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なんでも『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八が『桐島』の前田くんが撮ろうとした映画だとかなんとか言ったという。前田くんが撮ろうとした映画というフレーズの多義性はひとまず置いておくとして一義的にそれが指し示すのは『桐島』ラストに置かれた前田くん撮影のリアルPOVゾンビホラーでしょうが、その撮影を見て「ダイアリー・オブ・ザ・デッドじゃん!」と喜んでいた前田くんの相棒・武文こと前野朋哉がまるで『桐島』後の武文を演じたような『エキストランド』という邦画がそういえば去年あったと思い出す。
ざっくり『エキストランド』がいかなる映画かといえば前朋ら映画大好き人間たちが手弁当で映画を作っているうちに倫理を失い理想を失い目的を失い情熱を失い方向を見失い映画の呪印に囚われた映画ゾンビとして業界内をふらふらしながら近づく者をエサとしつつゾンビにしていくちっとも笑えないコメディ映画で、こうして並べてみると『カメラを止めるな!』とはネガポジという感じがある。
どっちも俺の観た回は舞台挨拶があって監督も登壇していたが『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督は関西ノリのバイタリティ全開な人。
一方『エキストランド』の坂下雄一郎監督は多少キャラを演じている部分もあったような気もするがビビるくらいの超ローテンションだから作る側も正反対というこれは一体。
だいたい上田慎一郎と坂下雄一郎ってなんだその字面の双対性は。ちょっとおもしろいな。
映画が終わって劇場を後にする時の心境もわりと真逆で『エキストランド』ときたらそれはそれはお通夜気分でその後ろ姿は完全に『サンゲリア』風のうつむきゾンビと化していたと思うが『カメラを止めるな!』はたとえゾンビだとしても『死霊のはらわた』みたいな活力ゾンビだ。やるぞ! 俺だってまだいけるよ! いけないとしてもいくんだよ! そういう感じになる。
怨念がない。邪気がない。映画を作るよろこびだらけ。映画地獄に堕ちた勇者どもの怨念と邪気がゲージオーバーで漲る『エキストランド』を脳内併映しながらこのふたつの映画作り映画の、このふたりの映画監督の分水嶺はどこにあったのだろうと考え…いや一応フォローしておきますが俺『エキストランド』の陰々滅々とした空気も別に嫌いじゃないんですよ。
もう本当に、もう本当に見終わった後ゾンビになるんですよ。それが良いんですけどでも面白くはないんですよ。あれはそもそも監督だって客を面白がらせようとしてないだろうたぶん。血を凍らせようとしてますよ。
『カメラを止めるな!』の話。ズームイン・アウトのダサカメラワークが貧乏ホラー特有の見たらいかん感じを醸していて好き。助監督ゾンビのでくのぼう的ゾンビ仕草がこれまた素敵なチープで大好き。ちゃんと怖いしね。
そうなんだよチープなんだよ。チープの骨までしゃぶり尽くす映画。チープの中で何ができるかということとチープだから何ができるかということの両面を突き詰めたチープ映画(制作者)のホープ。
これはすごいな。『エキストランド』で傷心の武文くん(※役名違いますが)にも観て元気になってもらいたいと思いましたよ。頑張れ武文。違う映画の話になっちゃった。
【ママー!これ買ってー!】
人里離れた農家か孤島でホラー自主映画撮影中のクルーがふざけてゾンビの呪文を詠んだら死体ポコポコ出てきちゃって大変。びっくりするほど全然面白くないから観ている方も大変(しかしその監督ボブ・クラークはたった二年後に今やホラークラシックな大傑作『暗闇にベルが鳴る』を放っているのだから映画はおもしろいですね)
ゾンビ映画じゃないのに
なんでゾンビの話ばっかり書いてるんですか?
ゾンビ映画だからです
観たけどゾンビ映画じゃないですよ そもそも映画じゃなくて
ゾンビチャンネルの生中継ドラマでしょ
それはどこからどこまでをゾンビ映画とするかという解釈の問題だな。世の中には『ゾンビパパ』というハートフルなゾンビコメディもあるし『ゾンビはニュースキャスター』という脱力コメディもあり、これらは『バイオハザード』や『ゾンビ』のようなという意味でのゾンビ映画ではまったくないがゾンビ映画です。
逆にゾンビ映画を謳っているのにゾンビが全然出てこない映画だってたくさんあるぞ。『東京オブザデッド3日』とか『ゾンビ3』とか。『シュランケンヘッド』という映画は広義のゾンビ映画だがブードゥーの秘術で蘇った小学生か中学生三人組が首だけになって飛び回ってだな、額から出る電流でいじめっ子とかギャングを攻撃するんだぞ。
そんなのに比べたら正統派ゾンビがちゃんと何人も出てきてちゃんと人を襲う『カメ止め』なんて超真っ当なゾンビ映画でしょうが!
君ら俺が今まで何本のゾンビ映画を見てきたと思っているんだ。舐めているのか。まずは『死体と遊ぶな子どもたち』を見てゾンビ映画に対する固定観念と期待を粉々に粉砕してから出直せ。
舐めてるも何も
ゾンビを前面にだす映画じゃないでしょこの映画は
この映画をゾンビ映画と言い張る方がゾンビ映画を舐めてません?
