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従軍慰安婦ドキュメンタリー、ではなく従軍慰安婦を巡る言論のドキュメンタリー。それが何の主戦場かという説明はそういえば劇中には特になかったが原題は『THE MAIN BATTLEGROUND OF THE COMFORT WOMEN ISSUE』、フェミニズムの主戦場としての従軍慰安婦問題であった(※2019/4/30追記 この映画が慰安婦問題の主戦場ですよというそのままの意味で良いのではないかと思い直す)
慰安婦問題に様々な層があるように『主戦場』のタイトルにも様々な含みがある。俺がこのタイトルから想起したのは産経新聞の提唱する「歴史戦」で、その主戦場としての慰安婦問題だった。
東アジアのプロパガンダ戦について、『産経新聞』は2014年4月1日にひとつの興味深い言葉を発明した。中国や韓国は歴史認識問題を使って反日キャンペーンを繰り出しており、日本もこれに対抗しなければならない。こうした認識のもと、同紙はそのような戦いを「歴史戦」と名づけたのである。
辻田真佐憲『たのしいプロパガンダ』
なんで産経新聞、劇中で言及されなかったんだろうか。情報の洪水系な鬼リサーチ映画であるし、保守論壇のオルタナティブな歴史認識に図らずも一定の説得力を与えることとなった(少なくともその読者においては)朝日新聞の吉田証言取り消しについても触れられていたので、となると吉田証言批判の急先鋒である産経新聞にノータッチというのはわりと不自然な感じがある。
…まぁ、色々大人の事情とかあるんでしょうな! 訴訟リスク回避とか! 別に訴えられるような内容ではないと思うが、かといって「歴史戦」読者に耳当たりの良い話というわけでもないので、劇場の萎縮を危惧するところもあったのかもしれない。
わざわざ訴えるまでもなくオルタナ右翼の鉄砲玉連中を煽ってやりゃあ脆弱なミニシアター興行を潰すなんて簡単である。アンジェリーナ・ジョリーの『アンブロークン』がSNS炎上を受けて公開中止(その後、規模を縮小してひっそり公開)に追い込まれたのはさほど昔のことではない。
というわけでこういうセンシティブな映画は騒ぎになる前にとりあえず観ておけである。だっておもしろいに決まってるでしょう。超おもしろかったですよ。出演:テキサス親父、杉田水脈、ケント・ギルバート、櫻井よしこand more!
この超豪華キャストから観る前は右翼のアベンジャーズだと心の中で盛り上がっていたが、実際に観たらアベンジャーズじゃなかったね、『マッドマックス 怒りのデスロード』です。
右から左から韓国から米国から日本から大小様々な組織や論客が大集結、最初から最後までクライマックスなアクション(活動)の連続という意味で『主戦場』、言論版の『マッドマックス 怒りのデスロード』だったんである。まぁ『マッドマックス 怒りのデスロード』も部族の慰安婦たちが自由を求めて戦う映画ですしね。
それにしても情報量が多い。その上に超スピードで展開していくので一覧しただけでは到底消化不可。おもしろいなぁおもしろいなぁとニコニコ顔を浮かべながらゲボ吐いてしまいます。
いわゆるアレックス・ギブニー的なスタイルのドキュメンタリーで、題材に対する一つの視座を客に与えるのではなく、ミクロとマクロを自在に行き来して包括的に題材を捉えつつそれをそのまま客席にぶん投げるという感じ。
なんせ題材が題材なものだからアレックス・ギブニー的スタイルといってもギブニー映画より遙かに癖が強い。監督も専業映画監督ではないので素人っぽい作りにはなっていないが相当混沌としている。
一応映画は従軍慰安婦論争の三つの論点、すなわち「20万人」という数字の根拠、「強制連行」の有無、「性奴隷」という表現の妥当性について左右両陣営の研究者やジャーナリスト、活動家のインタビューを通して妥協点を探っていく(これだ! みたいな答えは基本的にないというのが前提)のがメインになっているが、それに留まらずそれぞれの陣営の歴史認識の形成過程や陣営内の見解の相違、更にはオルタナ歴史観の本丸である日本会議の活動へと話はスライドしていく。
こちらとしてはもうそれだけで体力の限界なのだが出演しているのが保守スタァズなのだから限界突破のランナーズハイである。
