《推定睡眠時間:0分》
ギャングスタ・ラップ名曲選みたいな感じのサウンドトラックで、と言いつつそんなの普段聴かないので一曲も知らないが、それはともかく曲が流れる度に映像の流れを遮って黒バックにドーンと曲名・ラッパー名が出る。
おもしろい引用の仕方。スタイリッシュで大胆。まるでサントラこそ映画の主役なのだと言わんばかり。というか実際そうなんだろうなこれ。
以下完全に知らない人のイメージですがなんかあれでしょうギャングスタ・ラップ、底辺足掻き系の黒人の人とかが荒んだ日常とか心情を率直かつ露悪的にぶっちゃける一種の告発ソングとかプロテストソングだったりするわけでしょう。
でそういうカウンターカルチャーとしてのギャングスタ・ラップは、あらゆるカウンターカルチャーがそうであるようにその思想に共鳴する虐げられた人々に自己肯定の力を与えつつ、一方でその枠内に自己を留まらせる。
カウンターの活力は次第に俺はこうでしか生きられないんだからという現状追認と諦観に姿を変えてくる。
刹那的であるからこそカウンターとして機能したものは、防腐剤で完璧にコーティングされパック詰めされカウンターと書かれた立派な歴史を背負ってメジャー流通ルートに乗るや商品的性格を露わにして、カウンターを惹句にした気休めと暇つぶしのガジェットでしかなくなる。その代わりはゲームでもポルノでもなんでもいい。
『キックス』、そうやってしなやかなカウンター力を失って硬直したスタイルだけになったギャングスタ・ラップが、下の世代にどのような影響を与えるかということの考察のような映画だった。
ギャングスタ的マッチョ黒人像からだいぶかなり相当な距離がある主人公ブランドンくん15歳(ジャーキング・ギロリー)は貧乏でチビで運動ができなくてつぶらな瞳がキュートな愛され系。
いつも一緒につるんでる二人の友達もなんていうかこう、ブランドンくん的には劣等感の発生源なイケてる人たちだったがハタから見るとわりとパッとしない普通の高校生。
片方は女はこういうセックスを喜ぶんだ的な真偽の極めて疑わしいトリビアばかりいつも話している童貞で、もう片方は結構モテるイケメン風情だが意外と内向的で臆病な人。これも、ギャングスタとか全然世界が遠い感じ。
なのだがブランドンくんはこれが面白くない。いつも自分より身体が大きい二人にバカにされているように感じるし、いや実際に結構バカにされていたが、こいつらはこいつらでスクールカーストとか地域カーストとかもっと大きな枠組みの中でバカにされ虐げられる立場にあるのだ、と理解するほどにはまだ視界が開けてない。
くそぉ、と思いながらブランドンくんはギャングスタ・ラップを聴く。こんな階層秩序とは無縁の無重力空間に生きる宇宙飛行士を想像して、なんとかあいつらにギャフンと言わせてやりたいなぁとか考えるんであった。
でそんな折、良い靴を買えばバカにされないとの怪情報をブランドンくんは例の二人の友達から仕入れてしまう。
良い靴。具体的にはエア・ジョーダンのなんとかいうやつ。こんな時のために貯めておいたなけなしの貯金を握りしめてブランドンくん靴屋へ。「これサイズ25ってありますか」「子供用は置いてないよ」値段を聞いたらそもそも高すぎて買えなかった(かわいい)
しょせん俺には高嶺の花か。と諦めかけた矢先、ブランドンくんの前に桃鉄の投資イベントみたいな感じで謎の靴バイヤーが現れる。その手にはエア・ジョーダンが。
ブランドンくんのお小遣いでも買える破格の値段設定だったので盗品としか考えられないが、そんなことは関係ない。かくしてブランドンくんはエア・ジョーダンを入手する。
もう嬉しくってしかたがないブランドンくん。さっそく履いて登校すると確かに生徒たちの見る目が違うような気がする。これが噂の靴パワーか! すごいな!
大事な靴に小便が付かないよう便器から二歩も三歩も離れて用を足すブランドンくん。大事な靴が砂とかで汚れないよう童貞の方の友達にバスケを誘われても断るブランドンくん。なんのためのエア・ジョーダンなんだと思うがかわいいから許す。
でもここから映画急展開。そんな高い靴を見せびらかすように履いてたら危ないぞと「はじめてのおつかい」感覚で心配してたら案の定ギャングスタ・ラップばっか聴いてるストリートの不良にカツアゲされてしまう。
もうバカにされたくない。奪われた靴を取り戻してやる。っていうんでブランドンくんは助力を求めて叔父の家へ。その叔父、『ムーンライト』のマハーシャラ・アリ。職業はなんか麻薬関係のやつ。
もうどうなるか推して知るべしであるが、そこからブランドンくんと二人の仲間は銃と女とドラッグと殺し合いに満ちたギャングスタなストリートに足を踏み入れていくのであったというわけで、その道程を先導するのが件のギャングスタ・ラップ名曲選的サウンドトラック。
ブランドンくんは靴奪取を決意した当初こそその曲を聴きながら俺だってやってやるぜと燃えていたがー、そのうち自分がこれからしようとしていることの現実的な意味に気付いて劇的にテンション下落。
重い足を引きずって、節もなにもなく死んだように歌詞を口ずさむ姿はめちゃくちゃ切ないが同時にちょっとアホらしいのだった。
本当はどうだっていいのだ。ただバカにされたくないから履いてるだけで靴なんて別に興味ないし、女にも銃にもそんなに興味もなければ報復だって怖いからしたくない。
でもギャングスタ・ラップは自然体ブランドンくんが持ち合わせていないそういうスタイルこそをアメリカ黒人のあるべき姿として称揚する…そのスタイルを纏えばもう誰にもバカにされたりしないから、と商品化された空虚な言葉で。
ギャングスタ・ラップの呪縛。その次世代への継承。形骸化と悪循環。ギャングスタ・ラップのリアタイ世代なマハーシャラ・アリはその価値観を内面化した人だった。だからブランドンくんは行く。
で行った先でブランドンくんが何を知るかというとブランドンくんから靴を奪った不良も実は、靴も銃も女だってわりとどうでもよくて、ただギャングスタのスタイルを継承しただけのもう一人のブランドンくんと言うべき人だということなのだった(だからマハーシャラ・アリは彼を自分の親戚のように語るのだ)
どうなるブランドンくん。まぁどうなるかは一応ネタバレ配慮で伏せておくが、ギャングスタ・ラップ的に勝った負けたとかバカにしたとかされたとかそんな事ばっか気にしてると疲れるだけじゃない、ゲームしてネット見てヘタウマラップを宅録(クローゼット内収録)して、みたいな腑抜けた今風の若者カルチャーの方が平和だし楽しくていいじゃない、という感じの清涼感漂う、次の時代への希望に満ちたキラキラした青春映画でたいへんよいかったです。
いやファンタジックにのほほんとキラキラしてるんですよ本当に! こんな殺伐としたサスペンスフルな話なのに! 銃の撃ち合いとか路上フェラとかドラッグとか人死にとか出る映画なんですけど!
それもまたブラック・ムービーのアンチテーゼという感じでおもしろいところ。あとブランドンくんたち三人組の冴えない日常っぷりは結構笑えました。
【ママー!これ買ってー!】
ダメでも別にいいじゃないということで貼りましたが『キックス』のブランドンくんたちはこんな小汚くないです。
↓直接関係はないが姉妹編のような