気持ちいい映画『新聞記者』感想文(ネタなし注意)

《推定睡眠時間:0分》

いやそんな褒め方はないだろ。それ単に脚本がダメっていうだけの話じゃん。似たタイトルの映画でロブ・ライナーの『記者たち』というのもこのあいだまで映画館でやってましたけど、題材が現在進行形か過去形かの違いはあるにしても、『記者たち』の方はちゃんとオチを付けていたし…それで作品に込められた(と少なくとも俺は感じましたが)「3幕目を作るのは我々なのだ」的なトランプ政権下のリベラルのメッセージが揺らぐことは別になかったでしょうが。

作品の落ち度を政治動員に利用するなんてなんちゅー不誠実な映画評論よ。しかもこれドキュメンタリーじゃなくて現実の事件に想を得たフィクションなのよ。その差異には(同ツイート内で)言及せずにフィクションをアクションに接続するなんて。
誤解無きように申し上げておきますが俺は中立の発言というのはいかなる場合でもどんな人間でもありえないと思っているので偏向ガーなどとバカのひとつ覚えのように言うつもりは毛頭無い。

そうではなくて、映画を目先の選挙に向けた自陣営の動員道具にして、それはまぁこの映画の作り手も望んでいることでしょうからわかるとしても、そのために作品の欠点をなかったことにするのはどうなのよと言いたい。
だってそうでしょうよ。選挙で議席取れりゃその過程の正当性や透明性はどうでもいいんかいって話になるじゃない。どうでもいいのかもしれませんけどそれこそ『新聞記者』という映画が批判していた当の思考様式じゃないか…映画の中では糞くだらねぇバカと内閣情報調査室の工作員で溢れかえるロクでもない空間として描かれていたツイッターですが、こんなふざけたツイートがイイ話的に消費されるんだから確かにロクでもない空間だ。知ってたけどな!

ところでこういう新聞系映画とか漫画って東都新聞と毎朝新聞とかよく出てきますけどそれじゃあ面白みがないし印象に残らないからいっそぽんぽこ新聞とかビッグウェーブ新聞とかじゃダメなのかなぁといつも思っている。だからなんだと言われてもなにもない。
なにもないがあえて言えばですね、映画(に限ったことではないが)作家はアレゴリーとかアナロジーとか使えるわけじゃないですか。俺この映画をぽんぽこ新聞のタヌきち記者が巨悪に挑むみたいな設定に改変したとしても巧くやれば作品の強度が落ちたりメッセージの伝達力が落ちたりっていうことはないと思うんですよ。

それはひとえに改変する側の腕前にかかっているわけですが…なにが言いたいかというと『新聞記者』、ダブル主人公の一人である新聞記者(シム・ウンギョン)の所属先が東都新聞じゃなくてぽんぽこ新聞になっていたら作品として成立してなかったなっていう、それぐらい脆い映画だったなってことです。まぁ大抵の映画はぽんぽこ新聞を出したら世界観が崩壊してしまうだろうとはいえ…!

監督の藤井道人という人の映画は『7s セブンス』というのを観たことがある。確か舞台挨拶でプロデューサーか誰かが言っていたが予算的にはかなり厳しくほぼ自主制作のような映画だったらしい。それを聞いて驚いた。『7s セブンス』、たいへん端正なルックでなんだか日本映画離れしていたのだ。
具体的にはカメラがめっちゃスムーズに動きまくる。ほら邦画によくあるじゃないですか、会話シーンになると長回し気味のフィックスとかバストショットの切り返しで済ませて段取り臭くなったりとか。そういうの『7s セブンス』全然無かったんです。編集もスピーディですごいスタイリッシュな映像。単純に超かっけぇなと思った。

でも俺は『7s セブンス』があんまり面白くなくて、一つはスタイリッシュな映像に拘泥するあまり映画のリズムやダイナミズムが失われていたように思えたから。俺はたとえば山戸結希やグザヴィエ・ドランみたいな独特の映像美学を持った気鋭の若手監督の映画によくそれを感じるのですが、趣向を凝らした面白ショットだけで構成される映画って面白くないんですよ。ずっと面白い映像が続くとそのうち映像に慣れちゃって平板な映画に感じられてくるんです。B級映画によくあるこれ物語上なんの意味があるんだろうみたいな捨てカットとかつまらない会話とかってだから必要なんです。って俺は思ってるわけです。

