《推定睡眠時間:0分》
ラザロというのはキリスト関係の一回死んで蘇った人というざっくりイメージしかなかったのだがグーグルに調べてもらうとキリスト関係ではもう一人別のラザロというのもいるらしく、いるというか底辺貧乏人のラザロと彼を見捨てた金持ちがどうのこうのみたいな貧富に関するキリストの例え話に出てくるらしい。
序盤の絵面から恥ずかしくもすっかりスペイン映画だと思っていたが舞台はイタリアの僻地で、そこで地を這うようにして暮らしている農奴集団のうちの一人が極限のお人好し主人公ラザロくんなのだったが、するとこのラザロくんは二人のラザロのイメージがドッキングしたダブルマックラザロ的なお買い得タイプなのかもしれない。
お買い得なので他の農奴仲間や土地を持ってる「侯爵夫人」からあれやれこれやれといいように使われた上に死んでしまってオオカミ以外誰にも死体を発見されない悲劇。
早くも重要なネタバレなのだがラザロくん死ぬんです。エッっていう感じで死んでしまいます。でも大丈夫ラザロだからちゃんと復活。だが復活したのは十数年後であったから気分はすっかり浦島太郎、映画的にはクストリッツァの『アンダーグラウンド』状態なのだったというわけでびっくりの二部構成、いやぁ、なるほど、カンヌで脚本賞取るだけありますな。おもしろいシナリオっすね。
その各部の中にもそうと悟らせない小ビックリポイントがキッチリ仕込まれているのだからよくできたシナリオだ。
映画は外部から隔絶された電気もガスも通じない不毛系の土地で農奴集団がえーこらひーこらやってるところから始まって、やがて反抗期に入った「侯爵夫人」の息子のラザロくんを使った狂言誘拐へと進んでいく。
ラザロくん疑うことを知らないので素直に言うこと聞いてお前と俺は半兄弟なんだぜ的な金持ちのドラ息子の戯言を素直に喜んだりする。
あぁこれはホッコリ系と見せかけて絶対ラザロくんドラ息子に裏切られて「侯爵夫人」の怒りを恐れた臆病な農奴たちのスケープゴートにされてすげー可哀想になるやつ、と思ったら明後日の方向に話は展開。
ドラ息子の隠れ家に向かう途中でラザロくん崖から落ちてあっさり死亡、一方その頃、兄貴を心配した妹が警察を呼んだことで仰天事実が発覚してしまう。
ドラ息子はアンテナ付き携帯とか持ってるけど農奴は前述の生活水準だしこれ時代設定いつやねんの疑問がふわふわしていたが実は、農奴たちは正業で食っていけなくなった「侯爵夫人」一族に騙されて何代か前からシャマランの『ヴィレッジ』みたいに造られた地獄の中に閉じ込められていたらしいんである。
がーん。その展開は予測不可。世界広いからそういう地域もあるだろうねぇぐらいにしか思っていなかったが、まさかそんな大がかりなにわかには信じがたい劇的搾取が行われていたとは…でも文明も教育も与えないで思考の余裕もないくらいに奴隷労働をさせてたらこれぐらい案外容易なのかもな。
児童労働の現場を見て愕然とする警官の「学校は?」の問いに、農奴たちは馬鹿にしたように笑ってこう返す。「学校は金持ちが行くんだよ。あんた知らないの?」実に痛々しいユーモアであった。5分に1回くらい笑える映画だが笑う度にハートが痛い。
さてラザロくんの奇跡かはたまたドラ息子の勇気(?)のおかげか、ともかく解放されて無事現代社会に復帰した農奴たちだったが、それから十数年後に復活したラザロくんが見たのは行政の支援からこぼれ落ちて結局以前と変わらないというか、むしろ貯蓄は常にマイナスであっても衣食住に困ることはなかった農奴時代よりも過酷な、資本主義社会の最底辺で犯罪込みのその日暮らしを送る万引き家族へとクラスダウンした元農奴たちであった。
