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オリエント急行の行路風景が箱庭的ファンタジーで束の間鎌倉ものがたりのシアターに間違って入ってしまったのかと思ったと思ってもいない白々しい嘘を吐いておきたい山崎貴監督の映画のよう。
光の速さで情報が飛び交う21世紀映画の移動は軽い。移動が軽いと異国情緒も旅情もない。だいたい、オリエンタルのタイトルがポストコロニアル的観点から既に絶滅待ったなしの政治的レッドリストだろう。
ていう感じはありつつそれでもやっぱりわくわくの寝台付き長距離列車オールスター群像旅行記付・殺人。ジュディ・デンチ、ペネロペ・クルス、ジョニー・デップ、ウィレム・デフォー、セルゲイ・ポルーニン(えぇ?)とかとかそして監督兼ポアロのケネス・ブラナーがオリエント急行続々乗車、シネスコいっぱいの機関車が発車進行ときたら感興ドバドバ出る。
知らない世界とか知らなくはないけどあんまり馴染みのない世界に連れて行ってくれる観光映画はいい。『ナイアガラ』なんかストーリーは別に面白くないけどナイアガラでロケしてるからいい映画に見える。
移動の高速・自由化と情報流通量の爆発的増大の当然の帰結なんだろうな、観光映画の成立しにくい21世紀映画で妖怪とか魔法の国とかじゃなくてこういう正統派の観光を敢行しているのはうれしい。
車窓から見えるのが山崎貴的箱庭ファンタジーだろうが。ターミナル駅の群衆がいかにも空々しく力がなかろうが。嘆きの壁からお話が始まってポアロが客船に乗り込む『ナイル殺人事件』的サービス観光映像もあったからぜんぶ許す。よし。
それにしてもストーリーが触れにくい。なまじ有名なオチなものだからどう言ってもネタバレを甘噛みしそうな感じがある。触れないでおこう。どのみち触れようが触れまいが、みたいなお話だったから。
つまりなんていうかミステリーとしては結構薄かった。原作もシドニー・ルメットの映画版も見たのは10年以上前なので細部はどうかわかりませんが、ストーリーの大筋はそれほど変わっていないように感じた。でも薄い。
なぜ薄いというと論理とか謎解きよりも映像美とか容疑者乗客の心の機微の方に時間を割く。松竹版『八つ墓村』で渥美金田一が「いや、そんなことよりも!」と謎解きを自ら放棄するが如く。ポアロの謎解きを半ばダイジェスト処理で済ませてしまい、後は情緒に委ねるのだった。
トリック自体は何周どころではない回転をしてしまっているアガサ・クリスティの古典の再映画化なんだからそういうアクセントの置き方はまぁありか。要するに、エモい。
あまり覚えていないが前の映画版オリQはエレガントでストイックな雰囲気だったように思う。シドニー・ルメットが監督だから密室人間模様が辛い。アルバート・フィニーのポアロは眼光鋭く怖かった。怪異なる密室殺人に挑むにその怖さが必要だったのだ。
新版オリQのブラナーポアロはどうかと言うとこれが甘い。柔和フェイスの好々爺風情で果たしてこんな人に謎が解けるのか、一抹の不安を覚えるわけだが謎解きが重視されない今回のオリQなので別にそれで構わないという演出意図なんであるたぶん。
ポアロが解くのは人のこころ。密室殺人の状況がそもそもクローズアップされないくらいの新版オリQなのだ。なんとなく殺された人が殺され損という気がする。
ところで映画内では言及されないがこのポアロは高機能自閉症のような人で、その性格的偏りが弱さとしてわりと前の方に出ている。スーパー推理力を持っているがそのことで社会と折り合いが付けられず悩んでいるポアロなのだ。世の中には善と悪しかない! 真実はいつもひとつ! 融通が利かない。
ある意味で新版オリQはポアロが社会に折り合いを付ける話でもあったが、察するにポリティカル・コレクトネスがそのキャラ設定の一因になったんじゃあないだろうか。
人種差別がどうのという場面がちょいちょいある。クリスティがそんな人格者だとは思えないので脚色された部分だろう。まぁオチに絡むのでそれ以上は言いにくいが。
エモとポリコレというのは適量なら益になるかもしれないが量が過ぎると毒になるんじゃないか。正直なところちょっと嫌な感じで、ポリコレをエモでドライブしちゃう作劇を良しとしてるといずれナチスみたいな「健全な」芸術に行き着かないか、というようなことをまぁなんていうかほらやっぱりこういうオチのお話だしさぁ。危惧もある。
ルメットもクリスティもこういうことはしない。暴走するエモをロゴスで目の前の現実に引き戻す。『丘』とか『質屋』とかルメットの場合は希望的あるいは絶望的エモが乾いた現実に叩き潰されるその落差でまた別のエモを生んだりするが、いずれにしてもロゴスの重さとかリアルの痛さがあってこそエモは、または甘さとか優しさも生きるんじゃないかと思うところ。
旧版に思い入れのない俺には観光度とか映像美から新版の方が面白く見れたが、そういう理由で好きなのは旧版の方だった。
あとこれ『ナイル殺人事件』に続くようですが探偵ユニバース構想とか考えてねぇだろうな。やるなよ、やるなよ(押すなよ的に)
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スラッシャー映画勃興前夜の過渡期的殺人鬼サスペンス於パーティトレイン。謎解きという意味ではこっちの方が本格的にやっているような気がするが本家本元なのに亜流より謎解きしてないように見えるのはどうなんだ、新版オリQ。
↓その他のヤツ
オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
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八つ墓村(松竹)