《推定睡眠時間:200分》
上映時間7時間18分の映画をこの俺が寝ないで観られるわけがないだろうと予想はしていたがまさか最初のカットで寝るとは思わなかった。最初のカットといっても5分ぐらいはあるゆったりした実に眠くなる長回しなのだがそこで寝てしまうと上映時間の長さを寝ることの言い訳にはできない。
おそるべし『サタンタンゴ』。でも俺の見た限り結構ほかの人も寝ていたからいいんじゃないすかね。ダゲレオタイプみたいなぼやっとしたモノクロで長回しでしょ。眠くなるよね。眠気を堪えて7時間も映画観てたら身体壊すよ。映画は健康的に観よう。大丈夫、どうせちょっと寝ても普通の上映時間の映画より全然時間的には映画観たことになりますから。寝ても面白いから、たぶん。
さて最初から寝てしまったのでなんの映画だったのか今ひとつわからない。まず登場人物がわからない。誰? の連続。舞台は主に村中ぬかるんだ僻地の寒村なので別に何十人も人が出てくるわけではないが名前と顔が一人も一致しないしそもそも名前が耳馴染みがなくて覚えられない。従ってその関係性もまたわからない。厳しい戦いである。
とはいえ最後の3時間ぐらいは物語も起伏が激しくなってくるし幻想的なシーンが多くて目に楽しいので起きていられた。そこから察するにどうやらこれはフリッツ・ラングの『怪人マブゼ博士』シリーズとか『スピオーネ』みたいな終末論的陰謀譚+イリュージョンという感じの映画だったようである。ようであるって。3時間も観ておいてそれはないだろうと思うが起きてるつっても覚醒と睡眠を繰り返して意識とかおかしくなってるからもうわかんないですよ色々。
『マブゼ』はシリーズ全部合せると7時間ぐらいはたぶんあるのであれですが仮に『スピオーネ』みたいなお話だとすると『スピオーネ』は上映時間127分、なんでそれがこんなに長くなるんだと思えば「行為」をとにかく全然切らない。登場人物が部屋のお掃除をするという場面があるとして、普通の映画だったらちょっと掃除をしたところで次のシーンに行きますが、『サタタン』はお掃除の一部始終をワンカットで全部撮ってしまう。よって酒場でのダンスシーンで眠ってちょっと夢を見てハッと目を覚ましたらまだダンスシーンだったという悪夢のようなことが起こったりするのだった。
なんで切らないのかは作った人じゃないので知るよしもないが行為を切らないことの効果として俺が感じたのはありふれた日常がなにか別のものに変わってしまうんじゃないかというような不安だった。
再びお掃除を例に取れば登場人物がホウキとチリトリを持ってくるとあぁお掃除するんだなと思う、で、お掃除を始めるとお掃除してるなぁと思う。ここまで普通の映画。
でも『サタタン』そこで次のシーンに行ってくれないので段々、今は平和にお掃除をしているだけだが何か別のことが起こるんじゃないかとか、ホウキとチリトリを持ってきた時にはお掃除をするんだと思っていたが実はこの人にはお掃除とは別の(そのシーンで行うべき)目的があるんじゃないかとか、なんかそんな風に思えてくる。
歩くとか踊るとか食べるとか登場人物の日常行為をシナリオ上の記号としてではなくそれ自体独立した事件として取り扱うから今観ている画面が信じられなくなってくる、どのシーンも安心して観ていられなくなってくる、豚足を食うだけの場面でさえなにやら緊張感が漂ってしまうのだ(それにしてもこの豚足がやたらでかい)
そういうところでいえば面白かったのはザッピング編集というか、実はさっき観たあのシーンの裏側ではこんなことが起ってました(またはこんな意味がありました)的な時系列の操作が加えられていたことで、硬派なモノクロ画面と7時間超えの上映時間が客を拒絶するアート映画でそんな通俗的なサプライズ演出があるのかと、サプライズの内容よりもそのことに驚いてしまった。
モノクロだからなんとなく古い映画に感じてしまうが制作年1994年ということは比較的新しい映画。だから意外と人に見せることを意識した(当たり前なんですが)コンセプチュアルな作りになっていて、腐敗した生活臭の充満する村の家々であるとか、物語後半に出てくる(※それ以前にも出てきたかもしれないが寝ていたのでわからない)荘園の屋敷、誰も居ない街に放たれた馬の群れ、等々の黙示録的光景が醸し出すのは物語上の必然性とか作家の内発性というよりはファッション性・展示性だった。
何年か前に東京都写真美術館で杉本博司の新作展覧会がやっていて、それは世界の終末をテーマに様々な角度からどのように世界が終わったかを見せていく終末博覧会のようなものだったが、『サタタン』もそんなようなところがあって、映画の中では仄めかされるだけの巨大な黙示録的物語を背景にした様々な終末風景、説話画の連なりというような印象を受ける。
そうと思えば驚異の上映時間7時間超がおそろしいものとは感じられなくなってくる『サタタン』である。なぁんだそういう風に観ればよかったのか。テオ・アンゲロプロス的な大河ドラマかと思っていたので…まぁそういうところも確かにあるが、それよりは遙かにボーッと観ていてもシーン単位で楽しめる感じではあった。
荘園の屋敷の暗闇に入っていくカメラ、降りしきる雨の中をひたすら歩き続ける男たち、過ぎ去ったはずの戦禍の亡霊的な現前、終末を告げる不吉な鐘の音、あたりがお気に入りの場面。酒場での無駄に長すぎる退屈な会話も乾いた笑いがあってよかったですね。意外と、笑える場面もあった。一斗缶で家具を壊すときの間抜けな音とか。
おもしろかったです『サタンタンゴ』。どうぶつもいっぱい出てくるし。
【ママー!これ買ってー!】
こっちはこっちで観ると寝る。