自己啓発エンタメ映画『億男』感想文(ネタバレあります)

《推定睡眠時間:0分》

宝くじで3億円当てた借金まみれ(※兄の借金を肩代わりしている)の佐藤健が借金原因で別れた元妻の黒木華にもうお金の心配はないからと復縁を持ちかけると「あなたは借金で変わってしまった」と拒絶される。

なんて偽善的な映画なんだ。黒木華はお金がなくても私たちは幸せだった的なことを言うわけですが二人の間には小学生の娘が一人おり、いや公立校とかなら今はまだ教育にそこまでお金かかんないかもしれませんが中学高校大学と成長するにつれて選択肢は増えてきますしその選択肢にはお金がかかるものですし、なにもお金が全てとは思いませんが子育てに清貧を持ち込んだら結局子どもにシワ寄せが来るのではないか…だいたい急な病気で働けなくなったりとかしたらどうするの。

お金いるよ、子育てにはお金いちばん大事よ。そんなもの綺麗事で済ませたらいかんしだね、借金で人が変わるって当たり前だろう貧困は人を変えますよそれは、佐藤健はそれでも酒に逃げたりギャンブルに溺れたりDV野郎にならなかったんだから偉いよ、しかも別居した後も図書館司書とパン工場の夜勤を掛け持ちして借金返しながら黒木華に金送って…いやむしろめっちゃ良い人じゃない佐藤健!?

ところで冒頭のモノローグによれば佐藤健は司書とパン工場の掛け持ちで月収37万だそうですがそんな稼げるんすかね。
フルタイムったって今の司書とか手取り18万ぐらい行けば良い方なんじゃないの。雇用形態で多少上下するかもしれませんが映画を見る限り佐藤健は棚返却ぐらいしか仕事してないから少なくとも役職的なやつとかは付いてないっぽいし。

37万ということはそこにあと19万ぐらいは乗せないといけないのだからたいへんだ。賄えるかパン工場?
ひとまず週5の日給1万ぐらいで考えれば足りそうな気もしますがライン作業の日給1万とか22時インの6時退勤とかそういう長時間勤務じゃないと厳しいんじゃないか。

6時に終わって家帰るだろ、飯は時間がないから食わないとしてもとりあえずシャワーぐらいは浴びるだろうから睡眠に入れるのはどう頑張っても7時ちょっと過ぎとかにはなるだろ絶対、そうすると遅番12時出勤だとしても11時には起きないと間に合わないだろうから4時間睡眠だ。飯とかはもう、移動中にパンとおにぎり。

司書とかだいたい遅番早番シフト制だったりするじゃないすか。早番9時とか10時出勤の日はもう基本的に寝る時間ないなこれ。死ぬじゃん。これだと死ぬからパン工場夜勤の方はもっと勤務時間が短くてそのぶん週6勤務とかになってるのかもしれない。
いやしかし待てよ、上がりの時間を仮にちょっと繰り上げて4時にしても4時とか始発がないじゃない。それじゃあ結局睡眠時間が確保できないから意味ないな。

チャリで行ける範囲か。チャリなら4時上がり(パン工場に4時上がりシフトはあるのか?)で速攻家帰って頑張れば5時前には布団に入れるかもしれない。
家からチャリで行ける範囲のパン工場に佐藤健は夜勤で行ってて…でも図書館の方はそれほど勤務地の融通きかないだろうから二つの勤務地間の移動経路をどうしているかの疑問が残るが。

…さてはお前ら、なんとなくのイメージでロクに背景を考えずに貧乏生活を描いているな!
なんとなくの貧乏生活と貧乏人を描いておいて人生はお金じゃないんだよ的な偽善的な説教をかましているな!

いいですね! 最高! 胡散臭くてたいへんよいよ。中身のなにもない投資&自己啓発セミナーでちょぼちょぼと小銭を集める貧乏金持ちとか出てくる映画ですがこの映画自体が自己啓発セミナーみたいなものなので入れ子構造というか、物語の内容と映画のスタイルが合致していてたいへんよいかったです。

宝くじで3億円当てた佐藤健がまず会いに行ったのはかつての友人・高橋一生。メルカリ的なウェブサービスを立ち上げて資産ウン十億円のお金持ちになった人。
でこの人が佐藤健の3億円を持って忽然と姿を消す。警察に盗難届を出すとか家族に消息を訊ねるとかそういうことを先にした方がいいような気もするが、気が動転して頭が回らないのか佐藤健はメルカリ的なやつを売却してお金持ちになった高橋一生のかつての同僚たちに会いに行く。

