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ある程度年齢をカウントした人ならリチャード・マシスンの『縮みゆく男』とかそういうクラシックなのかもしれないが僕はヤング世代なので人間が小さくなるSFと聞けば頭に浮かぶのはスモールライトと『ドラえもん』。
スモールライトを大フィーチャーした旧映画ドラえもん中期の傑作『のび太の宇宙小戦争』には小さくなったしずかちゃんが開閉式のドールハウスで牛乳風呂に入るシーンがあったが、人間の想像力なんてたかが知れてますから似たような場面が『ダウンサイズ』にも出てくる。
違うのはこっちの小さくなって開閉式ドールハウスでお風呂に入る女はローラ・ダーンというところで、頭の中で勝手にこう、ふたつのイメージを重ねて笑ってしまった。
面白かったなローラ・ダーン。どういう場面かというと人間縮小会社(※便宜上)の本社でやってる講演形式の縮小実演の場面で、自らもダウンサイズした縮小道先案内人が小さくなると食費も家賃も光熱費だって殆どかからないから貧乏人でも大金持ち! みなさんもこぉんな豪華な家が持てるんですよぉ! とか言いながら豪邸ドールハウスをパカァっと開くとそこに入浴中の縮小ローラ・ダーンがいる。
「ちょっとあなた! どういうつもり!」「あぁ! ハニー、ごめんよ! …ちょっと待った、指に付けてるそれはなんだい?」「何って、ダイヤの指輪に決まってるじゃない!」「なんだって! 聞いてないぞ! …ハニー、正直に言ってくれ、幾らしたんだ。さぁ言うんだ!」「言えばいいんでしょ! 3ドルよ!」
めちゃくちゃ茶番である。このローラ・ダーンの茶番芝居は最高なので何度でも見たい感じだったが、映画の中ではここで出番が終わってしまった。
そこもっと見たかったのに…ていうのは結構、全編通しての印象でもあって、ショートフィルムとかはどうか知らないがアレクサンダー・ペインたぶん初のSF映画は風刺と寓意と捻りを詰め込むだけ詰め込んだ面白満載ストーリーも、そのストーリー上の風刺とか寓意とか捻りっていうのを主題に回収することに手一杯でSF的なアイデアとか画を見せることは二の次になっちゃったんじゃないか…の観。
『宇宙小戦争』には小さくなったのび太たちが一切れのスイカをたらふく食ったりプラモ戦車に乗り込んでミニミニ戦争を繰り広げたりみたいな題材に即したSFドリームがあったが、要するにそういう描写が無いし、あっても超なおざり。
小っちゃくなったらどうなったかと言えばノーマルサイズ世界の縮図があっただけだった、みたいな身も蓋もない映画だったのでそりゃあまぁ言いたいことは理解できますが理解できますがしかしそれにしても、センス・オブ・ワンダー皆無すぎないそれ。
惨めな現実に悔恨だらけの中年男がほんのささやかな夢を胸に現実からの逃避を試みるがたとえささやかだとしても夢は所詮夢に過ぎなかった、みたいな哀愁コメディとか撮りがちな人だろアレクサンダー・ペインて。
『ハイスクール白書』とか『アバウト・シュミット』とか。あと『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』とか…これはすげー良かったな、詐欺DMを信じた認知症の父親と息子のロードームービーで…その認知症の父親がブルース・ダーンだったのがローラ・ダーン出演のキッカケになんだろうなたぶん。
いやまぁだから、そういう人がSF映画を撮ったらこうなるよなっていう納得感はありますけれどもさ…やっぱもうちょいメリハリとか欲しいじゃん。もうちょいダウンサイズ生活に夢見させてくれないとさぁ、ダウンサイズ生活の夢の無さも実感できないじゃんさぁ。