君、それは映画感性の貧しさというものです。映画のどこに着目して見るかというのは観客の手に委ねられているのだから、批判を恐れず自由に好きに見たらよいのです。感想もまた然り。
30分の生ゾンビ番組を中断しないように
奮闘する映画を ジャンル ゾンビ映画って
なんじゃそりゃ
ジャンルをゾンビ映画と書いた覚えはないけど、君の不満もよくわかりますよ。
そのむかし『キラーモンキーズ』という邦題のホラービデオがあり、ジャケ裏の解説を読むとどう考えても殺人猿が人を襲う映画としか読み取れないのだが、わくわくしながらレンタルしてきてビデオデッキに入れてみるとこれが三話からなるオムニバス映画で、殺人猿はその掉尾を飾る20分弱のエピソードにしか出てこなかったのだ…あの時はさすがにふざけんなって思ったね。
まぁ騙されたことより三エピソードが全部つまんなかったのが怒りの要因なんだけど。
今日観てきましたがいや、これは楽しかったです。
久しぶりに観る映画にこれを選んで良かったです。
虚パートと実パートで人物やその行動の印象が180度違うのがすごく面白いですね。
壁をバンバン叩きながら女の子を怒鳴りつけるシーンとかもう大好きです。(最初は「うわー最悪」としか思ってなかったのに)
ド田舎の映画館にも関わらず私の観た回ではほぼ全席が埋まっており(しかも結構若い人達で)、「ポン!」の掛け声のたびに館内がクスクス笑いでいっぱいになっており大変良い雰囲気でした。
何なら具合が悪くなってる時に見ても大丈夫そうな映画を、ちゃんとたくさん観てる人のレビューで探して観に行けるようになったのは、いい時代になったということだろうなと思います。(あんまり映画の見方として真っ当ではないとは思いますが)
どうでも良いですがコメント欄の荒れ方もどこかの大学の映研サークルの議論みたいで愉快ですね(おそらくそんな事態を避けるためにわざわざトップに「アンチ・̪シネフィル」と断りを入れたであろうにも関わらず)
俺が観たときもお客さんの反応がすごく良くて、映画自体の内容も勿論良かったんですけど、他の観客と一緒に盛り上がれるっていうのがこれは面白かったですねぇ。
老若男女誰が見ても、なんなら言語が分からなくてもある程度は理解できるギャグで構成されているから間口がすごい広いんですよね。それで見た後ちょっと元気になるっていう。楽しい良い映画でした。
最初の「うわー最悪」な場面は俺も好きですね。あれは似たような場面が『ゾンビ・ザ・リターン』というビデオスルーのゾンビ映画にありまして、それも廃墟で自主ゾンビ映画撮ってたら監督が本気になってリアルゾンビを呼び出してしまう話で…笑
いや、俺は本当にこの映画はゾンビ映画として好きなんですよ! その点は今後も訴えていきたいので、むしろどんどんコメント欄燃やせやって感じです笑
上田監督って、ギリアムと真逆なのかな~、と思いましたよ。オレは映画たいして見てないので、浅薄な偏見ですが。
『カメ止め』見て、シネフィルがそのまま映画監督になったかとも思いましたが、こちらの記事やら、『100ワニ』のゲームシーン、格闘ゲーム知らん人がテキトーに作ったような内容を鑑みるに、世界観の構築には興味なさそうですよね。『カメ止め』のゾンビシーンは楽しかったですが、あれはミラクルだったんかな~と。そして、作品作りたくてクリエーターになったのではなく、クリエーターになりたくて作品作ってる種類の人だな、と気づきましたね。
ゆえに、人間関係や立ち居振る舞いは相当考えてますね。『カメ止め』がパクリと嚙みつかれたときにも譲歩してたし、『イソップ~』について柳下毅一郎氏は「大ヒットを飛ばして莫大な興行収入を上げながらも、ほとんど還元されなかったというオリジナル・スタッフへの配慮もあったのではないか」と勘ぐっているし、『100ワニ』の誰も傷つけない内容も然り。
この調子だと、いずれ大作をまかされ、日本の映画界をしょって立つ存在にまで成り上がる資格は十分ですが・・・どうなることやら
ブランディングが上手い人なんですよね。ギリアムみたいな映画狂人(でもギリアム本人はインタビューなんか読むとあれで結構興行のことを考えていて、本人的には売れる映画を作ってるつもりなのに変なのができてしまうという、そこがギリアムの面白いところなんですが)じゃなくて市場とか顧客とか役者とか発注主をちゃんと見てて、いかにそのバランスを取りつつ作品の価値を最大限高められるかっていうのをずっと考えてやってる人なのかなあと思います。
映画を作り続けることが目的のようなところがあるのであまり一つ一つの映画には我を出さないで戯曲的な構成と出演者の個性の面白さでシンプルに見せようとするっていう意味で俺の中では経営センスに秀でたエド・ウッドみたいなポジションなんですけど、普段の発言とか聞いてるとバートンの『エド・ウッド』とかは本人も好きなのかもしれない。大作のオファーはたぶん来てはいると思うんですが、個人的な洗練されたエド・ウッドとして規模の小さな映画を撮り続けて欲しいなぁとかも思ったりします。