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昨年の『映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』巻末での次回予告、ドラえもんが海賊キャップを被っていたのでこれは! と思い、後に判明したタイトルは『のび太の宝島』。
わさドラ版の映画ドラえもんは旧作タイトルに「新」を冠したリメイクものと、それまでの映画ドラえもんにはあまり見られなかった要素を積極的に取り込んだ完全オリジナルシナリオものを、ほぼほぼ交互に隔年でやっていたので昨年の『南極カチコチ大冒険』がオリジナルということは今年はリメイクに違いない。
ていうわけで完全にスティーヴンソン『宝島』ベースの冒険活劇にして旧映画ドラえもん後期の快作『のび太の南海大冒険』のリメイクを見るつもりで映画館に行ったらこれがもう全然違う。
違うとはいえ『南海』を彷彿とさせる場面も随所に見られたからプロットの出発点はそこだったんじゃなかろうか。ひみつ道具「宝探し地図」は共通して登場しているし、海賊およびゲストキャラの造形なんかはやはり『南海』を下敷きにしているのではないかと思われるところ。
けれどもそんなことを言ったら『のび太のドラビアンナイト』を思わせる場面(賊に攫われるしずかちゃん、とか)もあるし、『のび太と雲の王国』を思わせる場面(ひみつ道具のキャプテンハットと羽衣王冠の機能が一部重複、また悪役の目論む「ノアの方船計画」)もあるし、のび太の夢(今作では白昼夢だったが)を冒頭に持ってくる導入は『のび太のパラレル西遊記』や『のび太の夢幻三剣士』なんかでやっていたので、特段『南海』の語り直しを意図したわけじゃなかったんだろう。
脚本を担当したのは最近では『君の名は。』や『バクマン』やアニメ映画版『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』、古くは『電車男』や『サイレン FORBIDDEN SIREN』などを手がけた売れっ子プロデューサーの川村元気という人で、なんでもご自身で小説も執筆されているとのことだからクリエイター意識の強い人。
パンフレットのインタビューを読むとシーン毎の音楽をタイミングまで具体的に書き込んだ、と言っている。あくまで一般論ですが、自身が監督するわけでもない脚本で音楽のタイミングまで細かく指定するというのは脚本家の越権行為というか、少なくとも現場の人間にとってはあまり好意的に受け止められるものではない。
まぁ、それぐらい思い入れのある脚本だったってことでしょうね。そう考えることにしよう。同インタビューによればドラえもんオマージュを100個入れたそうだから、川村元気が今まで読んできたドラえもん、見てきたドラえもん、そして藤子・F・不二雄先生への想いをありったけ詰め込んだのがこのシナリオってことなんだろう。
あくまで俺としてはっていう前置きはしておくよ。俺としてはっていう前置きは一応しておくけど、その結果どうなったかっていうと…ちょっとこれは厳しい。
のび太たちが「宝探し地図」で見つけた宝島の正体は偽装した未来人の海賊船だったという話なのですが(このへん『南海大冒険』だ)、そこからの展開がえらく混乱していた。
なんつーかあまりに構成要素の取捨選択ができていないように感じたし、書いてる本人の見たい場面や出したいキャタクターを詰め込むだけ詰め込んで、全体を通しで見たときのストーリーの流れや整合性を殆ど考慮していないように感じた。
俺的わさドラ問題作『のび太と緑の巨人伝』にもこういう所はあったし、スラップスティックなわさドラ映画らしいと言えばわさドラ映画らしいのかもしれないけれども、にしたってもう少し構成を練っても良かったのではないかと思う。
それにディティールが甘すぎるよこれは…川村元気さんはF先生の大ファンだそうなのでこんな小言じみた事は言いたくないがだな…たとえば悪役キャプテン・シルバーが地球のコアエネルギーを吸い取って実は宇宙に人類を逃がすための方船(方船は確かにF先生が繰り返し用いたモチーフだが…)だった海賊船の動力とするというような事を言うわけですが、それなんなんだよって感じだ…。
キャプテン・シルバーが方船に執着するのは家庭の事情にプラスして(そもそも悪役に動機を複数持たせてしまうこと自体がこの程度のランタイムの冒険活劇には適さないと思うが…)未来の地球がエネルギーの枯渇で滅びる様を目の当たりにしたからだったが、具体的にどのようなメカニズムで崩壊に至ったかは映画の中で説明されない。
F先生は決してそんな風には逃げない作家だったわけで、物語の核になる設定については明確な説明をしていたし、そこで描かれる事象はいかにファンタジックな装いであっても科学的な(論理的な)原理に根ざしていた。物語は厳格な首尾一貫性を保っていて、その厳格さがあるからこそ論理の枠から外れる不可思議に面白さと迫真性があった。
