《推定ながら見時間:40分》
《推定睡眠時間:80分(巻き戻して睡眠部分鑑賞済み)》
あれはメキシコとかざっくりラテンアメリカでよくある住居構造なのかどうか知らないがワンルーム賃貸アパート暮らしの目にはどこがどうなってるんだか皆目わからず奇異に映る金持ち邸宅を構えた知識人一家の住み込みメイドが、その邸宅のエントランスっていうか廊下っていうか、正面玄関と中庭を繋いでる通路らしいんですけど建物の内部に組み込まれてるから床は住居と地続きになっていて、天井も住居のそのまま延長で、でも中庭か車庫に出入りするためにそこを車が通ったりもする…とにかくそういう通路があって、そこを主人公のメイドが水撒いてブラシでこすって掃除してんですが、ちなみにオープニングの話なんですが、その音が寄せては返す波のアナロジーになっている。ザザァ、スッスー、シュー…ザザァ、っと。
水、水溜まりの反射、水の滴り、流れていく水、水が映画全体を貫くモチーフになっている叙事詩で、大河ドラマと言いたくなるが大河というには流れが激しくどこへ向かうのかわからん不穏が立ち込めていたから何か別の言葉を使いたい、が、ちょうどいい言葉を知らない。
波濤ドラマというのもありかと思ったがそんなに東映三角的ドバァ感のあるダイナミックな映画でもないし。テオ・アンゲロプロスの映画みたいな、と情けない比喩に逃げるとなんとなく負けた気がするが(なにに?)、でもそれが一番伝わるのか。ミニチュア超絶技巧版の『旅芸人の記録』メキシコ編。“ギリシア”に対しての“ローマ”というシャレを汲んでもらいたい。
デジタル撮影のモノクロ映像というのはフィックスの美的効果とか擬古的な装いを狙いすぎている気がして俺はあんま好きではなく、これもその類いのモノクロなので最初はふーんと斜に構えていたが途中からそれどころではなくなってしまったぐらいには単純に、映像超綺麗だし楽しい。
カメラの動きは基本的に360°パンニングとトラッキング、あとフィックスの三種類しかないので常に一定速度で画面が回るか、横にスライドするか、止まっているか、だけ。なのでコンポジションと光の表現がほぼ全て。
アルフォンソ・キュアロンが監督に飽き足らず撮影監督まで兼任して画面のどこになにをどんな組み合わせでどんな映りで置きたいか、ということのみを追求したような箱庭的モノクロイズム、バロック絵画的映像表現の極地なんであった。
一枚画の連続で見せる都合、長回しが多い映画だったが、音の長回しとでもいうべきシーン毎に一繋ぎになったサウンドトラックも面白かった。
鳥のさえずりや犬の鳴き声、排水や食器のガチャガチャなんかの生活音で構成されるシンフォニックなミュージック・コンクレートで、ちょっとだけフロイドの『原子心母』っぽい感じ。
『トゥモロー・ワールド』でピンク・フロイドとキング・クリムゾンを引用したプログレ映画監督キュアロンであるからこの音はプログレだ。
陶酔系の映画だったがチンポ丸出しで棒術なのか剣術なのかなんだかわからないインチキ武道演舞を披露する謎男、車庫入れに失敗してガコンガコン壊れていく車、とか予期せぬところで飛び出すユーモアもまた良し。
やぁ、すばらしい映画だったなぁ。映画館で見せろ見せろと映画ファンがうるさい映画ですが、これは確かに映画館で観たいよね。この高精細美麗映像と音響は。
【ママー!これ買ってー!】
あとウェス・アンダーソンが撮ったテオ・アンゲロプロス映画っていう喩えもそこそこ有効なんじゃないすかね『ROMA』。