《推定睡眠時間:45分(併映短編含む)》
本編前の併映短編『アナと雪の女王/家族の思い出』が糞長ぇと本国での公開の際には物議を醸したらしいが開始5分で寝てしまったのでぼくは気にならなかったですね。そのまま本編まで睡眠状態で突入してしまったのは困ったが。
しかしもったいなかった。実はなんと今まで『アナ雪』を見る機会がなかったのであんな超絶ヒットした映画とはどんなもんかと興味津々だったのに寝て見られなかったし、あと辛うじて起きて見てたところでギャーギャー騒いでた雪だるまが考えられないレベルで死ぬほどウザかったので絶対本家を見てやらないと心に固く誓ってしまった。
『アナ雪』、見てから行けばよかったな…事前に雪だるま抗体を作っておけばこんな残念な結果にはならなかっただろう…。
ディズニー/ピクサーといえば『インサイド・ヘッド』日本公開時には日本オリジナルの通称「結婚式ビデオ」が本編前に流れ、映画ファンの一部から激烈な非難の声が上がったが、俺にとっては今回の併映短編が蚊帳の外的な意味で結婚式ビデオだったのであの時にブチ切れてた人たちの気持ちがちょっとわかりましたね。
そりゃあ、ふざけんなってなるよね。逆になんか良かったわ、寝て良かったわ。防衛機制的入眠だわあれたぶん。まぁ『アナ雪』見てる人はたぶん面白く見れると思いますけど…。
東映アニメフェアだったら確実にメインを張ってる分量の『アナと雪の女王/家族の思い出』22分を経てようやく始まる『リメンバー・ミー』は睡眠のため俺にとっては開始時点で既に主人公が死んでいた。
死んでいたというか生きたまま死者の国に紛れ込んでしまったらしいが経緯もなにもまったくわからない。まったくわからないままスーパー雑多カラフルで賑やか華やかなコスモス的カオス極楽浄土ランドスケープが直撃し脳が処理停止。なんかリアルに臨死体験みたいな鑑賞になってしまった。
とにかく状況がわからないのだが主人公のギター少年ミゲルくんがめちゃくちゃ焦ってたので生者の国に帰らないといけない的な物語の目的はわかった。
展開はスピーディだが物語の説明は丁寧かつ自然で睡眠鑑賞者には嬉しい。わけもわからぬまま死者の国に放り出されて徐々にミゲルくんの現世的ポジションが分かっていく過程(俺だけの過程だが…)は、さながら己の存在を忘れてしまった浮遊霊の除霊のようであった…この場合の浮遊霊はミゲルくんではなく映画を見てる俺ですが…。
ディズニーが欧米の物語類型から離れて南洋神話にモチーフを求めた『モアナと伝説の海』は俺としては結構嫌な感じがしてて、よく出来た映画だなぁと感心しつつもモチーフの独自性を漂白して普遍的な物語として再構築する、その教育的でも商売的でもあるような合理的作劇がちょっと無神経ではないかと思ったのだった。
知恵と勇気で危機を乗り切る西欧的英雄譚のバリエーションとして南洋神話を進歩と開拓の啓蒙的物語に作り変えてしまうのだったらそんなもんわざわざ南洋神話をモチーフにする必要はなくて、その極めてリベラルな作風とは裏腹に地域性を意匠としてしか取り入れようとしないグローバリズムの無情すら感じ…というわけで面白いは面白いかったがシコリもかなり残ったのだ。
メキシコのお盆「死者の日」に材を取った『リメンバー・ミー』もたぶん路線的には同じなんだと思われるが、まぁこっちは『モアナ』的な臭みがなくてストレートにとても良かったですね。うん。
たぶんですね『モアナ』と違ってそんなに意識が高くないんだよ。死者の国とかなんでもアリで超楽しそうじゃん、ぐらいの意識の低さですよこれは。
フリーダ・カーロは出るしエル・サントも出るし、でも別に大した意味とかないんですよそういうの。面白いから出てくるだけって感じで。出しときゃメキシコ系の人喜ぶだろみたいな感じで。
それが良い。他者のモチーフを尊重するとか、他者に寄り添うっていうのはこういうことだと思った。
家族と祖先にまつわる話だから誰にでもわかる話で、音楽がやりたいっていう衝動が物語を牽引するシンプルな映画で、基本マジカルな死者の国で時々ギター鳴らして歌ったりしながらなんかわちゃわちゃ走り回ったりしてるだけなんですけど、その一緒になって楽しもうよみたいなところが感動的だったりしたよ。
ムカつくやつにはトマトを投げる。錆びた心は音楽でアゲる。言いたいことは包み隠さず全部言う。死んだ人なんてさっさと忘れた方が先に進めるのかもしれないけれども、でもやっぱり忘れたくないし忘れて欲しくない。
これでいいんじゃないですか。この意識の低さ。不合理。遊び心とエモーション。庶民的祝祭感。これだな。これです。可愛げのない土着的神話生物もいい、可愛くなくて。
死者の国の音楽フェスにメルツバウみたいなやつが出てきて(確かに骸骨みたいな風貌だ…)などと不謹慎に笑ってしまった。
