《推定ながら見時間:0分》
好き。良い。めちゃくちゃ面白いとか超やべぇとかじゃなくて好きと良い。シンプルに好きになれる良い映画。敵を作らないやさしいおとぎ話の世界。殺伐とした世の中だからこういう映画に出会うと嬉しくなってしまうな。心が洗われるような映画だ。その後で『プライベート・ウォー』を観に行ってメンタルが死んだのでたぶん見る順番確実に逆でした。先に言ってくれよ!(誰が?)
お話。南仏のちいさな村に名うての自転車修理工がいた。そのむかし意図せずして起こしてしまった小さなミラクルによってハイパー自転車乗りとして村人たちに一目置かれている彼だったが、実は自転車全然乗れない。漕ごうとすると転んじゃう。自転車修理ができるようになったのもみんなで自転車に乗らないといけない時に「チェーンの調子がどうも悪いなぁ…」とか嘘をついて自転車を整備するフリをして難を逃れていたからなのだった。
この村では誰もが自転車を彼の名前で呼ぶ。ちいさすぎてコンビニとかないので肉は肉屋の店主の名前で呼ぶしパンはパン屋の店主の名前で呼ぶ。自転車も肉もパンも全部生活必需品。この村では自転車修理屋とか肉屋とかパン屋になることは名誉なことなのだ。…今更、すいません本当は自転車乗れませんとはとても言えない。
しかしともかく今まではなんとか秘密を知られずに乗り切ってきた。人生後半戦に入った修理屋はそのまま逃げ切りを図るのだったが、とそこへ、フランス各地の村々を回って庶民の肖像をフィルムに焼き付けている著名な写真家が現れる。話を聞くとどうもこの人も自転車乗れない。
俺だけじゃなかったのか! 嬉しくなった修理屋はすぐに写真家と意気投合。いやぁ友情っていいものですなぁとニコニコしていると愛する妻からまさかの提案が。「自転車で走ってるところを撮ってもらえば?」どうなる修理屋。
原作は『プチ・ニコラ』のジャン=ジャック・サンペで脚本(共同)はジャン=ピエール・ジュネがマルク・キャロとのコンビを解消してからのパートナー、ギョーム・ローラン。と書けばなんとなくふんわりした世界観が伝わるだろうか。
とにかく悪い人というのが出てこない。だからこそ修理屋の悲哀と滑稽が引き立つというもので、映画は回想形式でこの人が子供時代から今までいかに秘密バレの危機を回避してきたか(そしていかに修理屋伝説が本人の意に反して膨らんでいったか)をユーモラスに綴っていくのですが、笑えば笑うほど修理屋の孤独が身に染みる。
本当は乗れませんでしたと村の人に打ち明けても「あそうだったの?」ぐらいで済みそうな気もするが一度こじらせてしまった人はそう簡単に変われない。ありますよねこういうの。どうでもいいことなのに本人が一番気にしちゃって、みたいなやつ。そういう人に対する穏やかな眼差し、良かったなぁ。俺が童貞だったら作り手の優しさに泣いていたよ。20代半ばにして初めてソープの予約をしたときの狼狽っぷりを思い出した。イイ話をシモの話題で汚すんじゃない。
チャリンコのベルを風鈴のように響かせる粋な効果音使い。修理屋と修理屋の親父の無言の会話が醸し出すサイレント映画趣味。修理屋が足掻けば足掻くほど事態が悪化していく王道の喜劇展開に古き良きフランスを垣間見る。子供がピアノの練習をしている家に配達に行った郵便屋が一曲終わるまで待ってからノックを鳴らす、なんて些細だけれども素敵なシーンだ。自転車は子犬みたいでかわいい。
良いっすね。良い映画。最後はアイリス・アウトでめでたしめでたし。記録には残らないと思うが記憶にはいつまでも残したい1本だった。
【ママー!これ買ってー!】
原作の邦訳、地味に出てました。