁなぁで作ってもらえないでしょうか…。
ちなみに絵的にはかなり迫力がなくてつまらないのでコケたと言われればそれはそれでまぁ、確かに…という気はする。冒頭の襲撃シーンの弛緩ぷりが既にひどい。
とはいえオタク映画の強みは接続文脈によっては一般的な無価値が希少価値に転ずる可能性のあるところでこのヘボ襲撃シーンもドルフ・ラングレン版『パニッシャー』の枯れたヤクザビル殴り込みシークエンスを彷彿とさせ味を感じてしまった。
そんな無理くり…! いや無理じゃない! なぜならラングレンと言えばビートたけし(そしてキアヌ・リーヴス!)と共演のサイバーパンク本流映画『JM』があるからであり、そもそも『JM』もヘボだという話もあるがヘボとヘボも掛け合わせれば味になるんだ!
『ブレラン』、『JM』、『攻殻』、『マトリックス』…部分的に重なりながらもそれぞれ独自の流れに属していたサイバーパンク映画のビジュアルイメージが一本の映画の中で共存するのが『ゴースト・イン・ザ・シェル』だと言えばその「普通」の偉業を改めて感じるだろうが! 感じたところで面白くなるわけではないが!
とりあえず吹き替え版で見たんですけどやっぱいいっすねぇオリジナルの声優陣が揃うと。この捻じれ感覚。桃井かおりの声優さんが桃井かおりっぽいイントネーションで喋る、なんてもうもう電脳ハック的快楽すよ。
どうせならたけしさんも吹き替え入れちゃえばよかったのにな原語が日本語セリフだけど。なんかモノマネ芸人の人とか呼んで。ダンカン馬鹿野郎とか勝手に言わせちゃって。
まぁダンカンてジョーンズの方なんだけど音楽担当クリント・マンセルの代表作のひとつが『ブレラン』直影響監督ダンカン・ジョーンズの『月に囚われた男』って意味で…みたいなよもやま話の尽きない映画だな『ゴースト・イン・ザ・シェル』は。
よしもう一回こんどは字幕で見よう…。
【ママー!これ買ってー!】
『攻殻』の方はどうでもいいが続編の体で押井守が好き勝手やってるだけの『イノセンス』は本当に何度見ても飽きないな。『ゴースト・イン・ザ・シェル』ではあまり取り上げられていなかった(ので物足りなく感じてしまう)都市風景と装飾的台詞と音楽と、物語の余白だけで構成されたような家具の映画、映画っていうかリラクシングBGVみたいなものだなもはや。
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