お墓のお供え物はちゃんと死者の国に届いてるらしいので、ミゲルくん憧れの大スター歌手の豪邸には供え物が山と積まれている。この分だとジェームズ・ディーンの豪邸とかもえらいことになってるんだろうなぁ、とか想像の二次創作の余地多数。
おもしろい良い映画。俺は家族制度なんてさっさと撤廃したらいいのに派の人非人なので家族を大事にしよう的な物語は全部嫌いなのですが、あのババァのシワの動きにはやっぱジワァと来ましたよ。ジワァと。
【ママー!これ買ってー!】
骸骨キッズが超かわいい。骸骨ダンスもかっこいい。これは良い骸骨。
↓その他のヤツ
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※全く関係はないが原題『DAY OF THE DEAD』で主要登場人物の名がミゲルというものだからつい…。
はじめまして。
いつも映画ブログを楽しく拝読しております。
数年前「アナと雪の女王」をそこそこ楽しんで観たように思うのですが、
それでも今回の併映短編はかなりきつかったので、もう誰かに文句を言いたくてムカムカしていたところ、さわださんが既に書いていてくれたのでちょっとすっきりしました。
何というか、本家「アナ雪」でも観ている途中で
(この姉妹は国家の運営的なことに関わっている気配が一切ないけど、どういう立場で普段何をしている人なのだろうか?)
(でも子供向けアニメの設定にそんなケチつけるだけ野暮なんだろうな)
(こんないらん疑問が浮かぶのは自分がディズニーアニメの文法が分かってない映画弱者だからかな…)
などと思ったのですが、そのへん頑張って考えないようにすれば
豪華なアニメーションやら音楽やらを楽しむことは可能でした。
しかしこの短編はそれらの思考停止の努力を根こそぎ台無しにしてしまう内容で、
もう観れば観るほど主人公の姉妹が国(というか村?)にとって重要でも何でもない、
豪勢なコスプレをしたただの暇な人にしか見えなくなってしまい、
翻って前作のドタバタやその結末なんかもどうでもよくなってくるという酷い話だったように思います。(逆に考えるとこの短編が駄目でも、本家はまあまあ面白く観れるんじゃないでしょうか)
でもまあ、今の時代に王侯貴族の階級的幻想を子供向けアニメで賛美する意義がどれだけあるのか、と考えるとこのくらい生活感がないくらいが丁度いいのかもしれませんが…
あ、本編の「リメンバー・ミー」は私も大好きな作品です。
ブログに書かれいる、「意識の高さを押し付けないことで、異なる文化に寄り添おうとする姿勢に好感が持てる」(意訳)という指摘にはなるほど、と感じました。
これからもブログを楽しみにしています。
どうもコメントありがとうございます。
アナ雪短編に関しましては私は五分で寝てしまいましたのでオラフが死ぬほどウザったいという以外の内容をまったく存じておらず、従って何とも返答致しかねるのですが、憤りはよく伝わりました。
なんかよくわかりませんがスッキリしていただいてよかったです。私もアナ短編を見ながらムカムカしておりましたが寝たらスッキリしました。
しかし、本家アナ雪を楽しんでご覧になられた方でも見るのがキツいファンサービス短編って本末転倒っすねぇ…。
「リメンバー・ミー」金ロー視聴勢です。
映画は面白かったし感動したのですが、一つ疑問がありまして、それは「なぜココは祭壇にヘクターの写真を飾らなかったか」ということです。ココが父のことをどう思っていたかがイマイチ見えなかった。写真、手紙を取っておきはするが祭壇には飾らないってどういう心境からなんですかね?
どうもこんにちは。えーとですね、これは劇場公開時2017年に書いた感想文ということで、既に2024年現在から見て7年も前のもの、ということで『リメンバー・ミー』という映画の細かい内容はすっかり失念しており、期待に添う回答は俺にはできないと思うのですが…とりあえずウィキペディアであらすじ読んで諸々思い出しながらお答えしますと、あの祭壇というのは日本のお仏壇とかと同じで祖先を祀るものなので、ウィキペディアのあらすじによりますとココはヘクターを実の父だと物語終盤まで知らなかったということで、それで飾りたくても飾れなかったんじゃないかと思います。
この映画はヘクターの名誉回復が物語の軸になっているので、元相棒に汚名を着せられ家族に祭壇に祀ってもらえない(そのせいでヘクターは死後の世界で貧乏暮らしをしてました)ヘクターが、主人公の頑張りによって名誉を回復し、ココの実父であることもわかり、最後はココの写真と一緒に一族の祭壇に祀ってもらう、とそのようなハッピーエンドになっているのだと思います。
お返事ありがとうございます。なるほどです!