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断絶父子を『ファイナルファンタジー14』が救うというお話はブログ原作とはいえスクエニ全面協力なので『FF14』PR映画になっているわけですがそのPRっぷりが半端ではないので光のお父さんことオンゲ廃人・吉田鋼太郎(の若い頃を演じた人)がちょっと坂口博信にも植松伸夫にも見た目が似ている。
それはPRじゃなくて偶然だし映画『ファイナルファンタジー』でメテオ級のダメージを受けて後にスクエニを退職した坂口博信に似ているとしたらむしろ嫌がらせ。いや! そんなこともないのかもしれないな! 『FF3』出てくるから! オマージュかもしれませんね! だから偶然だっていうの。
それにしてもすさまじいゲーム映画であった。筋立ては王道中の王道、寡黙で仕事一筋の不器用人間だった父・吉田鋼太郎がなぜか専務昇進の話を蹴って会社を退職、家でダラダラと毎日を過ごすようになってしまう。
いつの間にか鋼太郎とは全然会話をしなくなってしまったその息子・坂口健太郎は広告代理店の期待の若手、にして『FF14』プレイヤー。家で死んだようになっている鋼太郎を見かねた健太郎はある作戦を思い付く。
そういえば昔、親父と一緒に『FF3』をやったっけ。あの時はラスボスを一緒に倒すと約束して、結局その約束は反故にされてしまったが…なら、『FF14』でその約束を取り戻せばいいじゃないか! 同じFFだし親父も馴染みやすいはず!
『3』から一気に『14』に飛んで馴染めるわけがないだろうと思うが、ともかくこうして健太郎は鋼太郎を『FF14』の世界に誘導、表向き興味のないそぶりを見せる鋼太郎だったたが数日後にはまんまと餌に食いついて、ゲームは1日10時間ぐらいやるオンゲ廃人としてのセカンドライフを歩み始めるだった。
健太郎はそんな鋼太郎に正体を隠してフレンド申請、パーティを組んだり雑談したりしながらともに広大な『FF14』の世界を冒険するうちに鋼太郎の家族への思い、そして退職の真相を知ることになるのだったが…とこういうお話。
まぁ実物オンゲ題材っていうのを除けばよくある話ですよね。でもこの映画がとんでもないのはその手の映画って最後はなんだかんだ親父が退職後の新たな趣味よりも家族の方が大事だと気付くつまらない展開になりがちですが、さすがスクエニ全面協力、こっちの親父は家族も大事だったがそれ以上に『FF14』が大事だった。
以下、ネタバレ入りますんで自己責任でお願いしまーす。
いよいよプロのゲーム廃人と成り果てた鋼太郎は夜に突入する高難度のパーティボス戦に向けて昼から(PS4の置いてある)居間を占拠、徹夜でチェックしたボス戦の実況攻略動画を頭の中で反芻しながらウォームアップしていたところ、悲劇。鋼太郎、たぶん大腸ガンに倒れる。家族には伝えていなかったが退職の理由はこれだった。
緊急搬送された病院の病室に向かいながら健太郎は悔恨する。ゲームなんてやってる場合じゃなかったんだ。もっと早く病気のことを知っていれば…ガラッ! 慚愧の念を振り払うように健太郎が病室の扉を開けると、手術を控えるはずの鋼太郎が、いない…!
ゲームであった。どうしても負けられない闘いに鋼太郎は手術を蹴ってまで向かったのだ。だがPS4の待つ自宅に帰る途中にも激しい痛みが鋼太郎を遅う。このままでは『FF14』にログインできない…その時、鋼太郎の前に救いの神が舞い降りる。『FF14』導入済みネットカフェ…!?
もしかしたらそこが自分の死に場所になるかもしれない。だが構わない。これがファイナルのファンタジーになるとしても、あの仲間と一緒にボスが倒せたら本望だ!
鋼太郎の行方を捜していた健太郎はフレンドからの連絡で鋼太郎がどこからか『FF14』にログインしていることを知って自分もログインする。
なるほどな、読めたよ。きっと健太郎はチャットで鋼太郎に、今まで隠していた自分の正体を明かしてこう言うんだろう。父さんが倒すべき敵はゲームの中にいるんじゃない、自分の中にいるんだ! だが実際はこうだった。「よし、一緒にボスを倒しに行きましょう!」うそぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!