またラザロくんは国境を移動する難民たちにも遭遇する。ラザロくんはそう認識していないが彼ら彼女らの境遇ときたら農奴よりも遙かに酷いもので、流されるままに参加してしまった難民ブローカーのお仕事オークションは極限不法重労働を難民たちに底値で提示、一番安い賃金で仕事を請け負う難民にのみその仕事を与えることで労働力をタダ同然で確保しつつ難民同士の分断を促し反抗の芽を摘み取る…となんだかもう地獄。
しからば凶悪な搾取野郎どもを全員まとめてぶっ殺すしかないんじゃないかとこころが東映方向に傾いてくるが、搾取する側も金がないから搾取しているという現実を容赦なく見せつけるえげつない『幸福なラザロ』である。
お遊びとはいえかつて兄弟の契りを交わしたドラ息子が現代ではすっかり落ちぶれて銀行が悪いんだ銀行がよぉぉとか言っていたので素直なラザロくんはドラ息子のお金を返してもらうために銀行に行ってみるのだが、その挙動の怪しさから行員も利用客も勝手に強盗と勘違い。
あっはっは、こんな無害なホームレスみたいなやつ(※ラザロくん)が強盗に見えるなんてみなさんよほど疚しいものを抱えてるんでしょうなぁ、と笑っていると利用客の一人が気付く。こいつ…武器持ってねぇな。ちくしょう…ちくしょう! 騙しやがって! 舐めやがって! なにが強盗だ! 俺の金だぞ! お前も働いて稼げよぉぉぉぉ!
怒り狂った客の一人がラザロくんをぶん殴るとなんと鬱憤MAX余裕ゼロな他の客たちも次々と暴行に加わって最終的にラザロくんを殺してしまった。エェッ! 劇画的衝撃のラストッ! そしてそこはかとなく漂う『狂った野獣』感! 確かに『狂った野獣』の中島貞夫監督はこういうテイストのやるせない社会派やくざ映画をいっぱい撮ってますよね! 『沖縄やくざ戦争』とか!
いやいやそんなこと言ってられないから。そんなふざけてられる映画じゃないから。いやぁ、まさか農奴生活からこんなところに行き着くとは…驚いた。超驚いた。でも『沖縄やくざ戦争』っぽいっていうのは当たらずとも遠からずだと思いますからみんな観てね『沖縄やくざ戦争』。急にステマが入ります。
という凄惨なエンディングだったがラザロくんに魂を運んだオオカミがその後で街をほっつき歩いてましたからなにかまた別のところで別の奇跡があるんじゃないかと思わせて後味はそんなに悪くない。
ラザロくんが再会した元農奴のホームレス万引き家族も状況はかなり絶望的ではあったがラザロくんのおかげでなんとなく前向きに。どうせ誰もまともに管理しないで半ば放棄されてんなら農奴暮らしを送ってた例の僻地に戻ってまた農場を再建しちゃえばいいんじゃない? とかなる。
そのあと万引き家族がどうなったかはわからないが、もし首尾良く彼の地を不法占拠して農場を再建することができたら家族は消えたラザロ(この人たちは銀行でラザロが2度目の死を迎えたことを知らない)をイエスのように崇めることだろう。
で、そのときには余裕がないからと自分よりも立場の弱い他人を足蹴にして搾取することは結局のところ回り回って自分の首を絞めることなのだと知るんじゃあないだろうか。余裕がなくともラザロを拾ってやったことで、時間はかかったが万引き家族は安息の地を見つけたのである…とまぁそのような可能性だけは一応ある。
基本的には宗教色の濃い寓話に思うが実際にあった詐欺事件を下敷きにしてるといい、それもなんだか信じがたいのだがたまたま今読んでいる『オフ・ザ・マップ 世界から隔絶された場所』という本にこんな事例が載っていたからあり得ない話ではないんだろう。
