【ネッフリ】『マインドハンター(シーズン2)』感想その2(ネタバレあり)

前のはこっち→【ネッフリ】『マインドハンター(シーズン2)』感想その1(ネタバレあり)

(承前)とはいえ、そのユーモラスな空気が徐々に狂気に浸食されインタビューする方がされる方に取り込まれてていく怖さは健在である。その点でマンソンはやっぱ大物でしたなぁ。ファミリー結成前に少年鑑別所も加えれば20年弱ぐらいムショで過ごしていたマンソンの口八丁手八丁は本物の偽物、どこからどう見てもガラの悪いペテン師だが話は面白いし確かに友達になったら楽しそうと思わせる寅さんのような人だ。

危ないねぇ、危ない危ない。こんな危なさはシャロン・テート殺人事件を題材にした『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のマンソンには少しもなかったからなんか溜飲が下がりました。もちろん教訓にもなる。有名らしいマンソンの名言もちゃんとカバーして、1エピソードのみの出演ながらも作り手の本気が伝わってくる好マンソンであった。

それにしても『ポンハリ』でも『マイハン』でもマンソンも演じているのはデイモン・ヘリマンという人なのだからすごい。前者はヒッピーとしてのマンソン、後者はチンピラとしてのマンソンと、同じマンソンを別人のように演じ分けてその道化性を見事に表現していたのだった。

さてシーズン2のメインとなるアトランタ児童連続殺人事件の捜査は楽しい殺人鬼インタビューとは打って変わってシリアスな雰囲気。数々のインタビューを通して練り上げたシリアルキラー理論に固執して捜査を進めようとするホールデンと現場の軋轢、被害者が黒人児童とあって高まっていく人種間の緊張、頼りのテンチは養子の息子が猟奇的な「事故」――死んだ幼児を十字架に縛り付ける――に巻き込まれてしまい捜査と家庭の狭間で疲弊、などなどもろもろの理由で捜査は一向に進展を見ない。そうこうしているうちにも次々と児童の死体は発見されついに20人を超えてしまう。大事件である。

一方で見た目は小さいが中身は大きな事件もある。カー博士の新たな恋愛とそのあっけない幕切れであった。新たな恋人はバーで働く子連れのバツイチ。本音を打ち明けようとせず常に自分が優位に立とうとするカー博士にバーの人バカにしてんのかよとご立腹、じゃあと勇気を出して本音を打ち明けるカー博士だったが今度は逆にバーの人が保身のため同性愛者であることを隠す=カー博士との関係を否定するサマを目撃してしまい、二人はすれ違ったまま終わりを迎えるのだった。

他愛の無い挿話に思われるかもしれませんがこれシーズン2のテーマの面での核だと思いましたね。
俺なりにシーズン1のテーマを言葉にしてみると異常者の中の普通さ、または普通さの中に潜む異常性。もしかしたら自分にもシリアルキラー要素があるかもしれないと思わせるのがシーズン1だった。
対してシーズン2はなにかというと普通であることの重圧と反発、これがシーズン2で行動科学課の面々を追い詰めるすべての事件に共通することだった。

白人の中に黒人が混ざってる。「普通」じゃない。7歳の子供が同世代の子供と遊ぼうとしないで押し黙って部屋で一人遊んでる。「普通」じゃない。女なのに男と付き合わないで女と付き合う。「普通」じゃない。
BTK事件に端を発してシーズン2ではなぜシリアルキラーは自分から名前を売ったりするのか? という問いがインタビューの中心課題になる。マンソン等々のインタビューを通して得られた当座の答えは「普通」ではないものになろうとした、ということだった。捜査の撹乱や権力の維持など目的は殺人者によって様々あっても、「普通」でないものの志向という点は変わらない。

それはBTKも例外ではなかった。家でセルフ首絞めオナニーをしているところを妻に目撃されたBTKは「普通」になるべく妻から異常性欲を治す本とやらを渡される。自分はイカレてる。「普通」にならなければいけない。だがそうプレッシャーを感じれば感じるほど、おそらくBTKは「普通」から遠ざかっていく。「普通」への押し込めが彼をBTKに変えたのだ。

ホールデンとテンチに代わってインタビューを担当するようになったカー博士は次第に自らの性的指向を受け入れない「普通」の世界よりも塀の中の逸脱者たちにシンパシーを感じるようになっていく。
課の中で浮いた存在のスミスさんもホールデンの「S&M」を「SM」に訂正してみせたように話を聞くと結構鋭いことを言っているがホールデンもテンチもまるで相手にしない。ただ一人揉み消しを拒んだ彼は課の中で「普通」ではないからだ。