で、もう一つの面白くなかった理由は(俺からしたら)形式主義的なシナリオで、『7s セブンス』という映画のシナリオはなんていうか教科書的にすごく正しいんです。起承転結があって、キャラの個性がハッキリしていて、物語の中でそのキャラの心の在りようがキッチリと変化していって、えー、最後にはどんでん返しとまでは言わないがなるほどそうだったのか的なサプライズもある。
出来すぎてると思った。出来すぎていておもしろくなかった。なぜならそこにはこういうキャラクターならこうするだろうとか、こういう展開ならこういう結末だろうとか、その予定調和を(サプライズも含めて)外れるところが少しもなかったから。『新聞記者』の台詞を引いて言えば、ここには「個」が存在しないように思えた。

予定調和ということは観る者の期待を裏切らないということじゃないすか。それ気持ちいい体験だと思うんですよ。面白くはないけど気持ちはいい。映像もシナリオも。
『新聞記者』を観ながら俺色々考えてたんですが、なんていうか、つまるところそういうことなのかなと思いましたね。これは観る者を気持ちよくさせるための映画で、ショックを与えたり考えさせたりするようなものじゃないんです。

なぜならここにはびっくりするようなようなことは少しも描かれていないから。東京新聞の名物記者・望月衣塑子の同名ベストセラーを下敷きにしたシナリオが扱うのは加計学園問題、近畿財務局の職員自殺、山口敬之の準強姦不起訴…ってどれもみんなテレビなりネットなりで散々見聞きした話ですよね。
で、これは完全に俺の何の根拠もない偏見なんですけど、わりあい多くの人は上のどの話題に関しても100%の白はありえないんじゃないかなぁと思ってると思うんですよ。っていうか俺は感覚的にそう思ってるんです。O・J・シンプソン事件みたいな感じで。

そういうところにさぁ、「これ黒です!」って断言してくれる映画が来たらさぁ、気持ちいいじゃないですか。ねぇ。
だから『新聞記者』という映画は藤井道人監督の演出スタイルから諸々解釈したらいいんじゃないかと考えていて、必要以上に暗い内調のオフィスとか、悪いだけで悪の魅力が少しも無い(のでつまらない)内調のボスとか、そういうのは全部客を気持ちよくさせるための演出なんだと思った。

記者と内調職員(松坂桃李)の努力によって政権を揺るがす大スクープの載った新聞が『ペンタゴン・ペーパーズ』よろしく家や売店に配られていくベタな場面はネット社会の現状を反映しているようにはとても思えない。でもベタは気持ちがいいわけだ。映画的な見栄えもするし。
そのことをどう捉えるか。俺はダメだと思う。現在進行形の社会的な問題を扱うのに客を気持ちよくさせることを優先したらダメじゃんて思う。だって気持ちよかったら溜飲下がっちゃってもうその話題を真面目に考えないでしょ。冒頭の引用ツイートの人がそうじゃないですか。「3幕目を作るのは我々なのだ」式エンディングに乗せられて気持ちよくなってるだけじゃないですか。

商業映画は客を入れないと話にならないわけだから娯楽性と客観性と公益性なんかのどれを優先するかで相当葛藤はあっただろうというのは想像に難くないし、こういう題材の商業映画は現代日本であんまりないので作った人は立派だなぁと思いますけど、でもダメなもんはダメですよ。
望月衣塑子本人が出てきて前川喜平と一緒に映画が取り上げた話題を解説するとか気持ちいいが過ぎるんだよー。そりゃこの映画で気持ちよくなれる人はそれでいいだろうさー。でも気持ちいいとか悪いとか溜飲が下がるとか上がるとかそういう問題じゃないと思うんだ俺はーこの映画が取り上げてる各種の話題はー。俺けっこう真面目なところあるからさー。