もうすごいですよ。杉田水脈とか喋ってるうちにスーパーチャージャーが完全にオンに入ってました。たぶん聞かれていないことまで嬉々としてマシンガン放言してしまうその姿はマッドマックスで言うところの武器将軍、歴史認識だけならまだしも「中国と韓国は未だに日本より優れた技術を作れてないんですよ!」とかパラレルワールドの壁まで撃ち破る衝撃的な発言であった。
それに比べるとさすがケント・ギルバートは弁護士だけあって冷静沈着、慰安婦問題に関する保守論壇の「公式見解」を慎重になぞりつつも多少は例外もあるかもしれないなどと逃げ道を作っておくことを忘れない。マッドマックスで言うなら狡知に長けた人食い男爵だろう。
テキサス親父? テキサス親父なんて特攻屋のニュークスですよニュークス。あるいは爆炎ロックで煽動するドーフ・ウォーリアーな。そんなカッコイイのと一緒にするなよ! じゃあヤマアラシ特攻隊の誰かでいいです(それもカッコイイじゃないかとのツッコミは受け付けません)
さて武器将軍に人食い男爵ときたら触れないわけにいかないのはイモータン・ジョーだ。言わずもがな、言論マッドマックスたる『主戦場』のイモータン・ジョーは櫻井よしこである。
やぁ、やっぱ櫻井よしこは杉田水脈なんかとは格が違いましたねぇ。圧倒的な大物オーラ。インタビュアーが露骨にビビっている。予告編とかポスターを見ると櫻井よしこがメインキャストかと思うが、実は出演している保守論客の中で一番インタビュー映像が少ないのが櫻井よしこだった。
お前は丹波哲郎か。まぁ単純に脇が固くて杉田水脈みたいに言質が取れなかったんでしょうが、そのへん、やはり界隈のイモータン・ジョーである。髪型もなんとなく似ている。
ところで、その出演時間の少ない櫻井よしこを宣伝のメインに持ってきた、というのは映画では描かれなかったオルタナ歴史観や保守論壇の誘引力の源を皮肉な形で説明しているようであった。
こう言ってしまえば身も蓋もないのだが結局、保守論壇の方がキャラが濃くて極端なことを言うので単純に面白いんである。
辻田真佐憲が『たのしいプロパガンダ』で書くように楽しさを纏ったものが巧妙なプロパガンダだとしても、だからと言ってその楽しさを見切りを付けることはできないし、楽しさを戒めようとすればするほど抑圧された楽しさの魔力は増していく。
真面目な事実と楽しい虚構を選ぶ自由がもしあれば、俺を含めて大抵の人は楽しい虚構を選ぶんじゃないかとやはり思うのだ。
その一例は他ならぬこの映画自体にあったように思う。劇中で保守論壇のオルタナ歴史観をリードするラスボス的に扱われているのは加瀬英明というオッサンですが、この人は日本会議の東京都本部会長でかつ「新しい歴史教科書をつくる会」とか「慰安婦の真実国民運動」みたいないかにもな組織に関わっているとしても、だからラスボスというのは一種の錯視的演出で、わけがわからんレベルに膨大なジャンル別小組織が接続された草の根ネットワークを築いている保守論壇や日本会議界隈にあって、複数の運動組織に籍を置いている重要人物というのは決して少なくない。
なぜこの人だったんだろうか、と考えると確かにその経歴からすれば当然なのだけれども、日本会議系では他にインタビューが取れなかったからじゃないかとも思ったりする。
作り手としては本当はもっとオルタナ歴史観の歴史は丁寧に掘り下げたかったかもしれないが、制作の時間も予算も無尽蔵にあるわけではない。そのときに、この作り手は加瀬英明をとりあえずの客へのプレゼントとして、映画を面白くするために加えることを選んだんじゃないかと思うのだ。事実、加瀬英明のインタビューパートではその発言のひとつひとつに場内爆笑であった。
加瀬英明は学のある話の分かる感じの人であるし好々爺というにはまだ若いが親しみやすい楽しいオッサンである。けれどもその飄々としたみてくれの下には強烈な保守的情念や無意識的な差別意識が渦巻いてもいる。
「子どもたちには楽しい歴史を教えたい」からと従軍慰安婦の記述を歴史教科書から削除しようとすることは(それだけではないにしても)その目的ほど楽しいことではない。ある意味では『主戦場』にも言えることだろう。
だから重要なのはこんなものは単なる面白い映画で、単体では大して慰安婦問題の理解の役に立つものではないとドライに捉えておくことなのかもしれない。
大体たかだか2時間の映画を観たぐらいで慰安婦問題がわかったような気になられても左右問わず関係各者だって困るでしょう。動員できりゃなんでもいいやって人なら喜ぶかもしれませんが。