「普通」「普通」「普通」。テンチの妻はやがて「普通」ではない養子と自分を切り離して考えるようになる。「普通」の呪縛があらゆる場所で断絶を生んでいた。「普通」からの逸脱の恐れがアトランタの捜査に致命的な悪影響をもたらしていた。「普通」がシリアルキラーを作り上げていた。

いかにも「普通」からズレた男が容疑者として捕まったものの児童殺害の件では起訴されず、アトランタ連続児童殺人事件が未解決のまま捜査は打ち切りとなってシーズン2は終わりを迎える。それは来る80年代に保守回帰のレーガン政権が待ち構えている1979年の、「普通」信仰がもたらした悪夢だった。

デヴィッド・フィンチャーが『マインドハンター』で何を目論んでいるのかわかったような気がする。たぶんそれは「普通」の破壊とコミュニケーションの再生なのだ。「普通」の世界を守るための犯罪プロファイリングは社会的逸脱者を分析し理論化することで逆に「普通」の聖域を壊してしまう。理論化されてしまえば逸脱はもう逸脱ではなく人間の様々なパターンの一つでしかなくなるからだ。でもそうすることで、理解できないと思っていた他者が少しだけ理解できるようになる。

シリーズのそもそもの始まりはホールデンが立てこもり犯の説得に失敗して彼と人質を死に追いやったことだった。彼が行動科学課の門を叩いたのはどうしたら他者が理解できるか知りたかったからに他ならない。理解できればあんな悲劇は二度と起らないだろう。

コミュニケーションの断絶と希求はフィンチャーが本人的には思い出したくも無いらしい(でも傑作だと思うよ俺は)処女作『エイリアン3』から一貫して描き続ける作家のテーマだ。『エイリアン3』では他の囚人から疎外された男が悪魔としてのエイリアンを解き放ってしまう。フィンチャーの代名詞『セブン』はコミュニケーションの断絶が悲劇的な結末を招いた。『ファイト・クラブ』で男たちが殴り合うのはそれが滑稽なまでに本気のコミュニケーションだからなんである。

BTKは長い潜伏生活(といっても本人はのうのうと「普通」の暮らしを送っていただけですが)の後、2005年に逮捕されて終身刑となる。何シーズン先になるかわからないがおそらくそこが『マインドハンター』のゴール地点だろうと思う。

テンチの養子の息子もその頃にはちゃあんと堂々変な大人に成長してるんじゃないだろうか。79年には理解できない不気味な子供も今だったらASDかなんかの診断ひとつ。「普通」なんか押しつけなくてもその人に合った関わり方をすればいいだけのこと。
同性愛のカムアウトも今では珍しくもない。もうカー博士が「普通」のプレッシャーを感じることも(少なくとも当時よりは)ないわけだ。スミスさんは知らんがあいつなんかオタクっぽいからオタク生活を謳歌してるだろう。それも、79年にはなかなか言い出せないことだったかもしれない。

理解できない他者に怯えてアメリカが「普通」に身を隠していた70年代、その「普通」こそがシリアルキラーの揺籃にも猟場にもなっていた。数をこなすシリアルキラーの特徴はだいたい同じ、とにかく「普通」の人であること。BTKはその好例だろうし、シリーズにはまだ出てきていないがアメリカン・シリアルキラーの代表選手テッド・バンディなんかまさにそうだ。

BTKの逮捕がシリーズの結末だとすれば、『マインドハンター』は『セブン』や『ゾディアック』でシリアルキラーに打ち克つことの出来なかったフィンチャーが「普通」と共にシリアルキラー恐怖に決着をつける物語になるだろう。
で、それは同時に、今また理解できない他者への恐怖から「普通」に閉じこもろうとしているアメリカへの、というか先進国全般への痛烈な批判にもなるはずだ。シリアルキラーとおしゃべりしているだけのドラマに見えてこれは存外、射程の広いドラマになるのかもしれない。

作品内時間で現在1979年。2005年まではだいぶ遠いが最後まで見届けたいと思う。そしたらたぶんエンドロールで号泣。

補足:
チャールズ・マンソンを口だけ野郎呼ばわりするエド・ケンパーがかわいい。シリアルキラーもそこらの不良みたいに序列を意識するのだ。意識してもしょうがないとは思うが。

【ママー!これ買ってー!】


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面白いと思うんだけどなぁ。

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