っていう、そういう『新聞記者』でしたね。俺の場合は。

2019/7/6 追記:
あまりに映画の内容に触れていなさすぎたので少し書き足しておこうと思う。組織の論理と個の仁義の間で揺れ動く内調職員・松坂桃李の繊細な芝居はよかった。その松坂桃李を突き動かす新聞記者シム・ウンギョンも悪くなかったが、どうかと思うのはおそらく組織の中で浮いた存在(であるからこそ信念を貫ける)ということを強調するための起用に見える点で、その無理を押し通すためにこのキャラクターは日韓ハーフの帰国子女という複雑なアイデンティティが与えられているが、その点が掘り下げられることはない。このへんいかにも思慮が浅いし終盤の展開も含めてシナリオはフレームがあって中身がない、なんというか極めて二次元的なカッコよさの志向がそこには見え隠れし、だせぇ。

しかし同時にこのダサさ、気持ちよさと直結するダサさにこそこの映画の意義はあるんじゃないかとも思った。なぜならこの映画が仮想敵に含めているであろうオルタナ右翼の好むスタイルこそ二次元的なカッコよさの志向であり、たとえば軍服コスプレで「同志○○!」とか声を掛け合ったりしながら排外デモを行うような連中が思い描く夢物語のネガが『新聞記者』と俺には見えた。反発しながらも両者は志向様式や物語構造を共有しているところがある。

少なくとも邦画においてはと前置きしておく必要はあるが、リベラル陣営はいつからかこうしたダサさ、浅さと真剣に向き合わなくなったように思う。正しいことを言っていても伝わらなければ意味がない。それが正義だとしても正義は共有されなければ正義ではない。ダサくて浅い大衆のセンスと意識の高いリベラルの理念は乖離して、それが排外主義や宗教右翼といったオルタナ陣営の台頭の一助になったのではないかと俺は思う。

『新聞記者』はまったく幼稚でしょうもない映画だとしても、というか、だからこそ今公開されたことに意義があるんでしょう。これは文化リベラルの堕落だ。堕落することでオルタナ右翼が基盤とする素朴な生活者の感覚に歩み寄った映画なのだ。

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あと藤井道人監督の映画はユーモアがないんですよ。ユーモアと余裕が。2本しか観てないくせによく偉そうに上から言えたなと思いますが『ペンタゴン・ペーパーズ』はユーモアと余裕の塊だったものだから…。

↓原案


新聞記者 (角川新書)

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Jame Gumb
Jame Gumb
2019年7月8日 9:47 PM

話題になってるから観には行きたいのだけれども、どの程度眉に唾をつけて観ればいいのかわからないのは面倒だな、どうしようかな… とか知的怠慢にもほどがある態度でたたらを踏んでいたのですが、この記事を読んで
「まあそれくらいのつもりで観ればいいかな」と踏ん切りがつきました。
今週あたり観に行って来ようと思います。
しかしこの映画ばかりは、荒れそうで面倒だから誰もレビューはするまいと思っていたのですが、そんなことはなかったですね。
お見逸れいたしました。

Jame Gumb
Jame Gumb
2019年7月18日 1:30 AM

観て来ました。
「ぽんぽこ新聞ってどういうこと?」と思っていたのですが何となく分かりました。
主要なキャラクターの行動の動機が
・敬愛する親の無念を晴らす
・恩義ある元上司の無念を晴らす
・大義のための自己犠牲
みたいな感じなので、昔ながらの浪花節的な人情のアレというか、封建主義的な価値観から一歩も外に出て行かないというか、よく考えると全然個人の理念の話じゃあないというか、「ぽんぽこ新聞」どころか陣営を左右全部とっかえても同じ様な絵面で話が成立しそうです。
同時期に見に行った知人(割と熱心なお茶碗持つ手の方の人)は、
「終わり方はアレだったけど、あんな陰謀が本当にあったら怖いなあ」と言ってましたが、そういうことではないんじゃないか?その程度のメッセージしか伝わってこないってどうなんだ?という気がしています。
何というか、出る杭として打たれるくらい強烈な自我なり、野心なり、思想信条なりで動くキャラクターは、邦画の文脈ではヒーロー\ヒロインとして成立し得ないのかな、と寂しくなりました。(私が知らないだけで実はそういう邦画は沢山あるのかもしれませんが)