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ストーリーが面白くないという声が結構あるようなので顔を真っ赤にして反論するが冒険じゃないんですよ冒険じゃあ、これ旅行だから! 紀行映画! 旅行に波瀾万丈のストーリーなんてありますか!? ないでしょう!! いや、ある場合もまぁわりとあると思いますが…それはさておきだ!
『地下室からのふしぎな旅』の原作タイトルをわざわざ変えて『バースデー・ワンダーランド』というタイトルなのだ。お誕生日に主人公の小学生女子アカネはお母さんからプレゼント貰いに行っといでと叔母さんの経営する気に食わない感じの小洒落た雑貨屋に送り込まれてそこから異世界に旅立つ。
旅行狂いの叔母さんは年がら年中海の向こうのどこかに足を運んではなにかしら現地のブツを手に帰ってくる。
やっぱり気に食わない感じの棚に並ぶその品々をみながらアカネはどこでもあってどこでもないような想像上の異国に思いを馳せる。その場所がアカネは好きだった。学校は窮屈だし色がなくてつまらない。ほんの些細な、しかし小学生女子にとっては一大事なクラスメートとのトラブルもあって逃げ出したくもあった。
だから、あの異世界の滞在はアカネにとって冒険ではないわけだ。山あり谷あり試練あり戦いありのヒロイックな成長譚としての冒険ではなくて、アカネの憂鬱を感じ取ったお母さんからのお誕生日プレゼントとしての旅行。叔母さんと行く癒やしと発見の旅。
ストーリーに起伏が乏しいのは日常の逸脱ではなくあくまで拡張としての異世界紀行だからで、その道はどこか遠くへ通じているようで一直線に実家へと繋がっているのだ。
とはいえ純粋な紀行映画ではなく一応異世界の危機がどうたら的なファンタジーストーリーはあるわけで、それを構成するパーツが足らないようなところは確かにある。とくに異世界キャラクターの心理を説明する部分とか。最後らへんなんか『オトナ帝国』のしんちゃんもかくやの駆け足展開でかなりの拍子抜け感だったりする。
俺としてはそのへんの欠点も異世界を表面的にしか描かないという意味で旅行者の目線の表現に思えたし、そうであろうがなかろうが風景作家・原恵一の面目躍如な異国の風景(ニュートンとかナショナル・ジオグラフィックに載ってるような世界の不思議地形・不思議居住地がいっぱい)が圧倒的で、舌足らずなストーリーなんかぶっちゃけどうでもよくなってしまう。
語りたいことは絵で語るってのがやっぱアニメでしょうよ。むしろ起承転結のハッキリした、各要素がそれぞれ対応関係にある、いわば残余のない合理的なストーリーになっていなかったことは、客のためではなく作品のためには大変よかったのではないかとさえ思うのだった。
そういうところでいえばアカネの声が松岡茉優、叔母のチィが杏、二人を異世界へ誘う錬金術師のヒポクラテスが市村正親の非声優キャスティングも案外おもしろい効果を生んでいたかもしれない。
市村正親はともかく松岡茉優は演技の巧拙は別としても声質が全然役に合ってないと思うが、それが観ている側と映画の間に距離を作って作品世界への没入を拒むようなところがあった。
今思い付いた俺定義によれば冒険者というのは旅先で出会った何かと敵対的にせよ友好的にせよ密接な関係を持つもので、その関わりを求めて旅に出る人のことを言うんだろうと思うが、旅行者の場合は密接な関係を持たずに過ぎ去っていく。
紀行映画たる『バースデー・ワンダーランド』はあたかも観客にも旅行者であることを求めているかのようだ。
あの異世界のファンタジックなあれこれをアカネとチィの旅行者コンビは適当にツッコミながら風景として受け流していくだけだし、出会った人々との関わりも極めてドライでほとんど何のドラマも生まない。
