《推定睡眠時間:0分》
ジェイク・ギレンホールと言えばの自己嫌悪爆発な鏡ガン見もしくは鏡ぶん殴りシーンが出てこない。これはどうしたことかとおもったが理由はたいへんシンプルでボストンマラソン爆弾テロで両足を失ったジェイク・ギレンホール演じるジェフ・ボーマンの実家は築ウン十年の完全バリアフリーレス設計なので、ジェイク/ジェフが自分で見れるもしくは殴れる位置に鏡がなかったのだ。
従っていつものジェイク・ギレンホール映画では洗面所のシーンに入るとまずは鏡を割る(※)ジェイク・ギレンホールも『ボストン・ストロング』では実家の汚い狭い浴槽に身を横たえるしかない。
鏡の中の自分をぶん殴ることさえできなくなってしまった。だいたい両足を失った鏡の中の自分の姿なんか見たくない。手術後に足の包帯を取る場面では患部は後景に退いてピントが外れ、ジェイク/ジェフもそこから目を逸らしてしまうのだった。
鏡の代わりにジェイク/ジェフがぶち当たるのは恋人エリン・ハーリーとの間に立ちはだかるガラスだったが、ジェイク/ジェフの目はガラスの向こうに去って行く(諸々あってハイパー怒らせてしまった)エリンを追うばかりで、そこに反射する自らの姿を見ようとはしない。
鏡まわりを見れば物語がわかるのがバリアフリー新設設計のジェイク・ギレンホール映画。鏡面を見ないということはすなわちジェイク/ジェフがどのように鏡越しの自分を見つけるのか、見つけた自分をどう受け入れるのかというお話。きわめてジェイク・ギレンホール的である。
ギレンホール的といえばセルフギレンホールとパブリックギレンホールが完全に乖離した分身的崩壊アイデンティティが自己破壊願望に火を点ける的なジェイク・ギレンホールのいつものやつも健在だった。
泥酔カーで突っ走る場面の自己破壊感はなんだか『フェイト・クラブ』している。タイラー・ダーデンはアクセルもブレーキも踏めますがジェイク/ジェフは踏めないのに爆走してしまうの瞬間最高自己破壊は『フェイト・クラブ』を超えた。
これはもうギレンホール・ユニバースと呼んでよいのではないですか、実話だろうがなんだろうが構うことなく自らの世界観に取り込んでしまうジェイク・ギレンホールの主演作は。
爆弾テロの犠牲となって身体の自由を奪われた男がフラッシュバックする凄惨なテロの光景と自らの意に反してテロと闘うヒーローに祭り上げられてしまうことの二重の苦痛に束縛され…ある意味、『ミッション:8ミニッツ』の裏返しというか、『ボストン・ストロング』の裏返しが『ミッション:8ミニッツ』というか、ともかくそんなギレンホール・ユニバース最新作の『ボストン・ストロング』だったのだ。
それにしてもダメだったなぁ! 『ダメな僕だから英雄になれた』とかいうアホみたいな邦題サブタイなのでわざわざダメを強調しなくてもいいだろう存命人物の実話なんだぜ…と思っていたのですが見たら本当にダメだったしサブタイでフォローしきれるダメさじゃなかった。
この人は一応コストコの食品加工で働いてはいるがすぐ惣菜ダメにしたりするし昼間っから兄弟親戚とパブで飲んだくれては誰がオカマで誰がゲイだみたいな話をしていて心底しょうもないと思うがその時の服装ときたら襟元になんかこぼしたシミが点々と付いている駄トレーナーで捨てろよ! という気に見てる側としてはなるが本人は別に気にしてない(たぶん同居してるお母さんがまだ着られると言い張っている)。
以上開始5分ぐらいの出来事なのでダメが早すぎるし直球すぎる気もするがこれでも一族の中では甘ったれた常識人ポジションだったのでこれダメとかそういうレベルじゃないだろホワイト・トラッシュ濃度が濃すぎるだろう。
快気祝いのホームパーティに呼ばれたコストコの上司がモヒートの作り方を伝授すると一族騒然とかどういうことだよ。「酒にミントを入れるのか?」「葉っぱを?」って未開の部族か。
ジェイク/ジェフの兄貴なんかは飲みながらミントを抜いていたから笑ってしまうが、それにしてもこの兄貴のホワトラ演技は最高。歯抜けフェイスの貧乏説得力が半端ないこの人はネイト・リッチマンというらしいので名前でも笑わせるってすごくないですか。
でそういうダメっていうかホワイトトラッシュの人がテロで両足を失ったことで(加えて犯人の目撃証言をしたことで)悲劇のヒーローみたいな感じになっちゃって、本人のメンタル的にはそれどころじゃないのにバンバン取材とかイベントの出演依頼が入ってくる。
家族とか大喜びなんですよねそしたら。全然悪気はなくて単純に下町的盛り上がりなんですけどそれが気持ちの整理もつかないし先行きの見えない本人には苦痛だったりして、でも家族はホワイトトラッシュの人だからそういう些細なシグナルにあんま気付かないし、医者とか行政とか会社とか、付け加えるなら他の町の人間(お前の町ではそんなことも教えないのか! の台詞が強烈)も基本的に信用してないから家族の中だけでジェイク/ジェフをなんとかしようとすると。
あのファニーなホワトラ家族のフォローがなかったら事件後に立ち直るの難しかっただろうなぁっていう一方で、でもそこに居続けたらそれ以上先に進むのは難しいだろうなぁっていうのもあり。
なんかそういう映画だったな。テロ被害者の実録ものっていうとスケールでかい感あるんですけど根は単純なっていうか普遍的な、ありのままの自分を受け入れてくれるが自分を鏡に映してはくれない家族からの自立と、他者の目が自分には見えない自分の姿を映し出すからありのままの無垢な自分ではいられない、しかし今までとは別の自分を見出す契機になる新しい家族の構築のお話で。
こないだ見た『アイ,トーニャ』とかも含めてですけど、なんかニューシネマみたいな感じでアメリカンドリームの獲得とか凡人の偶像化をアメリカ的マチズモとか消費文化・ショウ文化の悪弊としてアメリカンファミリーともども全否定するんじゃなくて、偶像として社会に参入するとはどういうことなのかみたいな、そういうアメリカっぽい存在様式とか社会的な課題解決の手段を新家族の構築と重ねた地に足の付いた批判的再考になってるような感じがあって。
あぁ今のアメリカ映画ってこういうことをメインストリームのアンチテーゼとしてじゃなくて当たり前にできるようになってんだなっていう感慨もあって、介助する人の負担とかノンバリアフリー設計の住居でのトイレ問題とか貧困のリアルを自然な形で織り込んでいたりもして、まぁ面白い映画でしたね。
あと言い忘れてましたが言わずもがなですがジェイク・ギレンホールは超良いから。っていうかいつも超良いから。
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ジェフ・ボーマンがFBIに情報提供する下りは『パトリオット・デイ』にもちゃんと出てきたと思うのでその併せ鑑賞可。爆発が起こると知りながら見るボストンマラソンの光景に嫌な汗が出るのは両者共通。
こんばんは。浮かれてないでトイレットペーパーの位置くらい変えといてやれよ、家族!なんて思ったりもしましたが、良くも悪くも、アメリカってこういう国、って感じました。ジェイク、良いですね。彼じゃなかったら見なかったかも。
自伝が原作になっていたと思うので、あれは多分実際にあったエピソードだと思うんですけど、そもそもなんであんなにトイレットペーパーの位置が遠いんすかねあの家。バリアフリーとか関係なくふつう便器の脇に配置するじゃないすかトイレットペーパー…