《推定睡眠時間:10分》
超イイ場面があって言葉のメキシカン・スタンドオフっていうか実際に所属の異なる人間たちが互いに銃突きつけてるんですけど、その構えながらの状況で各々が自らの権限と行為の正当性を投げ合う。
銃を下ろせ、FBIだ! 知ったことかBIA(内務省インディアン管理局)の管轄だろ! 黙れここは社の私有地だ! 黙るのはお前だ監督権を有しているのは環境保護庁だぞ!
とかだいたいそんな感じ(名称等々細部は大幅に異なると思うが)で、『ボーダーライン』の脚本家テイラー・シェリダンの面目躍如、公文書の上ではとりあえずそうと画定されているはずの領域や管轄やエスニシティに関する事項がひとつの事件を契機にボロボロと崩れながらグツグツと煮立って融解の図。
『ボーダーライン』はメキシコ麻薬戦争の大局の中で局地的に秩序が崩れ善悪白黒が混じり合っていくというものであったから、また監督のドゥニ・ヴィルヌーヴの志向もそっち方向であったから同じような構図でもなにか思弁的な壮大感があったように思うが、『ウインド・リバー』はもっと具体的で矮小で泥臭いリアルがかおる。
個人的にはこういう方を好く。いや、すばらしいじゃないですか、あれは本当にイイ場面だ逆転の発想だ。あのメキシカン・スタンドオフに巻き込まれた誰もが自分の所属組織や共同体や、その中で準拠すべきローカルな法というものは皮膚感覚で知っているが、その上に覆い被さるより大きなものは言葉やイメージでしか知らない。
メキシコならともかくあんな西部劇じみた場面は現代アメリカでありえそうにない気もするが、いやいや大いにありえるんですよ近視眼的にしか世の中が見れない追い詰められた人たちには、とそのありえなさが逆に棄民リアリティとして社会派ストーリーの重しになるのだからよく出来てるよな。
大きすぎて全体像がよく見えない場当たり的な政治判断とか大企業の利潤追求の犠牲となって大アメリカ世界の片隅の半径5メートル内で殺し合うやつらに必殺の一撃を食らわすのは世捨て狩人ジェレミー・レナーだ。
なにも好きで世間から距離を置いたわけではなかったが、こういう時にはこんな誰かに言わせれば生産性のなさそうな人が物を言う。
雪に覆われた荒れ野に冷えたこころのふるさとを見い出して、雪原迷彩で自然と死とに同化したジェレミー・レナーだけが恐れることなくローカル秩序の真実を俯瞰することができるのだった。
この泥は琴線に触れる。ぼくはアベンジャーズでもジェレミー・レナーの泥いホークアイが一番好きなので…。
映画は超よかったんですけどでももう少し勉強しておけばなぁとはちょっと思いましたよね。BIAとか言われても知らないし。例の台詞のメキシカン・スタンドオフもあれ背景がわからんとやっぱ脳内マッピングできないから。っていうかできなかったから誰が誰でどこのどこなのかよくわかりませんでしたから正直。
そのへんアメリカ/メキシコのシンプルで大きな枠組みの用意されていた『ボーダーライン』と違うところで、ネイティブ・アメリカンの居留地という舞台の抱えた特有の複雑さはたぶん俺が寝ている間にもちょいちょい描写されていたと思われるので単純に俺が寝ているせいもあるが、語り口はかなりドライなので物語の全体像を把握するにはやっぱ参考資料的なやつがあったほうが良さそうな感じある(パンフレットに書いてあるだろうか)
そこが面白いところっぽいからなぁ。強姦殺された若いネイティブ・アメリカンの女の検死結果ひとつ取ってもそう。なんか死因は寒さによる肺出血とかそんな感じになるのですが、そこで事件を受けて派遣されたFBI捜査官のエリザベス・オルセンが難癖をつけるわけです。それじゃあ増援呼べないよ! もっと直接的な死因に変えてくれ!
表面上は穏やかもこのへんのちょっとしたダイアローグも水面下の不穏に満ち満ちていて良い。これも公的に画定された各々の制度や権限が実際に運用される中でいかに容易にバッティングしてしまうかという場面で、死因を巡って合衆国連邦、ネイティブ・アメリカン居留地、労働の現場とレベルの異なる領域をそれぞれ代表するFBI捜査官と部族警察長と検死官がそれぞれの立場から発する言葉にはなんのことはなくとも静かな緊張感が漲るのですがー、その下地を成すのはやっぱ制度と制度と権限と権限の間で(独自の部族法が認められているなど大きな自治権を付与されつつも)腫れ物のようになってしまって合衆国から半ば放棄された状態にある居留地の特殊事情なわけです。
その上にまた諸々の構造的な差別や搾取が重なっているわけだから重層的なものがたりだ。殺人事件の真相というのは存外シンプルも、その当事者の目線からすればこれこれの込み入った事情がフィルターとなって自分ごときの力では到底太刀打ちできないように思える複雑怪奇な謎を帯びてくる、というのを見せる。
こんな状況に打ちひしがれた人々に生産性のないジェレミー・レナーが叩き込むのは孤独の価値であった。氷点下何度か知らない酷寒の中、助けを求めて裸足で10キロもひとり走り続けた殺された女は、自分たちの属する世界の下らなさを孤独の中で俯瞰的に眺めることができたのだし、そこから生じた新天地への脱出志向が共同体の秩序を脅かして結果的に殺されたと言えるのだし、そのことを同じ孤独を共有するジェレミー・レナーは知っている。
描かれる出来事や人物の印象が静かに目まぐるしく変わっていく映画で、冒頭に置かれたこれから死ぬ女の哀れを誘うヘル雪原逃避の場面も、最後にはガントレットを耐え抜いた勇気ある戦士の図に転化して、なにやら崇高さを帯びるのだった。
あと全然触れてませんでしたが物語の要所に狙いを定めた必要最低限の銃撃戦めっちゃかっこよかったですよちょっとマイケル・マンみたい。
【ママー!これ買ってー!】
ネイティブ・アメリカン居留地における重層的差別・搾取構造の中で起きた殺人事件といえば『エクスペンダブルズ』以前の2007年の時点でドルフ・ラングレンも監督・脚本・主演の三役を兼ねてやっているからな。フルブライト奨学金ぶんどってMIT入ったエリート舐めんじゃねぇぞって感じだ。ドルフらしいオフビートな凝った殺しの数々もおもしろくてたいへんよい。
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こんにちは。この映画、良かった。
お父さんが死化粧して座ってるシーンは『スリービルボード』みたいで、しんみり。
ジェレミー・レナーがしきりに、亡くなったネイティブアメリカンの女の子を、「強い子だった」って言ってるのが引っかかってて、自分と共有するものがあったという解釈、なるほどーと思いました。
私は、〝弱肉強食の世界に生きてるけど、彼女は食われたわけじゃない(自分の娘も含めて)、と思ってやらねば〟って事かなあと。
お父さんのあれ良かったすよねぇ。ネイティブ・アメリカンの化粧なんでしょうけど、それも人から教わったもので付け焼き刃のもので、白人社会から追い出されているのだけれどもネイティブ・アメリカンにも成りきれないっていう苦しい立ち位置がよく表れていて。
ジェレミー・レナーがあぁ言うのもそういう絶望的な状況に屈せずに何者かになろうとしてあがいてたからあの二人は殺されたんだみたいな、そういうことかと思いました。良い映画でした。
「大学に行くとか軍に入るとか」みたいな台詞も、せつなかったです。〝自由の国〟のどん詰まりを突きつけられました。