それは異世界の住民も同じで、アカネとチィになにかを濃い関わりを求めるようなことはないし、こっちはこっちで流れていく風景として、無個性で匿名的な旅行客としてのみ二人を捉えていたりする。飯屋に入れば足元を見られて税関では理不尽な外国人差別を受ける。
これはちょっと感動的だったな。可哀想な弱者でも無条件で助けてくれる善人でもなくて単にそこに住んでいるだけの平凡な一般人としての異世界住民、という視点。そこにはドラマも理想もなくてただ生活だけがある。
ややもすれば相互理解か分断かの二択に文化摩擦の状況が落とし込まれてしまう風潮の中で、こういう風に文化を相対化することでその二者択一を無効化してしまう、ドライに異文化を尊重する共存の眼差しはなんだか救いになる。日常生活を物語の基盤にする原恵一らしいところだ。
基本的には旅行の映画だったが映画も終盤に差し掛かると旅は若干冒険の方に傾いてくる。アカネはそこで一人試練に挑むことになる。なんのための旅かといえばそもそも異世界の危機を救うための旅だった。
それは物語内物語の水準で、現実の水準ではアカネの心に引っかかっていた出来事にアカネが立ち向かうことを意味する。誕生日の前日か数日前、アカネは仲間はずれを恐れて仲の良いクラスメートを無視してしまったのだ。
旅行者として旅をすることは目の前に広がる様々な光景を不平等や不正義も含めて徹底して風景にすることだ。それは悪いことではないかもしれないが、いつかはそうした光景に風景ではなく自分の問題として相対する必要も出てくるかもしれない。
旅行から冒険へ。旅行の経験が旅を冒険に変える強さを与えるという話。冒険以前の冒険の条件についての話なのだと思えば、異世界を救う旅のくせに緊張感皆無のダラダラムードが全開というのも腑に落ちるんじゃあなかろうか。
繊細な日常描写は相変わらずの原恵一イズム。孤独に沈んだ悪役のハードボイルドな色気もまた原恵一映画の魅力、近作ではあまり見られなかったから嬉しい。何度見ても気に食わない感じの小洒落た雑貨屋の壁に「Full Color」のポスターが貼ってあるのは自作『カラフル』のセルフオマージュか。
ルソーやグランマ・モーゼスっぽい感じもある素朴派絵画的な色彩と構図の力強さ。デザイン:イリヤ・クブシノブのキャラクターたちの醒めた存在感。ネコの尻尾を掴んでぶん投げたりしちゃあいけません(そのネコが可愛くないのも○)。素晴らしいね。
適度な笑いも良かったな。個人的お気に入りは上官に無理難題を押し付けられた時のモブ兵士の表情。そしてその表情の意味が判明する下り。
『オトナ帝国』以前の原恵一版・映画クレヨンしんちゃんみたいにキレッキレなコメディにはなっていないが、少数先鋭のギャグはどれも外さない。ユーモアの中に大人のペーソスを感じさせるところはちょっとクレヨンしんちゃんっぽい感じでもあった。
この映画とは別に関係がないのだが武田鉄矢による『ドラえもん のび太と雲の王国』の主題歌「雲がゆくのは」が頭に浮かんだクライマックスには泣いてしまった。
世界は色で溢れていてそこに住む誰もが違う色の風景を見ているが、ほんの束の間だけ同じ色の風景を見ることもあるのかもしれない。
なんで武田鉄矢って性格悪い歌手ランキングの上位ランカーなのにあんな良い詞を書くんでしょうね。急に、完全とばっちり悪口!
【ママー!これ買ってー!】
既にこの頃から顕著な原恵一の旅行志向。そういえば原恵一のしんちゃん映画は南海クルーズに行ったり温泉に行ったりと旅行に行きたい感がバリバリ出まくっている。
↓原作
あまり評判が良くないようですが、自分的には「ああ、見て良かったな」
と思える映画で、なぜそんな風に思ったか、ここを読んで凄くしっくりと来ました。
興味深い感想・考察をありがとうございました。
まさに「ああ、見て良かったな」っていう感じの映画でした。「超最高!」とかじゃなくて。