このへんがもう最高。佐藤健がVSするファースト金持ちは今や競馬しかしてない元エンジニアの北村一輝ですがすごかったですね北村一輝!
ちょっとすごすぎたのでどこがすごいとか言いにくいのですがすごい重ね着してすごい付け髭してすごいブツブツ関西弁で一人ツッコミして不審者情報の塊みたいじゃないですか! 実写映画版『銀魂2』の佐藤二朗に匹敵するかもしくは凌駕する本年度最怪演大賞候補。

セカンド金持ちは藤原竜也でこの人が例のセミナー講師。藤原竜也のセミナー講師とか配役が決まった時点でもう勝ったも同然だ。完璧に胡散臭さしかないしあとカイジだし。
すごいんだよこの藤原竜也、自己啓発セミナー会場で借金抱えた受講者を壇上に上げて一万渡す、で渡した一万を「わたしはこの一万円をあなたにタダで差し上げました。だからこの一万円の価値はタダです! タダのものなんか破って下さい! お金に対する執着を捨てて下さい!」とか言って破らせる。

意味わかんないじゃないですか。でも会場の受講者もみんな頭おかしくなってるから藤原竜也の金捨てろコールに煽られて財布の中身を藤原竜也に投げつけていく、それから金を捨てた受講者ひとりひとりに藤原竜也は歩み寄ってものすごい熱量で「あなたの夢は必ず叶いまぁぁぁす!」。なにこのテンション。なにこのセミナー。

セミナーが終わって佐藤健が控え室に挨拶に行くとそこには受講者が投げ捨てた紙幣を補修したりアイロンがけするアルバイトの人たちの姿が。
めちゃくちゃせこいがめちゃくちゃせこい以前にそれめちゃくちゃ稼ぎの効率悪くないですか。そのために十人くらいバイト雇った人件費引いたらあのお布施はいくら残るんだろうか…(※ボランティアの可能性もあった)

おもしろいですねぇ。色んな意味で酷くて最高だったなぁこのへん。こうやってインチキ金持ちの醜さをドキューンと観客に見せていくじゃないですか、それでその次に佐藤健が会いに行くのは10億持ってるのに公営団地に住んでる沢尻エリカなんですよ。
10億持ってる人が公営団地に住めるのかどうか俺知らないんですけどそれはともかく沢尻エリカ言うわけです。男は金を持つと金で女の人生を買えると思い込む。今の夫はお金なんて全然興味ない。だから今の私は幸せ。

あぁお金持ちもたいへんなんだなぁってちょっと思わせるじゃないすか。直前まで二人の非道金持ち見てるからなんか良い話っぽく感じるじゃないすか。
でも全然良い話じゃないよね。こいつ10億を現金で公営団地の押し入れとか壁の裏とか畳の下に隠してる狂った人ですからね。

死にたいのかって感じじゃん。あと公営住宅の部屋を勝手に改造してそういうことするなよじゃん。だいたいお前被害者っぽい感じで語ってるけれどもいや実際に色々あったのだろうけれどもだったら尚更その10億のはした金を慈善事業にでも回してこの汚い社会を少しでも良い方向に動かそうとしてやれよって感じじゃん。

どうかしてるよ。もう完全に全員どうかしてるんで、そのどうかしてる輪の中心たる高橋一生もやっぱどうかしていたな。
学生時代に佐藤健とモロッコ二人旅に出た高橋一生は佐藤健のチョンボによって食器屋に何十万か吹っかけられる。
そこで高橋一生ひらめいた、物の価値は時と場所によって全然違う! それはその体験をしない考えつかないことだったのだろうか。

ともかく豆電球が爆発してしまった高橋一生はモロッコのなんとか砂漠を眺めながら佐藤健に宣言する。俺、大学中退して起業するよ。お金の正体が知りたいんだ。
えっていう顔の佐藤健。そうだよなお金の正体が知りたかったら自分で動かしてみるのも確かに大事かもしれないけれど経済学やろうとか普通なるもんな学生だし…。

お金の正体が知りたいから起業というのもよくわからないがそれで立ち上げたサービスがメルカリ的なやつというのもよくわからないし、かつての同僚たちの話から高橋一生はこのメルカリ的なやつに何らかの理想を見ているように描写されているが、その理想が詳述されないのでそれもまたよくわからない。

市場取っ払った個人間の直接取引こそが商品取引の理想形っていうこと? それは別にビットコインとか流行ってるくらいだからわからなくもないがなんでモロッコの食器屋でボラれた黒経験からそこに思い至ったんだ…謎が多すぎるよ!

