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壁とストリートアートに関する映画ということで渋谷ヒュートラに観に行ったらお誂え向きの状況が映画館の前に広がっておりこれがおもしろかったので映画そっちのけでその感想。
映画館の前というのは旧宮下公園。なにが建つのだかよく知りませんが一帯の再開発の一端として工事中。そのフェンスは壁ギャラリーになっていて長ぁい壁画が描かれている。
この壁画はフェンスに掲示された説明文によれば渋谷明治通りアートプロジェクトというそうで、全長200メートル、世界最大級のアート作品(説明文にはそう書いてある)
「渋谷を舞台にした渋谷の人たちの物語」がコンセプト。絵の中には同性カップルや下半身不随者など老若男女さまざまな人間が見える。
約100名の美術学校ボランティアによって描かれたとのことで、言われてみれば前に通りかかった時に学生風の人たちがハケかなんか持ってせっせと壁に向かってたなぁと思い出す。
2018年4月に完成と書いてあるから結構最近できたもの。NPO法人365ブンノイチというところが企画した。
俺がおもしろいと思ったのはこのフェンスに貼られた注意書きの文言で、そこにはこうある。「壁面のストリートアートに傷を付けることは、「器物損壊罪」にあたります」。
このフェンスには確認できた限り三種類の注意書きが貼ってあり、もう一つはシンプルなピクトグラムで「タバコ禁止、ポイ捨て禁止、落書き(Graffiti)禁止、スケボー禁止」。
よく公園の入り口に書かれている類いのもので、これは穏当ですがもう一種の注意書きは随分と語調が強くなる。
とにかく落書きをさせたくない。よく見るとその注意書きの傍らの壁画には落書きを消して塗り直した跡があったから、これだけ警告を発しても描くやつは描くんだろう。
渋谷区とグラフィティ屋の闘争の歴史は長い。長いといってもぶっちゃけよく知りませんがリーガルウォールなるこちらも別のNPO法人が企画した合法落書き壁が旧宮下公園にも宇田川町の奥の奥(チェルシーホテルの裏手あたり)にも設置されていたぐらいなので、区の苦心っぷりが窺えようというもの。
そうした官民一体の取り組みもあったがもう正直、和解は諦めたという感じがある。三種類の注意書きが言わんとするのはフェンスの壁画はストリートアートであってグラフィティではないし、グラフィティはストリートアートではないということで、公共事業の一環としてのアートならあの壁画はストリートアートというよりパブリックアートと呼ぶべきなんじゃないかと思ったりするが(あくまで主体は渋谷区ではなくNPO法人だから問題ナシということなのだろうか)、その呼称のズレからは何をストリートアートとするかの決定権は行政の側にあるんだぜ的なメッセージが読み取れる。
リーガルウォールを一歩推し進めた形態があのフェンスアートと言えるのかもしれませんが、なんだか民族融和の理想に破れた独裁者が民族浄化に乗り出すが如し皮肉な光景という気がしないでもない。
これこれの事情も踏まえてのものなのでしょうか、宮下公園のフェンスから直に続く山手線ガード下には前にはなかった(と思うが自信はない)このような貼り紙があり、ホームレスの人が寝ていたので写真には撮っていないが、その周辺はちょっとした現代アートスペースと化していた。
統計などなにも参照していないし見つけ出す能力もないので完全に偏見ですが、大抵の人はグラフィティや路上占拠アートなんぞ迷惑な犯罪行為としか認識していないでしょう、たぶん。
俺にしたってあれがおもしろいとは別に思わないのですが(上のアートスペースはおもしろかったけれど)、ひとつ思うのはその時に、グラフィティが催す個人的な不快感を肯定するためにこれまた統計などなにも参照していない完全に偏見な多くの人たちは単に法令違反または、所有権の侵害なんかのワードを錦の御旗に掲げていないだろうかということだ。
みなさんはどうか知りませんが俺が犯罪行為としてのグラフィティを考える時に頭に思い浮かべるのは商店街のシャッターの落書きで、どうか知りませんがと前置きしつつワイドショー等々で度々用いられる、世間に広く流布したグラフィティのイメージというのはやはりこのようなものではないかと結構かなり思っている。
なにが言いたいかというと公共物に対するグラフィティと個人の所有物に対するグラフィティはジパングではイメージの上で区別されていないし、たとえそこにアート的な何かしらがあったとしてもそれを掬い上げる仕組みも文化もあるわけでもなく、せいぜいのところリーガルウォールにでも押し込むしかない。
こんな風にピンからキリまでごた混ぜになった未分化なグラフィティのイメージに対して俺や他の多くの平凡人たちはもはや正面から向き合うことを諦めて、犯罪か非犯罪かの枠組みの中でしかその価値を判断することも意味を理解することもできなくなっているのではないか?
また、渋谷区の側でもその曖昧なイメージを再開発計画を推進するにあたって利用している面があるのではないか? 壁面の「ストリートアート」にはそれがまさに表れているのではないか?
そして景観の快不快について、また景観がどうあるべきかについて合法/非合法を唯一の判断基準とする際に、俺や他の多くの平凡人はいとも簡単に、半ば無意識的にホームレスの追放を許してしまっているのではないか?
いきなりホームレスを持ち出したのは三枚目の写真に関連してのことではありますが、一連の渋谷再開発の主要ポイントには渋谷ホームレスの非合法的な占有地も含まれているから、というのもあるわけですが。
バンクシーを絡めたパレスチナはヨルダン川西岸地区のドキュメンタリーというとパレスチナともイスラエルとも、ついでにストリートアートともあんま縁が無い人間としてはどうやっても心理的な距離ができたりするわけですが、パブリックとストリートの境界線上に建つあの壁はわりと身近な壁と地続きになっているんだなぁと考えさせられたというお話。
なにせ分離壁がイスラエル側からパレスチナを見えなくするように、俺や他の多くの平凡人もホームレスを見て見ぬふりをしているわけですからねぇ。
むろん、あの多様性準拠の「ストリートアート」の中にだってすぐ傍にいるはずの渋谷ホームレスの姿は見当たらないわけです。
映画の中ではパレスチナの人に「(グラフィティを)イスラエル側に描いてみろよ」と皮肉を言われたりするバンクシーでしたがー、たぶんあの絵ならイスラエルも大歓迎で壁に描かせてくれるだろう。
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なんとなく映画の感想になってなくて申し訳ない気がしたので例のヨルダン川西岸分離壁テーマの映画のリンクを貼っておきますがこれはこれで映画館で爆睡して見れていないので申し訳なかった。