その意味では大変お勉強になる映画で、そう宣伝されているように客観的な立場で撮られた映画なんかでは全くなく100%リベラルの視点で撮られた映画であるが(よくこういう映画を推す人間は映画の中立性をアピールしたりするが、そういうやつは映画のいったい何を観ているんだとさえ思う)、複雑な問題の単純化に伴う表面的な楽しさがそうした政治性を覆い隠すことを身をもって示しているという点にこの映画の一筋縄ではいかない面白さと教育的価値がある。
複雑な事柄を単純化することはできないし複雑な事柄を複雑なまま理解することもできない。20万人という数字ひとつとっても概算でしかないわけで、それ以外に数字を求めようがないという不可知の領域に慰安婦問題は置かれていて、なおかつ問題にコミットする人間が多岐に渡る上にそれぞれがジェンダーとか外交とかナショナル・アイデンティティとか同じ慰安婦問題の違う層で議論や活動を行っているから少しも噛み合わない、結果の予測不可能な領域にも置かれている。
もしそのような難問を楽しく要約したり楽しい解決の展望を提示したりする人がいたら、変に真面目に受け止めたりしないでそのまんま楽しいだけの話として受け流しておいた方がいいんでしょうな。
だって僕は知りませんが賞金何億とかの数学の難問を読んだそこらの普通のオッサンが答えわかった! って言い出してもみんな信じないでしょう、面白がりはしても。
でもその水準まで慰安婦問題を持って行けたらそれはたぶん大きな前進だろう。『主戦場』は慰安婦問題の答えを何一つ出さないし、慰安婦問題の理解の助けにも大してならないが、当面は答えの出ない問題であることを理解する糸口にはなる映画だったように思う。あくまで楽しく。
【ママー!これ買ってー!】
映画のわりと最初の方で触れられていたたぶん最重要副読本。
吉見義明氏は、ある本の鼎談で、
既に1935年からあった「史料の真贋検討法」等
を書いた本の話題に、参加していました。
参考『歴史の事実をどう認定しどう教えるか』
教育資料出版社1997・p190
本になっているのですから、彼もそれを、検討はしたであろうと思います。
しかしながら彼は、その本の内容(真贋の検討、虚偽の例)を、
活動中の仲間である左派研究者には、教えませんでした。
そして彼は、自分が提出する資料の真贋について、全く検討してきませんでした。
しかし、歴史認識問題で出てきている資料には、多くの贋作があります。
昨年5月のテレビ番組では、冒頭5分でねつ造現場が映し出されました。
番組はユーチュブで確認できます。
それは、東京都埋蔵文化センターと防衛省戦史研究室に、
ねつ造文書の関係者がいる、という証拠です。
以下ページに続きがあります。
毎日新聞記事へのメール
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190429mainitisinbun.html
コメント欄を主戦場にするのは勘弁。だいたいそんな断片的な(そして党派的な)情報を急に出されてもどうも捉えようがありません。
東京におらず、実物の映画を見ていないので、貴方の感想からの類推となってしまいますが、多くのインタビューの中から、使いやすい部分の断片を拾い、その内容につなぎ合わせて編集する朝日新聞的な情報収集を感じます。
まさに主戦場は情報操作を用いたプロパガンダ戦となっており、慰安婦の実態について横に置くというリベラル側の戦い方を示していると感じます。
話の一部を摘ままれる事を警戒すると、議論も活発に出来なくなるので、双方の論客がネット上に編集なしで、互いの認識している事実を順次紹介、解説の上、議論を公開し国民に見てもらうというのが面白そうではありますけどね。
朝日新聞は購読しておりませんのでそれが朝日新聞的かどうかは存じませんが、「多くのインタビューの中から、使いやすい部分の断片を拾い、その内容につなぎ合わせて編集する」というのはその通りだと思います。文中にもありますがアレックス・ギブニーというアメリカの著名なドキュメンタリー作家がおりまして、彼の作品がまさにこういうスタイルなのですが、汎用性が高くなにより刺激的なのでアメリカのドキュメンタリー映画ではよく模倣されてます。個人的な認識としてはこれもその一本という感じですね。
「双方の論客がネット上に編集なしで、互いの認識している事実を順次紹介、解説の上、議論を公開し国民に見てもらうというのが面白そう」