本人は「すこし・ふしぎ」なんぞと韜晦するが、だからF先生は純然たるSF作家だったと俺は思っているし、奔放な想像力と現実の論理の間で常に格闘していた作家だったとも思っている。
おそらくはキャプテン・シルバーが現在の時点でコアエネルギーを吸い取ったせいで未来の地球は崩壊したのだが、『のび太の宝島』ではそれさえ最後まで説明されないので物語が宙ぶらりんのまま着地しない。
仮にシルバーの行為とは無関係に未来の地球が崩壊するのなら、その点に言及しないまま物語を終わらせるのはあまりにも無責任じゃあないのか。
家庭の事情というのは妻の死で、シルバーの妻はエネルギー危機を受けての新エネルギー開発の志半ばで病に倒れたのだが、このエネルギーがコアエネルギーを指すのが石油等々のエネルギーを指すのか判然としない。
だがどちらでもいいという話で、シルバーはドラえもんの道具が通用しないほど科学の進んだ未来の世界からやってきたわけだから、そんなもんわざわざ地球を破壊せんでも未来テクノロジー使って単に他の星に移住すればいいんである…そもそも太陽の膨張でどうせ地球は死ぬんだから。
件のインタビューで川村元気はF先生のコピーロボットになったつもりで書いたと言っているが、仮にリップサービスだとしても見識を疑わざるを得ない
こんな科学考証の形跡もSF精神の欠片もない情緒的で独りよがりナルシスティックでご都合主義のいい加減な脚本を書いておいてそれはないだろう。
好きなのはわかったけどそれはないだろう…好きが高じてF先生みたいなストーリーが書けるんだったら誰も苦労しねぇよ…。
もう大体文句は吐き出したので後は良いところを書こう。かわいい。今回の映画ドラ超かわいい。なんかデザインが少し変わったな。丸っこくなった。
ただでさえ可愛くなったドラえもんなのに今回ミニドラもたくさん出てくるから天国です。のび太くんもちょっとかっこ良くなってたんじゃないか。ていうかみんなかっこ良くなってたよ、微妙に。そこよかったです。
キャラデザといえば海賊の下っ端二人組、ビビとガガが印象的だった。なんか映画クレしんに出てきそうなビジュアル。出てくるたびに夫婦漫才を披露してくれる辺りもクレしんっぽい。悪役が男女二人組ってわりと映画クレしんのセオリーですよね…。
シンエイ動画的楽屋落ちか、と思ったがどうもそうではないらしいと味方枠ゲストキャラのフロックを見て気付く。今度は超ポケモンアニメに出てきそうなキャラだったのだ。
この人は所構わずナゾナゾを出してくるやかましい鳥ロボットをお供にしているのだが、こいつを丸めてモンスターボールみたいに投げたりする。カラーリングが赤と白だったから俺の思い込みじゃあないだろう、さすがに。
それでも疑う人はキャプテン・シルバーの海賊船に乗ってるお料理ロボットの姿を見てみればいい。ゴックじゃん。T字型に動くモノアイとかそれゴックじゃん。
お料理ロボットが、ゴック。…F漫画の落語的なストーリーテリングを参考にしたと川村元気は語っているが、お前まさか劇伴だけじゃなくてそれも脚本に書き込んでないだろうな。
ゴックがコックとか仮に書いてたらシャレにならんぞ。ゴックのコックとか鳥の謎かけが落語的だとか万一もしもあり得ないとは思うが仮にそう考えているのだとしたら本当にシャレにならないからな…まぁそんなことはないと思いますが…。
また愚痴になってしまった。もうやめよう。終わりだ。終わり! そうだなぁカートゥーンみたいに激しく動きまくる絵は面白かったよ!
ひみつ道具もいっぱい出てくるしね! それもう『のび太のひみつ道具博物館』でやったじゃねぇかよって思うけどやっぱ道具がいっぱい出てくると楽しいよ! 楽しい!
パロディもいっぱいだしドラえもんの限界を突破するド派手なアクションもいっぱいだ! なんか最後の方とか映画ポケモンみたいになっちゃった! 一体どうしたいんだよ映画ドラえもんを!
俺が若くして既にドラえもん老害の域に達してしまっているのか、それとも川村元気のクリエイターマインドが迸りすぎてドラえもんを突き抜けてしまったのか、そのへんは各自映画を見に行って判断してくれ。もうネタバレとか書いちゃったけど。
【ママー!これ買ってー!】
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『のび太の海底鬼岩城』からF先生の遺作となった『のび太のねじ巻き都市(シティー)冒険記』までの映画ドラえもんはF先生の強靱なストーリーテリングに芝山努監督の活劇性とケレンが乗ることで絶妙なバランスを保っていたので、F先生を失い芝山監督の手に託された後期旧映画ドラえもんはストーリーの形骸化や混乱を伴いながら急激にアクション映画化していく。
その一本の『南海大冒険』はストーリーなんか別に面白くないが芝山ドラらしいアクション見せ場満載のストレートな娯楽編になっていて、単純にたのしいので好き。