《推定睡眠時間:5分》
映画から飛び出してきたモノクロのお姫様が綾瀬はるか! まではまぁ、いいんじゃないかと思った。この劇中劇というのは戦前の珍品という設定。いや、確かに綾瀬はるかさんは美人だとは思いますが、顔の作りからスタイルから台詞回しから所作から…戦前の映画で主演を張るスター女優という配役はちょっとでは済まない無理があるんじゃないかと思いつつでも俺も大人ですからね! 映画製作の裏側には大人の事情もいっぱいあるんだろう! 忖度しますよ俺は!
あまりに突飛な内容だったため客の不興を買い(※想像)戦後はフィルムが逸失してしまっていたこの劇中劇がどういうものかというと、『ローマの休日』状態の綾瀬はるかが退屈に耐えかねてお城(西洋風)を抜け出したら河童とか猪八戒みたいなやつとかに出会うのだが、そこで妖怪三人衆が歌いながら踊り出すというつまり『オズの魔法使』です。
うーん、珍品! カラコレで色抜いて動画編集ソフトにプリセットで入ってるフィルム傷エフェクトをかけた(ようにしか見えない)以外は当時の映画の質感皆無という激甘ルックを度外視しても珍品でびっくりする。あとなんか俺は知らないけど忍者ものみたいなテイストも入ってた。
こんな珍品は上映即封印も当然だろう、映写室のフィルム庫に入れられたまますっかりその存在が忘れられて、その間に太平洋戦争に突入して終結してしまった。
時代の変遷とフィルム缶が錆びていく様子を玉音放送なんか使いながらワンカットで表現しているが、これは黒澤明『姿三四郎』の…とにかく映画オマージュを込めたかった脚本家と監督の思いだけはビシビシ伝わってくる。それが良かったか悪かったかはみなさんで見て勝手に判断してほしい…ぼくはちゃんとお金払って見に行ったんだからさ…。
さて、この時代の徒花がようやく再び陽の目を見たのは昭和34年になってのことであった。映画監督を夢見て太秦で働く助監督のマキノさん(!)こと坂口健太郎が、足繁く通っている柄本明が館主の映画館「ロマンス劇場」の映写室で発見したんである。
営業終了後にそのフィルムを回してスクリーンの綾瀬はるかお嬢様に見入るマキノさん。とそのとき、稲妻がロマンス劇場を直撃! 今度は『フランケンシュタイン』か。
どういう原理か分からないがともかく稲妻ショックで綾瀬はるかはスクリーンから出てきてしまった。公式サイトに載ってるプロデューサー氏のお言葉によれば『カイロの紫のバラ』とか『キートンの探偵学入門』をやりたかったらしいが、俺の印象ではスクリーンから飛び出したモノクロの綾瀬はるかは『リング』の貞子だった。
その後は『蒲田行進曲』オマージュとか適当にやりつつのマキノさんと綾瀬はるかのお決まりのラブストーリーになるわけですが、ひとつだけ言っておきたいのは忘れられた自分(の映画)を見つけてくれたから綾瀬はるかがマキノさんに惚れるという展開は観客を高く買いすぎだろということで、お前そんなこと言ったら日夜地道な散逸フィルムの発掘と修復と研究とアーカイブ化に勤しんでるフィルムセンターの研究員の人とか在野の映画研究家の立場がねぇだろあのマキノさんただ趣味で映画見てただけじゃねぇか趣味で映画見てるだけの観客そんな偉くねぇわ俺も含めて!
とは客商売の都合、映画の中で言えるわけもないことも分かってはいますがね。ケッ!