もうだって最初っからダウンサイズ生活超つまらなそうって気がするもん。ダウンサイズを選んだ人は普通サイズの街だと暮らせないんで人間縮小会社のコロニーで暮らすんですけど、その街が東武ワールドスクエアみたいな感じで全然夢ないしあと狭いし。じゃあ東武ワールドスクエア行けばいいじゃんってなっちゃうじゃん。
なんかあってもいいだろコーラの海とか。ダウンサイズでコーラの海入ったら炭酸ボッコンボッコンして楽しいだろたぶん。でも海から上がったら全身ベットベトになってると思いますけど…。
だいたい映画が始まって即SFドリームがないからなこれ。ほんと設定自体に興味ないんだなって思いましたけどダウンサイズを発明した博士自らダウンサイズしてその成果を学会で発表するっていう場面が映画の冒頭にあるんですがー、この博士の立つ演台の上のミニ演台に囲いが付いてない。
これダメでしょ。ちょっとした地震とかあったら即天才博士落下死じゃん。聴衆は万雷の拍手だし報道陣すげーフラッシュ焚いてたけど相手ミニサイズなんだからその刺激で落ちてもおかしくないと思うんだよな…。
人間縮小会社の管理だって雑過ぎるんじゃないすかね。ここもやっぱり人間を小さくする台に落下防止の囲いを作らないんですけど、その上に縮小人間を拾い上げるときに金ベラ使っていて、それ絵的にはお好み焼きみたいで面白いけど絶対腕とか打撲傷負って後々訴訟沙汰になったりするよ。
SFっていうか寓話だから設定のリアリティは求めてねぇんだよっていうことなのかもしれない。ともかくそこは主眼ではなかったので、ダウンサイズしたマット・デイモンがコロニーを出る場面とかサイズを考えれば大冒険大スペクタクルだと思うがあっさりと流されてしまう。
僕は『ミクロキッズ』大好キッズだったのでダウンサイズしたら普通の昆虫めちゃくちゃ怖ぇマジで死ぬっていうのを深く肝に銘じているが、そういう映画ではないのでマット・デイモンは巨大昆虫と死闘を繰り広げることなくコロニー外を満喫してしまう。
大自然の中で巨大タンポポを見上げるマット・デイモン…なんか『地球の長い午後』みたいですが、ただ見上げて綺麗だなぁて言うだけでそれ以上は別になにもなかったです。
ダウンサイジングを決断したマット・デイモンがバーで飲んでいると貧乏そうな飲んだくれが絡んでくる。お前らいいよな、何も生産しねぇくせに悠々自適に生活するんだもんな。だったら選挙権も1/8にダウンサイズしたらいいんじゃねぇのか?
題材に対するアレクサンダー・ペインの興味はもっぱらメタファーにあるわけか。なにを意味すんすかね縮小人間。不法移民のメタファーでもあろうし、人種的マイノリティのメタファーでもあろうし、タックスヘイブンみたいな制度の抜け道を利用した節税策でまんまとバカを出し抜く金融的人間のメタファーでもあるように見える。
並べてみると無節操な気もするが、こういう複合的なメタファーがラストの案外大仕掛けな展開を呼び込むというお話ではあった。
たとえば強権的な政治体制の下で政治犯が体制側にダウンサイジングされるなんて現実的には全く意味がないけれどもストーリーの上で寓意的な意味はあるわけで、諸々の多様な縮小人間イメージが一つの巨大なイメージに統合されていく展開はなかなかスリリングでダイナミック。
でも全然、興が乗らない。つまり結局は最初に言ったことの繰り返しになるわけですが、寓話を寓話として大人の視点から語ってるような主題先行型の映画なんで、そういうのって脚本の上では面白く見えるかもしれないけれども映像にしたときには弱い、弱いっていうかSF感性の無さがディティールの粗さにこの場合は直結していて、そのことが主題の迫真性をかなり損なっている気がしたので結論としてはアレクサンダー・ペインSF読め。
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『ダウンサイズ』は上映時間が135分ぐらいあるがネタがわりと被っている『雲の王国』は100分ぐらいで強引にまとめているのでSF感性を含めて見習ってほしい。