おかしい。明らかにおかしい。筋がとおらない。意味がわからない。でも映像と音楽は段々エモーショナルな感じになってきて雰囲気だけは感動的である…。
俺はいったい何を見ているんだろう。ふと思い出した。佐藤健と高橋一生は学生時代落研という設定なのでそう書いただけで既に半分ネタバレでありますが落研真打ちの高橋一生の持ちネタは「芝浜」です。「芝浜」といえば…。

むかし、ちょっとした映画ワークショップに通っていた時にゲスト講師が脚本を講評する授業があった。
俺の提出した脚本は何が言いたいのか分からないの一言で済まされたがそれはともかく、受講生の中に「俺の芝浜」的なタイトルの脚本を提出したやつがいた。
ゲスト講師が話し始める。「柴又をそのままやるんじゃなくてさ、柴又に自分のオリジナリティを…」お前さては芝浜を知らないな! 芝浜知らないで講評してるだろ!

どこの映画ワークショップも概ねそんなものだろうと思うがこんな杜撰な授業をやっといて半年30万とか取るのであった。物(サービス)の価値は時と場所によって全然違う。
あぁ、なんだか懐かしいな。そんなに遠い昔でもないとおもうがすっかり彼方にあったその頃の記憶を思い出したよ。ありがとう高橋一生。ちなみに何が言いたいのか分からないの一言で捨てられた僕の脚本はその後ブラッシュアップして比較的有名な脚本賞に出したら二次選考を通過しました。セミナーでもなんでも講師の言葉を鵜呑みにすべきではないという教訓。

閑話休題。とにかく何がなんだかよくわからないが、まぁ「芝浜」モチーフものなので、佐藤健が3億円を諦めかけた頃にひょっこり3億円を持った高橋一生が現れる。
モロッコの時と同じようにまたしても呆気にとられる佐藤健。「いったい…なんで…」「お金の正体が知りたかったんだ」あり得ないと思うが万一お金を盗んで警察に捕まったら取り調べでこう言ってみようと思わせる力のある台詞だ。

佐藤健の役名は一男という。高橋一生は九十九という役名。うろ覚えですが、こんな風なことを言って高橋一生は佐藤健と別れる。「お金は沢山稼いだけど、お金の正体は最後の一片だけわからなかった。でも君のお金でわかったよ。九十九と一男、合わせて百だ」

『億男』原作の川村元気は『映画ドラえもん のび太の宝島』の脚本を書いた人として俺の中では悪名高いが、そのパンフレットに掲載されているインタビューを読んだら藤子・F・不二雄先生の落語性を意識して書きましたみたいなことを言っていた。
九十九と一男で百。なんか、それっぽいこと言って終わらせたかったんだろうなぁ…でも落語性ってそういうことじゃないと思うんだけどなぁ…原作は読んでないからあんまり悪くも言えませんが…。

という感じで俺にとっては、あくまで俺にとってはと強調しておくが、もう全然意味わかんねぇ映画でしたよ『億男』。
でもその意味わからなさのテンションの高さと迷いのなさが妙に面白かったんだよ『億男』。
スタイリッシュでエモーショナルで胡散臭くて。もう、すげぇ胡散臭くて。でも娯楽ってだいたいそういうものでしょ。

北村一輝も藤原竜也も胡散臭くて最高。他方、高橋一生は道に迷った若手起業家を誠実に熱演。高座に上がった姿はなかなかサマになっていてちょっと驚く。
芝浜であんなに客笑わないだろとか思うが、佐藤健の貧乏三十路は無理があるんじゃないかとか思うが、でもその中にも佐藤健の例の死んだ目が醸し出す生々しい鬱屈があったりもして…虚実皮膜のあわいというと違うのですが、とにかく胡散臭いおもしろい映画でしたね。受け取るメッセージとかはなにもありませんが。

【ママー!これ買ってー!】


のるかそるか [DVD]

凡人が競馬に当たって当たって当たってどんどん金持ちになっていくだけという素晴らしい教訓ゼロ系エンタメ。でもちゃーんと適当な人情話っぽく終わるのが粋。

↓原作だそうです


億男 (文春文庫)

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