同意見です。そうした討論プラットフォームの構築は急務だと思います。イデオロギーや認識の違いでサイバーカスケードやエコーチェンバーが生じてしまうことの問題は左右を問いませんし、慰安婦問題に関しても左右の見解の相違よりも議論をする場がないことが深刻なのだと思います。
甚だ不完全ではありますが、その意味では一応この映画も議論の必要性を(暗に)訴えるものではありました。
私は映画「主戦場」の存在自体を好ましく思っていない立場であります。この映画を称賛するも批判するも、それば個人の自由でありますが、私は許せないのです。貴兄が「主戦場」をひとつの映画として楽しみながらの分析には納得できるものがありました。特に「そう宣伝されているように客観的な立場で撮られた映画なんかでは全くなく100%リベラルの視点で撮られた映画であるが(よくこういう映画を推す人間は映画の中立性をアピールしたりするが、そういうやつは映画のいったい何を観ているんだとさえ思う)」は、私個人の感想ではありますが、ツイッター等でこの映画を礼賛する多くの意見に触れて息苦しいとも思える感情が少し晴れたかもしれません。話を戻しますが、文字数から詳しく書けませんから、いかにして右派の人達が出演しているのかについての動画を紹介させてください。私は映画を冒涜したこの映画監督を許すことができないのです。では、失礼します。
youtube.com/watch?v=rja74gJV8TU&t=5s
youtube.com/watch?v=ayI0Z2EjezU
鬱憤が晴れたのはなによりですが、出演の経緯と映画の内容に関してはそれぞれ別個の問題として分けて考える必要があると思いますし(たとえば非合法的であったり倫理的に問題のある撮影を敢行していながら映画史の残る作品はいくらでもあります)、なによりコメント欄を思想宣伝の場にされると困りますので(私としてはこの映画のプロパガンダ性を批判したかったものですから)、元コメントの動画URLは残しつつ一応ハイパーリンクは削除させてもらいました。あしからず。
出演の経緯と映画の内容に関してはそれぞれ別個の問題として分けて考える必要があると思いますし(たとえば非合法的であったり倫理的に問題のある撮影を敢行していながら映画史の残る作品はいくらでもあります)良い映画のためなら、殺人・強盗・誘拐・強姦・リンチもゆるされるということですね。ブログ主の倫理観には驚かされました。
「分けて考える」ということの意味は(例えば)殺人・強盗・誘拐・強姦・リンチ等々の罪が撮影に付随してあれば当然ながらその罪は裁かれるべきで、しかしそれと映画の内容や出来は別だろうということです。これらが「ゆるされる」というのは「分けて考えない」ということです。
ちなみに殺人・強盗・誘拐・強姦・リンチが撮影のために行われた映画は寡聞にして存じませんが(金正日が韓国の有名映画監督を拉致して映画を撮らせた事件はあったそうです)、前述の「非合法的であったり倫理的に問題のある撮影を敢行」した映画史上の名作として想定していたのは『ラストタンゴ・イン・パリ』や『ゆきゆきて神軍』や『北陸代理戦争』(これは撮影後のことですが)や『國民の創世』などです。それぞれがどう問題があるのかは書くスペースがないので検索してください。
少なくとも著作権の侵害、肖像権の侵害で裁判を提訴されている映画ですね。
微罪ならOKってことでしょうか。
微罪も何も裁判にすらなっていないのでOKもNGもないとおもいますし、提訴の意味が分からなければ張本人のケント・ギルバートは弁護士なんですからFacebookとかで聞いてみたらいいんじゃないすか
今日やっと「主戦場」見れました
このブログに同意ですね
これは慰安婦問題の映画じゃないですね
単純に右にせよ左にせよ、振り切ってる人の理論は面白いって内容の映画です
いや、右左すら関係ないか
要は片方に振り切ってる人の理論は面白いって映画です
ただ、これを見て慰安婦問題を分かったつもりになっている人が結構いるんですよねえ
作った人間が悪いのか、浅はかな人間が悪いのか・・・
政治や社会問題を扱ったアメリカのドキュメンタリーの典型のような作りなので別に誰も悪くないと思いますが、監督はラジオで(慰安婦問題については)出来れば本を読んでほしいと語っているので、この映画はあくまで入門編みたいなものなんだっていうメッセージはもう少し強く打ち出しても良かったんじゃないかとは思いました。