映画で見るブラック社会の逃走論『全員死刑』(ネタバレなし感想)

《推定睡眠時間:0分》

映画が始まると「小林勇貴㊗監督作品」のテロップが出る。しかもエンドロールの最後にも出る。こんなに大々的に監督ネームをアピールする新人監督の商業デビュー作とか広い世の中には探せばあるのかもしれませんが俺はたぶん見たことない。少なくとも㊗は絶対ない…。

監督の愛されキャラの為せる業だがこれだけ名前をアピールしているのだから特に他意はないがグザヴィエ・ドランのような作家性の強いオール俺様映画のようなものかと思いきや、そうではないというのはこの人の映画をちゃんと追いかけてた人には周知の事かもしれないが俺はこれ見て理解しましたね。

つまり小林勇貴という名前はブランドじゃなくて旗印なんだと。作品の品質保証じゃなくてこういう映画やるから一緒に楽しもうぜみたいなメッセージを宿した記号だと思ったので前々作だかの『孤高の遠吠』の惹句が「強制参加型反抗映画」だったことに今更膝を打ったりする。

地元の不良と一緒にシナリオも演出も練り上げていくボトムアップ式の民主主義的映画制作術も立ち位置の定まらない若者が為す術もなく地元の犯罪的な人間関係に絡め取られていくストーリーも、興業と観客の反応の中で初めて完成するようなところも含めて強制参加型って言ってたんだろうな。こういうの、ちょっとアイドルに近いのかもしれない

で『全員死刑』。死刑囚の手記をベースにした鈴木智彦のノンフィクションの映画化。上納金滞納で首が回らなくなってしまった福岡の底辺ヤクザ一家が強欲金貸し一家を皆殺しにしようとするがなかなか上手くいかないから殺しは楽じゃないし生活も楽じゃないし家族も楽じゃない。楽じゃないというお話。

めっちゃ笑った。面白かった。面白かったけどこれあれだなこういう内容でこういう場面が面白くてみたいなこと書いてもしょうがないな。アイドルのライブルポとかセトリに情報価値がないとは思わないがいくら読んでもライブそのものの面白さは伝わってこないのと同じで。作品単体じゃなくて現象とか祭りとしての映画っていうコンセプト(かどうかは知らない)は『孤高の遠吠』と変わらないと思った。

実録ものだし出演不良の失踪によるシナリオ変更とかそういうハプニング要素がない分だけ『孤高の遠吠』より一貫性のある内容になっていたように思うが、自由な解釈や参与を許さない理路整然としたあるいは美意識の隅々まで行き届いた「作家の」映画を観客に押しつける気なんてないんだろうな。
結構めちゃくちゃ。ジョークと遊び心みちみち。だからダサいところも意味不明なところもある。演出もシナリオも。

好きなところを挙げると強欲金貸し一家の住む民家。殺人次男の間宮祥太朗がここに入っていく場面が怖い。怖いのは殺しに向かう間宮祥太朗じゃあなくて民家そのもの。なんかすごく誰かが監禁されたり解体されたりしてそう。時節柄、不謹慎だが。

たぶん外面を気にしてないように見えるからだろうな。外の人間が訊ねてくることもないし、だから取り繕う必要もないしっていう。金庫を奪った間宮祥太朗は外から丸見えの庭で解体作業を行う。誰も見てないって分かってるから犯罪に抵抗がない。割れ窓理論のようなもの。おそろしや地方犯罪社会学。

一家皆殺しの顛末だけ聞けば鬼畜の所業かと思うが少なくともそのように見せる意図は感じられない。怖かったり滑稽だったりするのは状況の方で、状況に翻弄されてただただ流されていく人間の弱さ愚かさ哀しさが決してセンチメントにではなく強く迫ってくるのは個人よりも結局は状況が強い力を持つ地方の環境を、あるいは日本的組織風土とかいうものを、この監督は嫌というほど知っているからなんだと思った。

個人の自由がないところには移動の自由もない。小林監督の映画としてはもはや当たり前なので特に強調されることもないが、民家とコンビニとカラオケと病院を車で行ったり来たりするだけの舞台設定の狭さは強烈だった。で、それは家と会社とコンビニとたまにパチンコ屋とかを行ったり来たりするだけの都会のブラック社畜とどう違うのかという話でもあるのだ。

見ていて思い出したというか、ついこのあいだそんなような状況の知人の人と話していて、その人は地元にUターンして親戚(ここでも血の繋がりが物を言う)のツテで働いていたがブラック待遇により退職。辞めたはいいがしかし地元は仕事がない。いろいろ転々としヤクザ(?)からの風俗店長オファーを回避するなど紆余曲折を経て最後に頼りになるのはやはり人脈、仕事で知り合った人に偉そうな会社経営者のお付きを斡旋してもらう。

だが当然ながらお付き職は休日もない超絶ブラックだった。ブラック勤めで満身創痍なので辞めるよう勧めるとそれはできないと言う。何故かと言えば仕事を紹介した知人の面子を潰すから。紹介者に騙されたことをその人は知っているし今の職場環境が異常であるとも認識しているが、それでも逃げることができない。むしろ常日頃パワハラを受けている会社経営者に自分の能力を認めさせようと頑張ったりしてしまう。状況と関係に拘束されるの図。

さてどうしよう。そういう状況に陥ってしまったらどうしよう。結構、現代日本の一般的な課題ではないかと思えるのでやはり社会派の小林監督だがそれに対する当座の回答というのは過剰にふざけてみることとかお祭り騒ぎにしてしまうこととか、つまりは真面目に深刻に見える状況がその実いかにバカげているか、バカげた状況に個人を殺されることがいかにいかにバカげているか、素人の不良も無責任な観客も巻き込んで自分から体験させてしまうことなんじゃないかと思えば、旗印としての監督ネームというのも解放の戦略なのかもしれない。

小林監督が多大な影響を受けてんだろうと思われる石井岳龍『爆裂都市 BURST CITY』の惹句「これは暴動の映画ではない。映画の暴動である」を引いて「(作家による)映画の解放ではない。(観客の)解放の映画である」とでも言っておくことにする。

※すこし修正した

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小林勇貴は渡辺文樹に似ているという人もいれば石井岳龍という人もおりはたまたジョン・ウォーターズっぽいという人もいるのでおもしろいですね。ぼくは松本俊夫的じゃないか説をぶち上げるぞ。ドカーンと。

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