《推定睡眠時間:55分》
夫(千葉雄大)(※田中圭の間違いでした…)の落としたスマホを拾ったのはサイコな連続殺人鬼だったので妻の北川景子はストーキングと殺人未遂の憂き目に遭うのでした。
こんな理不尽な目に遭ったらそりゃあスマホを落としただけなのに! って言いたくもなるよな。正確には落したっていうかタクシーに置き忘れたんですけど。
だが実はスマホを落としただけではなかった。殺人鬼が拾ったスマホから暴き出した衝撃の事実、なんと北川景子は北川景子ではなく北川景子を演じる北川景子だったのだ!
つまり、面倒くさいから詳細とか省きますがその昔に現・北川景子がルームシェアしていた親友(北川景子)が電車に飛び込み自殺して身元不明の死体として処理されたので(無理があるだろ)、現・北川景子の中身の人は骨格からして違う親友の北川景子に見えるよう整形をして北川景子として生きることにしたのであった。
デジタルミステリー的なやつを期待していた俺にとってはめちゃくちゃどうでもいい上にネットの匿名性を利用するでもなく整形で別人になるっていう芸も糞もないエピソードだったが、北川景子にドハマリしたサイコ変態犯人にとってはこれ超重要エピソードだったらしく、わざわざ夫の前でそのエピソードを北川景子に言わせたりする。
なぜかと言えばサイコ変態犯人は幼い頃に母親にネグレクトされており、そのせいで『サイコ』よろしく母親の容姿に近づこうと長髪カツラを被っては拉致してきたデリヘルとかの長髪女をなぶり殺して髪を切り取るというマニアックな人間に育ってしまったのだが(偏見が酷い)、そんなわけだからいかにも健全な感じのリア充カップルが憎い。
北川景子の過去を暴いてやれば千葉雄大も愛想を尽かすに違いない。ということでサイコ変態犯人は暴露を決行するのだが無論そんな童貞的目論みは成就しないので、千葉雄大と北川景子はプラネタリウムで結婚を誓ってハッピーに映画は終わるのでした。
もちろん二人の近くに座っていた高校生カップルがスマホを落としてそのスマホにカメラがぐーっと寄る、とか適当なハッタリかまして。
映画が終わって劇場を後にしようとするとカップルもしくは夫婦客の会話が聞こえてきた。スマホ、落とさないでね。
このカップル客のたった一言が『スマホを落としただけなのに』という映画の全てを雄弁に物語っていたようにおもう。
ようするにこうです。スマホは落とさないようにしましょう。結婚は素晴らしいですね。母親がネグレクトすると子どもはサイコ変態殺人鬼になってしまうから愛情を持って育てよう!
これから結婚するかもしくはした男女カップルに向けられた教育映画であった。バカじゃねぇの殺すぞ。俺の心を。
事実、映画を見ながら俺の心は確実に死んだ。自ら心を殺さないとこんなものは最後まで見れない。
カップル客ばかり来ているプラネタリウムのラストシーンが観客に劇場でその映像を眺めている自分たちの姿を意識させたりするような、中学生でも欠伸待ったなしのこんな馬鹿げた教育映画をどうやったら心を生かしたまま見ることができるというのか。心生存ルートが存在するのかこの映画には。DLCとかで別売りになってんのか。
こんなものは酷すぎる。もう本当に酷いと思うが思っているだけだと伝わらないので一例を挙げると、セフレを何人も抱えた要潤のハメ撮りフォルダが画面に映る場面がある。
ここ、全員下着姿か裸体をシーツで隠してやがんである。意味がわからない。そんなことをしてしまったら場面の意味がわからないじゃないですか。
いや、裸が見たいわけじゃないんですよ見たくないと言ったらまぁ嘘にはなりますが、そうではなくて全年齢対象の映画として裸は見せられないってんなら画面には直接映さないでそれを見ている劇中の人間の反応で客にハメ撮り写真を悟らせるとかそういう工夫あるじゃんっていう話で…あるじゃんていうかあるべきだと思うんですけどそういうのが超ねぇんですよこれは、この映画は。
たぶん教育映画として分かりやすさを最優先にしてるからなんだろうな。LINE的なやつでチャットを送るとその文章がちゃんと画面に乗るにも関わらず、更にボイスオーバーで俳優にチャット文を読ませる。なんという馬鹿げた二度手間。
キャラクターの行動や思考を全部台詞にする、というのは日本映画のダメなところとして定番のジョークになっているが、実際にそれを実践している映画を目の当たりにすると笑うどころか腸が煮えくりかえる。
この映画の脚本はそれぐらいで客を許してはくれないので「犯人のアドレスにランサムウェアを仕掛けた」みたいな意味不明の台詞が次々飛び出す。
そりゃあ雰囲気でなんとなく言いたいことはわかるが、いやむしろ技術的に正確な台詞よりイメージは伝わりやすいかもしれないが、こんなの聞いてるだけでシナプスがブチ切れてしまう。
曲がりなりにもテクノロジー系の映画としてそこがそんなに雑でいいのか。むしろ教育映画ならそこは正確にやるべきなんじゃないのか。これじゃあ教育どころか拷問だ。ルドヴィコ療法だ。
こんなの誰が作ったんだろうと思えば監督とか『リング』と『女優霊』の中田秀夫ですよ。脚本の大石哲也だって『サイコメトラーEIJI』とかミステリー系のテレビドラマずっと書いてる人ですよ。
手を抜いてやってもむしろここまでのレベルには落ちないんだよその布陣なら。意図的に落としてるとしか思えないんだよいくらなんでも。
スマホのタップ音が全部爪で叩いてるとしか思えないパチパチSEだったりさ…北川景子を筆頭にどいつもこいつも大仰な大根芝居だったりさ…全年齢対象の教育映画だから分かりやすくするためにそんなこともしないといけなかったんでしょうよたぶん。
それにしてもここまでくるとさすがに客を舐めすぎだろうと思いますが…。
“テレビでよく見る人”でバッチリ固められたコマーシャリズム全開のキャスト欄が壊れたハートを粉々に粉砕するエンドロールに流れるのはポルカドットスティングレイというバンドだかの曲ですが、俺の頭の中ではピクシーズの例のあれが鳴っていた。例のどれかは適当に察してください。
【ママー!これ買ってー!】
結局ヤバイ人が出ちゃったらスマホがどうとか関係ねぇじゃん。『DOOR』じゃん。
↓原作だそうですよ!
北川景子の夫役ですが千葉雄大ではなく田中圭だと思います映画観てないから分からないので恐らくですが…(千葉雄大は刑事役だったような)
あとこの感想のおかげでほんのちょっぴりだけあった観る気を完全に失うことができました。ありがとうございます。
なんかすいませんでした…観る気は直せないかもしれませんが名前は直しておきました…(でも変な映画を観るつもりで臨めば楽しめる映画だと思います)
あと夫でもなく恋人同士って設定ですが。プロポーズされるってオチと完全に矛盾してるのに
書いてて気づかれなかったのかなと不思議に思いました。本当にまともに見てないんですね…
ちなみに私は見ましたがとても楽しめました。リア充でもないですけどね(笑)
まともには見てませんし勢いで書いているので、文頭に田中圭を置くときに「北川景子の恋人の」ではなんとなく文の流れが気持ち悪く、それならどうせ夫のようなものだから「夫の」でいいやと思ってしまいこのようなことになりました…