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のろろ様とかいったと思うがこの舞台となる港町には異神信仰が古くから現代まで連綿と生き続けており切り立った崖の上からクトゥルー埴輪みたいでかっこいいのろろ像が海を見下ろしている。
のろろ伝承がどのようなものか細かな部分は忘れてしまったがたしか海から現れなにかしら村人に悪さをしたんである。村人は一致団結してのろろ様を海に追い返して、以降祟り神的な村の守り神と化す。
一見、今では形ばかりと見えたアナクロ信仰も意外と町民のこころに深く浸透しているようで、主人公の役場職員(錦戸亮)なんかはのろろ像を見れないわけじゃあないけれども見たがらない。神は神でも祟り神であるから見るとなんとなく悪いことが起きそうな気がする。のろろ様を見てはならぬというのがのろろ伝承の基礎ルールであった。
のろろ祭という奇祭もあるがこの奇祭はのろろ様の被り物をした町民を大名行列のように白装束の町民が囲んで町中を練り歩くというもの。のろろ様を見てはいけないので民家は戸を閉め白装束の行列はうつむいたまま歩き続ける。
誘導・交通規制にあたる警官も行列が来ると律儀に頭を下げる、奇祭の名に恥じない異様な光景。祭りっていうか葬儀みたいなイメージなので宴会は楽しいがその後の祭祀自体はぜんぜん楽しくない。
こんな奇祭があったような、と思い出したのは『封印作品の謎』の安藤健二がハフィントンポスト日本版に寄せた沖縄の八重山諸島に伝わる豊饒の神“アカタマ・クロタマ”祭りルポで、だいたいいつもJキャス系のネット事件・炎上事件をお仕事的に退屈そうに書いている安健がこの取材記事に限ってはめっちゃ筆がノリノリだったので覚えていた。
アカタマ・クロタマの異名を持つこのニーロー神なる神様を祭る儀式は部外者立ち入り禁止、撮影も禁止、ウン十年前には撮影を強行しようとした映画監督が住民に「撮ったら殺す!」と追い出されたとの逸話もある実にこう、香ばしい感じの秘祭だから封印系ライターとしては水を得た魚状態だったんだろう。
その封印臭ぷんぷんのニーロー祭りは件の記事を読み直すと行列の人が歌いながら踊っていたりしてなんか、たのしそう。安健の表現を借りればニーロー神は「顔を一つにしたポケモンのナッシー」だそうです。
インスタ映えというかツイッター映えしそうな気がするのでなんかすごい見てみたいが撮影禁止だから画像がない。どうせネット探せば出てくるんだとおもうがここは見れないということにしておく。『羊の木』だってのろろ祭を写真に収めたことでお話がよからぬ方向に転がってったし、やっぱ奇祭は写真で見るものじゃない。
ニーロー神の名の由来はニライカナイと記事にある。祭祀内容的には陰と陽、対照的なニーロー神とのろろ様だったがどっちも海の向こうから来たよくわからんなにかで、外部の目からあるいは内部の目から、ともかく目からその存在を秘匿しなければならないというのが共通するのでおもしろいとおもうが要するにこの異神というのは異人だろう意味するところとしては。
外の目から隠すか内の目から隠すかというのは異人をどう扱ったかの違いなのだと言い切るだけの材料も持ち合わせていないがしかしともかく、のろろ神に関してはそうであったはずである。
だって『羊の木』は人殺しのよそ者をどう受容するかっていうことのお話なので。殺人の過去に苛まれる仮釈放6人衆を受け入れる側もまた、のろろ様が伝える古の異人殺しの記憶に目には見えない罪を感じているんである。
そういう物語の下地のところは面白いんだけどでも映画全体でどうだったかっていうとそうだなガッカリしなかったって言えば嘘になるけどガッカリしたって言ってもまぁ嘘になるよな…。