すごくない。『FF14』のPR映画だとしてもすごくない。俺この場面観た時にある意味でゲーム映画の新たなる金字塔『レディ・プレイヤー1』を超えたと思ったよ、完成度じゃなくてゲーム映画として。
だって狂ってるでしょ。結局ボス倒した後で鋼太郎は手術受けて生還するんですけど狂ってますよ。オンゲ社会の韓国でゲームやりすぎて死んだ人のニュースとかたまに流れますけどマジでオンゲは人を殺すんだなって思いましたよね。
なんか思い出したなぁ。ぼくの父親もゲームやる人でPSの『バイオハザード3』のラスボス、ネメシス最終形態戦でレールガンの起動方法がわからなくて先にクリアして後ろで見てた俺にどうやるんだどうやるんだとだいぶ切羽詰まった感じで聞いてきたことがあって、俺は嫌なやつなので自分で考えろよって突っぱねたんですが、そしたら結局負けちゃってブチ切れた父親はコントローラー投げて家出てったんですよね。夜には帰ってきたんですけど。
そういう、大人になってからゲームにハマった大人の狂気みたいなものが『光のお父さん』の画面にはPR映画の範疇を遙かに超えるレベルで充満していて、それがなんかすごかったなぁ。
いや、基本的には笑える映画なんですけど。PS4コントローラーだけでプレイしてた鋼太郎がどうチャットしたらいいのかわからなくてファミコンマイクの要領でコントローラーのタッチパッドに話しかけるとか、アバターの衣装の替え方がわからなくて挫折しそうになるとか、それを吉田鋼太郎が鋼の仏頂面でたっぷり間を作ってやるんですよ。そんなの笑うしかないじゃないですか。なんて汚い映画なんだと思いましたよ。もちろん良い意味でですけど。
作劇は完全にテレビドラマなので安っぽいところもざっくりしたところも多いんですが、ただそういうゲーム周りの作り込みがしっかりしてるのでずっと面白く見れてしまうし、途中で出てくるあんまり売れてない芸人のコントもエンドロールによれば本職が監修したものらしいから本格的にあんまり売れてない芸人っぽいコント。変なディティールの拘りがすごかった。
健太郎に想いを寄せる会社の同僚が健太郎に接近しようと『FF14』を始めて、あぁゲームきっかけの恋愛展開になるのかなと思ったら全然恋愛に発展しないでFF14仲間のまま映画が終わってしまったのもびっくりしたな。
恋愛とかそういうのはどうでもいい映画なんですよ。恋愛よりも一緒にゲームできることの方が素晴らしいじゃんっていう…これ普通のトーンでやってますけどめっちゃ思想尖ってないですかね。ゲームの中でこそ人間は真に繋がることができるという。とくに批評的な意図とかはないと思うんですけど見ようと思えばえらい先進的な人間観に見えるというか、SF的情緒さえ漂わせていた…。
いやぁ面白かったなぁ。自分の命よりもゲームを選んでしまうんだから『FF14』っていうかオンゲには手出すのやめようって思ったスタンドアローン勢なのでこれPRになってねぇだろとか思うんですが、スクエニ全開なのに反PRに転じてしまっているってことは力のある映画ってことですからね。良いゲーム映画ですよ。
あとね、プレリュードとメインテーマを使うのは普通に狡いです。絵面がアホっぽいのでちょっと笑いましたけど笑いながらちょっと泣いてるから、プレリュードとメインテーマの場面。
【ママー!これ買ってー!】
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(出来が)こわくて実はまだ観れていない。
↓原作とテレビドラマ版
本文中に何度もPR映画って書かれていることに少しだけ違和感……
確かにメディアミックスはPR効果があるのでそうじゃない、とは言えませんが、そもそも「光のお父さん」自体はメディアミックス作品として書かれたものではなく、1プレイヤーのブログに綴られていた「そのプレイヤーの家族に起こったお話」だからです。
ブログ主が当時光のお父さんについて書いていた頃は、メディア化されることなど装丁もしていなかったわけですし、当初はそのブログ記事でさえもこんなにも多くのプレイヤーたちから受け入れられることになるとすら想像していなかったと思います。
そうした原作あってのお話なので、(もちろん映画の感想なので原作そのものに触れる必要はないのですが)その部分には触れずに何度もPR映画と書かれてしまうと、バックグラウンドを知らない人からは「スクエニがゲームPRの為に作ったフィクション」映画のようにとられてしまうのではないかと思えてしまうのです…
そう思われたら申し訳ないなと思ったので冒頭に「断絶父子を『ファイナルファンタジー14』が救うというお話はブログ原作とはいえスクエニ全面協力なので『FF14』PR映画になっているわけですが」と書いた上で原作の本の方のリンク貼ってます。
私はあれはゲーム依存とかじゃなく、「病気の為に、志半ばで挫折して死んだ様な目をした父親が、
自分が真剣に始めたゲームの中で、自分が救われて絆を持った人達と皆で、せめて何か一つでも
やり遂げたんだっていう証を残したい」一心で、病室から抜けてログインしたんだと捉えました。
そして仲間と一緒にボスを倒したことで病気と闘う勇気も得るという。いや、皮肉っぽい書き方になってるのでネガティブに読めるかもしれないですけど、別に吉田鋼太郎(の役)をディスる意図はなくて、ただ一般的な邦画だとどうしてもリアルの世界>ゲームの世界っていう価値観が基本じゃないですか。それが良いか悪いかは別にして。
なのでゲームの世界もリアルの世界も等しく大事だし、時にはゲームの世界の方がリアルの世界よりも大事なこともあるっていう、そういう価値観を提示したこの映画はすごいなと、その意味で狂ってると書いてますし、『レディ・プレイヤー・1』を引き合いに出してたりしてます。