《推定睡眠時間:0分》
黒沢清×ウズベキスタンとかいう異種格闘技戦にも関わらずの普通映画、ここで言う言う普通は取り立てて目立ったところがないとかそういう意味ではなくジャンル小説に対して普通小説と言うときの普通ですが普通は普通に違いない、こんなに普通に見られる黒沢清の映画は個人的に初めてだったので…監督カメオ出演がお約束のM・ナイト・シャマラン映画においてシャマランが出演しないことが逆サプライズになったりするように、これもその普通さがかえって新鮮だった。普通であることというのはこんな風に、日常から離れたところでようやく見出されるものなのかもしれない。
バラエティ番組の海外ロケ企画でウズベキスタンに怪魚を探しにやってきた前田敦子&撮影クルー。だが怪魚は見つからず撮れ高ピンチ。とりあえずなにか絵になりそうな場所や即席イベントをスタッフと探すうちに、前田敦子は自分を見つめ直していくのだった(めっちゃ普通である)
普通映画なので普通の芝居をしている役者が普通に面白いという異常事態。なにが面白いってまず撮影クルーの普通っぷりですよね。超普通にこういう人たちいそう。
カメラマンが加瀬亮、ディレクターが染谷将太でADが柄本時生(+コーディネーターのアディズ・ラジャボフ)なんですけど、もう、絵面が。それが映画的な仮構されたリアリティであることは一応わかってはいるんですけどAD柄本時生とかマジADじゃないですか。佇まいが完全に。
加瀬亮のカメラマンも普通さがすごかったなあ。いつも淡々とカメラを回してる朴訥な職人。ディレクターの染谷将太が思うように撮影が進まなくてイラついてる横で黙って機材セットしてAD柄本時生に指示を出す感じ、超ありそう超ありそう。
棒読み調の平板な台詞回しは黒沢清の得意技だが、いつもは違和感や恐怖感として機能するそれがここでは職人リアリティに転化、「はい、回ったー」の反復がなんだか可笑しくて笑ってしまう。
二人の現場馴染みっぷりに比べると浮いたところのあるディレクター染谷将太であったがこの人はどうもディレクター上がりたて。現地人には基本的に上から目線で企画が頓挫しかかるとすぐ不機嫌を発散、誰かが代替案を提示すると「うちの視聴者はそういうの求めてないんで」とすげない嫌なやつだが、新米ディレクターとして失敗できないというプレッシャーがその余裕のなさに繋がってるんだろう。
放送業界、ディレクターはポンポン変わっても技術スタッフはあんま変わらないイメージがあるので、すっかり勝手のわかったベテラン加瀬亮と調子が掴めず焦る不遜ルーキー染谷将太の微妙な緊張関係もまたリアルで良。
なんだか黒沢清の映画の感想とは思えないがいや本当そういう感じなんだってば、この映画。クロキヨ初期作『スウィートホーム』は幽霊屋敷にテレビの撮影クルーが入る映画だったからある意味原点怪奇、いや回帰かもしれませんが。
で主役はもちろん前田敦子なのでこういうスタッフ側のリアリティを下地にしたリポーター前田敦子の存在感で見せる、存在感が見せる。地に足をベタっとつけたスタッフ側のリアリティから少し遠いところに前田敦子は位置していて、そこらへんに居そうだけれども居なさそうな、その微妙な浮遊感が普通の映画に異化作用を与えていて素晴らしかった。
だって前田敦子すげー細いんですよ。タンクトップになる場面の二の腕とかびっくりしたよね。調和の取れた細さじゃないんです、不健康で危うい感じの細さ。ちょっと肉食った方がいいよね絶対。
それでそのスタイルで単身街に繰り出したりすると子供が歩いてるようにしか見えない。言葉がわからず話しかけてもらってもNOしか言えない子供が親とはぐれて不安そうにひょこひょこ歩いてるって風にしか見えないんで、ウズベキスタンの普通をカメラは普通に撮ってるだけなのに、その普通が映画を観てるこっちにもなんとなく怖いものに見えてくる。
ざっくり、その怖いものを前田敦子が克服していく映画だった。せっかくウズベキスタンまで来たのに撮影が終わるとホテルに戻って彼氏とLINEばかりしていたリポーター前田敦子が(そしてディレクター染谷将太も)あれこれの異国体験を経て未知のものに突っ込んでいく勇気をちょっとだけもらう。
怖そうに思えたものも突っ込んでみると案外怖いものでもない、っていうかむしろ普通。そうして彼女はなかなか踏み出せずにいた歌手の未知なる道を歩む決意をするのだった。要するにめちゃくちゃ普通の紀行映画なんである。
街レポありの海外ロケ企画を撮っている設定なのでウズベクの街並みショットはちょっとした見物。名称がわかりませんが街角遊園地にある明らか危険なぐるんぐるん回るミニ絶叫マシーン、やばかったな。レポで乗った前田敦子と加瀬亮がリアルに死ぬんじゃないかと思って笑っちゃった。
こわいよねぇ一応モーター駆動ですけど止めるときには係の若い兄ちゃんが強引に手で止めるタイプの雑なアトラクション。FUJIYAMAとかより断然怖いですよこういうのは。そこ、黒沢清的なモチーフでしたね。無慈悲な機械に拘束されて為す術なく死んでいく人間っていう。あっはっは。
2019/6/16 追記:
さっきツイッターで他の人の鋭い感想を読んでてアッと声が出てしまった。そうかそうだったのか。それでコーディネーターの話すナヴォイ劇場の内装を仕上げた抑留日本兵のエピソードが生きてくるのか…ナヴォイ劇場に入った前田敦子が愛の讃歌を歌う自分を想像するというのはそういうことだったんだろう。歌う勇気が出ないというのは。過剰なまでの普通志向もそのためか。あの普通が今はちょっと泣けてしまう。あっはっはと笑って締めてしまったが悼む映画だったよ、あっはっは…。
【ママー!これ買ってー!】
三池崇史の数少ないヒューマンドラマ路線の一本。自分を見失ってしまった商社マンの本木雅弘が中国で鳥人を探す、というあたりなんとなく前田敦子が異国で怪魚を探す『旅のおわり世界のはじまり』のアナザーである。