その場所はホンジュラスとの国境近くに位置するエルサルバドルのナウアテリーケという山奥の地域で、なんでもホンジュラスとエルサルバドルは1969年にちょっとした紛争があったらしい。原因は国境線近くに居住するエルサルバドルの貧乏農民たちが少しでもマシな暮らしを求めてホンジュラス側の土地に半ば意図せずして入植するようになったことで、その後1992年にようやく国境線が再画定、ナウアテリーケはホンジュラスに譲渡された。
でそこからが『幸福なラザロ』を思わせたところなのですがホンジュラスはエルサルバドルより断然国力があるので住民も多少は裕福な暮らしができるかと思いきや、ナウアテリーケの編入はとりあえず領土紛争を終わらせるための政治判断でしかなかったので、ホンジュラス政府はよく知らないナウアテリーケの住民たちの生活とかは基本的に興味がない。
土地の再登記はいい加減で私有が認められていない土地が出てきてしまった、辺境なので警察力が及ばず自警団が代理で活動、市民カードの配布は進まないので行政サービスが受けられない、主要産業は製材だったらしいが国が変わったので今までと同じように商売を続けることもできず経済崩壊、新しく学校も作られたが諸々の事情から(その事情はとくに書かれていない)国境線を越えてエルサルバドル側の学校に通う子供が大半、っていうかそもそも住民の意思で国が変わったわけじゃない。
今はさすがにだいぶマシになってるんだろうと思うのですが、ラザロは現実にいなくともこういう大不遇地域は現実にある(と少なくともこの本には書いてある)のだから、そりゃ映画だとしてもラザロに希望を託したくもなるよなって感じです。
難民も出てくるし万引き家族も線路沿いの廃貯水タンクみたいなのを改造して不法占拠してるっぽかったので、『幸福のラザロ』は寛容を説く宗教寓話でもありナウアテリーケ同様に見捨てられた土地に関する映画でもあったわけですな。
あと映像面でおもしろかったところなんですが、前半の農奴パート、スタンダードを少し横に長くして角丸にした見慣れないフレーム(スーパー16mm撮影だとか)に映し出される荒々しい自然風景が本当によくて、刺すような日光も、切り立った岩山も、鬱蒼とした森林も、天候の安定しない空の階調も、波打つ丘の作り出す光と影のまだら模様も全部うつくしかった。
それから風ね。ラザロの聖性を示すものは風なので風で演出を付けてくんです。囁くような穏やかな風とか、ぶち切れた突風が激しい葉ずれを起こしたりとか、そういうことをやる。その音がよかったなぁ。その音もよかったなぁ。
ラザロくんとドラ息子の友情のような何かの顛末も悲しくて悲しくてそこもまたよし。これはもう『沖縄やくざ戦争』における松方弘樹と千葉真一のようなもので…はないと思いますがそれぐらい琴線に触れましたね。このドラ息子もガキでバカなんですけど悪いやつじゃねぇんですよ。でも貧すれば鈍するでダメになっちゃうんです。その中で輝く束の間の絆が儚くて美しいのだ。
余談ですがぼくがこの映画を観たのは渋谷、いや日本が誇るスーパー高級住宅街SYOTOUから徒歩0分のところにあるハイソ系映画館のル・シネマというところなのですが、なんかその環境でこういう内容の映画を観ると沁み方が違うのでマジおすすめです。
貧乏人にやさしい感じの正義感に溢れたお金持ちがいざ自分がその貧乏人にお金をくれてやる段になると値切り交渉を始めるとかそういう意地悪ユーモアのある映画だったので…いや、ぼくは松濤のみなさまがそんな小物だとは思ってないですから!
そりゃあ天下の松濤人ですからね! 松濤の皆様はこんな意地汚い人間ではないでしょうから映画館を出てすぐのところによくビッグイシューを売ってるホームレスの人が立ってたりしますがきっとバシバシ買って支援とかしてくれてると思います! ぼくは松濤人を信じてますから! お金下さい!
【ママー!これ買ってー!】
完全版が5時間超とか聞いてないよ。聞いてもどうもしませんが。