でもおもしろかったですよ、最終的には。おもしろかったし、あとすげぇ惜しかったよ。すげぇ惜しい。これはたとえば韓国映画界が権利買ってリメイクしたら傑作になると思ったよな。
リメイクしたらっていう前提条件がかなしいよね。でもリメイクしたらって感じだよ。これは秀作じゃなくて習作だな。なにからなにまで未完成の試作品だとおもったよ。
だってもう、冒頭の劇中劇の時点でダメじゃん。本当に酷いよ。戦前の幻の映画っていう設定を客に納得させる気がゼロなんだよ。こんなん絵コンテじゃん。完成品こんなイメージですみたいなプレゼン資料じゃん。
綾瀬はるかが戦前の女優に見えるか見えないかっていうのは副次的な問題で、それはだって事務所力学とか興業判断とかで外せない部分なわけじゃん。でも綾瀬はるかが出てる劇中劇をちゃんと戦前の映画っぽく作り込むことは出来るわけじゃん。
そこ蔑ろにして『蒲田行進曲』オマージュとかマキノ姓とか、ちょっと無神経っていうか…無い。
シナリオだってこんなの完成稿じゃないよプロットだよこんなの。映画の中の住人が現実に出てきたらどうなるっていう部分とか全然掘り下げねぇし、綾瀬はるかは地肌がモノクロだからファンデーション塗ってごまかしてんだけど、その後は雨に濡れようがなんだろうがずっと肌色だからじゃあファンデーションなんだったんだよっていう。
この地肌を別の色で覆い隠すっていうのはあれだな、是非はともかく昨今のPC基準を考えたら問題にならないのかっていう、そのへん頭回らなかったのかなぁっていう疑問もある。
冒頭の劇中劇に出てくる妖怪三人組も現実に出てきちゃったとか、常道かもしれないけど展開を盛る工夫はいくらでも考えられるわけじゃないですか、ファンタジー設定なんだから。でもそれをやらない。
お話に工夫がないわけじゃなくて綾瀬はるかは生身の人間に触れたら消えちゃうから好きな人(マキノさん)に触れられないっていう面白いやつはあるんだ。でもなんでそうなのかっていうことは説明しない。
ちょっと待ってくれよとおもう。それはさぁ、それは作り手が考えるべきことじゃないですか、ストーリー全体の辻褄合わせとか、現実にはあり得ないことにどう見せかけの説得力を持たせるかとか…。
オチのところはおもしろかったんだ。これはなんか、韓国映画とかでよくやりがちな、でも韓国映画だったらそこからもう二三展開あったりする類いのもので、物語は病床に伏して死を待つばかりの現代のマキノさん(加藤剛)がむかし書いた脚本を看護師さんに読み聞かせているという体だから入れ子構造。
そこらへんの映像的な処理が上手くいってないように見えるけどだからつまり、映画の中から出てきた綾瀬はるかとマキノさんの恋愛はマキノさんの願望混じりのシナリオに過ぎないっていう物語になってるわけ。
でも映画の最後に昔と変わらぬ姿の綾瀬はるかが現われて、触れたら消えちゃうの覚悟で臨終のマキノさんを抱きしめるの。
単なる映画脚本と思われた出来事は全部マキノさんの実体験で、綾瀬はるかとマキノさんはお互いに指一本触れないまま何十年も愛を育んできたっていうわけ。あるいは死の間際にマキノさんはそういう幻覚を見た。そういう、叙述トリックみたいのがある。
これはおもしろかったよね。なんか泣ける風だし。
だから骨子は悪くないよな。全然悪くないとおもうよ。でも肉が付いてないんだ。触れたら消えるっていうルールを設定したならそこから直に触れないためにいつも手袋をしてるっていう状況も考えられるし(※それはやっていた気もする)、いつも手袋してるっていう状況から近所の人に怪しまれて疎外されてるっていう状況もまた考えられるし、肉を付ける余地はいくらでもあるじゃん。
柄本明の過去とかそのへんももっと掘り下げてくれたって…とにかく、それが予算的な問題なのか時間的な問題なのか事務所的な問題なのか技術的な問題なのかは知らんけど、肉ゼロ。野菜スティック。
映画の世界は退屈だからと現実世界に出てきた綾瀬はるかだが、こんな企画ばっか回されるんなら確かに映画から足を洗った方が綾瀬はるかのためになるんじゃないか演技人として…。
映画脱却願望を綾瀬はるか本人の願望と読み解けばそれはそれで、まぁおもしろくはなるな。あと若大将映画みたいのに出てるスーパースタァをノリノリで演じる北村一輝は最高ですから。そこは、最高ですから。
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ざっくり分類すれば同じような話だとおもうがクレしんの方が遙かに映像密度が濃くて脚本も練られてたぞ!