なんていうか陳腐で。そんで大仰で。かつ大味で。ようするにやたら時代がかっているように感じ…いや、吉田大八という監督がカリカチュアの作家というのは一応一応わかっているつもりではあるが、それにしてもメタファーをメタファーとしていかにもバタ臭く画面に押し付けたりとか随分と粗雑なカリカチュアではないのかこれは。
なんか、殺人犯6人衆の新生活の描き込みがすごく浅いんだ。受容する側のキャラクターも浅いんだ。町の全体像が見えないから殺人6人衆の個々のドラマが有機的に結びつかないんだ。殺人6人衆と地元住民の軋轢とか不安定な関係の表現が、暗闇を切り裂くパトランプとか港で揚がった変死体とかっていうたいへんベタにざっくりしたものなんだ…。
類型的な殺人犯を6人置いて、各々のコードに従った解決を見る、という展開で…人間に裏もなければ表もない…正確には裏と表が見え透いている…ということは最初に出てきた時から誰もキャラ変化を遂げない…だからサスペンスとかもない…あいつなら悪事を成すだろうと思ったやつが悪事を成す…あいつなら赦すだろうと思ったやつが赦す…そのストーリー全然面白くないじゃんと思うんだ俺は…。
そりゃまぁこういう乾いた作りを人間結局変われないよねみたいなニヒリズムの表現と好意的に受け取ることもできるし、説話的な構造としてあえて単純化されたと考えることもできるし、でも作り手の狙いと見て面白いかどうかは別の話だし…逆に説話なら説話らしくやればいいのにと思ったな変に現代感覚に寄せたりしないで。別に時代とか関係ない話なんだからこれ。
でも映画のおもしろさはつまらな要素に別の方向から光を当てると一気におもしろ要素と化す多義性にあるので、これも、殺人6人衆がステロタイプでキャラ成長率0でクソ面白くねぇと文句は言ったが、キャラ成長率が0ということはつまり松田龍平っぽい松田龍平とか北村一輝っぽい北村一輝が2時間に渡って堪能できるということだから物語は全然面白くないと思うがお芝居鑑賞映画としてはもう、眼福&眼福というほかない。
市川実日子の殺人犯ですよ、市川実日子の。うわぁ! やった! あの目つきで人を殺さないのは嘘だからこれが見たかったんだって感じだ。女殺し屋の市川実日子が下衆な男どもを殺しまくるアクション映画の夢が一歩実現に近づいた。
それに北村一輝がな、北村一輝めっちゃ北村一輝だったわ! すごいんだよすごいもう絶対に確実に悪い人なんだよ北村一輝が! こんなにドストレートに悪のフェロモン出してきた北村一輝とか久々なんじゃないですか! カズキ100%じゃないですか! 物語がつまらないものだから余計に北村一輝の毒にヤラれたよね! 北村一輝がはやく悪いことしないかとわくわくしちゃったよ! こんなつまらない町さっさと崩壊させてくれっておもったからどうかしてるし同化もしてるな。
で松田龍平ですよ。『探偵はBarにいる』ばりに強い松田龍平、『散歩する侵略者』みたいにふわふわした松田龍平、『青い春』のような虚無を秘めた刹那的松田龍平さえ入ってる松田龍平の全部乗せじゃないですかこれは…!
祭りだな。松田祭りだ。実際このおはなしの諸々はぜんぶ松田龍平の苦悩と混乱に集約されていくのだから国家プロジェクトがどうとか殺人犯の受け入れで町はどう変わるかとか壮大っぽい話はどこへ行ったんだと思うがのろろじゃなくて松田祭りだったんだからしょうがないよ。
100%の北村一輝、全部乗せの松田龍平、ついに殺人開花の市川実日子。もう、こういう見たかった役者さんの見たかったやつが大画面で見れたら文句のつけようがないですね。散々ディスった後に言うことではないとおもいますが…。
【ママー!これ買ってー!】
とくになにも浮かばなかったのでオーケン異人譚を貼る。
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