《推定睡眠時間:10分》
パンフレットに載ってる主演ジョン・C・ライリーのインタビューに兄弟役で共演したホアキン・フェニックスとどのように関係を構築したのかという問いがあり、そのことについてはホアキンと話していないとライリー。
「できるだけ一緒に過ごすということが唯一の選択だったよ。1時間半かけてスペインのアルメリアの丘の上の銅像まで登った時も、文字通り一言も話をしなかった」。
『ゴールデン・リバー』の監督はフランスが誇るノワール映画の巨匠ジャック・オーディアールですが、オーディアールの出世作といえば難聴の女と粗野な男が共闘して望まぬ境遇からの脱出を図る『リード・マイ・リップス』、他人と言葉によるコミュニケーションを取ることが難しい二人が激しく対立しながらも持たざる者の不思議な紐帯で(男女ではなく同志として)結ばれていく映画だったが、様々な社会的ハンデを背負った下から数えた方が早い社会階層の人間たちが言語を介さず結ばれていくという展開は他のオーディアール映画にもよく出てくるものだから、ジョン・C・ライリーの受け答えがなんともストンと腑に落ちる。
金と権力だけが物を言う乾いた世界で苦闘する人々ばかりを抑制されたタッチで描き続けるオーディアールには言語に依らない関係を基盤とするユートピアのビジョンがある。それをストレートに体現する人物がリズ・アーメッドの演じる化学者で、こいつは黄金で一攫千金を成し遂げた後、ダラスに階級のないユートピアを建設しようとしていたのであった。
なるほどそう考えれば確かにオーディアールの映画だ。逆を言えばわざわざ思考をそれぐらい迂回させないとオーディアールの映画と思わないくらいいつものオーディアールっぽくない映画であった。
だってコメディですもの。オーディアール初の西部劇ってだけでも物珍しさがあるのにプラスして殺し屋ジョン・C・ライリーのおっさんキュートが炸裂するコメディなんです。エエッ。オーディアールそんな明るい映画撮れたの?
前作の『ディーパンの闘い』がクソ弩級の超硬派難民ドラマだったから落差がものすごい。これじゃあまるで『働くおっさん劇場』じゃないですか。ジョン・C・ライリーが野見さんじゃないですか。そういえば『ゴールデン・リバー』も『働くおっさん劇場』も四人のおっさんにスポットライトを当ててますね…だからなんだと言われても答えられないが…。
コメディっていうか大らかなんですよね。空気がギスギスしてない。フロンティアの開放感でいっぱい。風景は綺麗でゴールドラッシュの風俗描写も目に楽し。
パンフを読むとどうもこれはジョン・C・ライリーの持ち込み企画らしいから初のアメリカ映画、初の西部劇、しかも原作もの、ということでオーディアールもわりかし気楽に撮影に臨んだんじゃなかろうか。どうせ失敗しても俺の企画じゃねぇからみたいな感じで。そんな無責任でいいのかオーディアール。あくまで俺の想像するオーディアールに過ぎないが…。
でもその無責任(※あくまで想像ですが!)はたいへん最高の結果をもたらしたんじゃないかとおもう。ある意味これはめっちゃ野心的な西部劇であった。現代で西部劇を作るにあたってこんなにマカロニ西部劇の装飾性であるとかサム・ペキンパーの殺しの美学であるとかクリント・イーストウッドの精神性であるとかその他諸々の要するに西部劇ジャンルの持つ格好良いモチーフから解放された、股旅物と言っていいようなゆるくて繊細なトーンを採用した映画ってほぼほぼないんじゃないすか。
だってそんなの地味で売れなそうだし。実際に地味だし滋味だし。絶対ヒットさせるぜって思って西部劇に挑む監督には撮れないですよねこういう力の抜けたの。
再びパンフに目をやるとオーディアール、西部劇はプロットが単純だからあまり興味ないと素っ気なく言っていたりするが、出来上がった映画はどっこいプロットが単純で素朴なクラシック西部劇の世界にむしろ全然近かった。
確かに現代風に色々捻った部分はあるしオーディアール印の静かなサスペンスとか非情な殺しの描写もある、が、その殺伐した印象よりもゴールドラッシュに湧く西部を旅するくたびれおっさん四人のほのぼの感が勝る。
初めて歯ブラシと歯磨き粉を使ってみた時のジョン・C・ライリーの顔、初めて水洗便所を見たときのジョン・C・ライリーの顔、初めてクモを食った時のジョン・C・ライリーの顔! ジョン・C・ライリーばっかじゃねぇかというのは本人の持ち込み企画だからご愛敬というところですがそれにしてもほのぼのと檄チャーミング、客席も大笑いであった。客席に笑いが巻き起こる西部劇とかシネコンで観たのは初めてだ。
けれどもこのほのぼの、この明るさには暗い影がつきまとう。ジョン・C・ライリーとホアキン・フェニックスが殺し屋兄弟で、雇い主である「提督」の命を受けてジェイク・ギレンホールとリズ・アーメッドを捕縛&拷問しに行く殺伐とした筋だからとかじゃない。やっぱりこれもオーディアール映画、望まぬ境遇からの脱出願望が四人のおっさんを突き動かしているからだった。その身に深く突き刺さった痛みが反動としてユートピアの夢やほのぼのユーモアを生んでいたんである。
それは西部の男かくあるべし的な抑圧や「提督」が象徴する父の命令の痛みだ。勢いでつい手抜き仕事みたいに書いてしまったが、西部劇ジャンルがその度合いを強めていった男性性を今一度フロンティア・スピリットにすげ替えること、そうすることで西部劇の本来的な豊かさをユートピア的に再生しようとした映画が『ゴールド・ラッシュ』なのだとすれば、やるじゃんオーディアール、さっすがぁ! って感じである。
しあわせ映画だ。これは愛せるしあわせ映画。
【ママー!これ買ってー!】
ストーリー的には全然違うんですけどなんとなく観ていて頭に浮かんだ西部劇。これ面白いんだよロードムービー的な見所いっぱいで。
↓原作