《推定睡眠時間:0分》
作品内で描かれている内容に合わせ、「相互模索セミ・アノニマス方式」と呼ばれる、非商業的で、市街劇的、市民主体の観念の都市迷路化法により公開。この作品の情報に接した瞬間から市街実験が開始される。
怪しい。何が書いてあるのだかよくわからない怪文書のようなチラシを手に開場を待っているとカナザワ映画祭スタッフのお姉さんから「演出の都合で場内が滑りやすくなっております。ご注意ください!」のアナウンスが。滑りやすくってなんだよ。ローションでも撒いているのか。
ギミック・パフォーマンス込みで初めて完成される監督・原田浩の自主アニメ映画(なんか作品毎に色々と独特な名称があるようですが一応アニメ映画ということでひとつ)はアップリンク渋谷で『二度と目覚めぬ子守歌』を、カナザワ映画祭2013で『少女椿』を観たことがある。上映中に監督自ら懐中電灯でギラギラと場内を照らしたり仮面の踊り子が舞台上で踊っていたりとどちらも実に怪しいことをしていたが、転倒注意というのは初めてな気がする(カナザワ映画祭2013の時も言っていたかもしれないけど)
いったい会場の高田世界館はどうなってしまったんだ。滑るようなものを撒いて撤収作業のスタッフ負担とか大丈夫なのか。損害賠償とかになってカナザワ映画祭の今後に影響しないか。っていうかむしろ高田世界館が大丈夫なのか。映画の内容とは別のところでドキドキしてしまったのでまさに「相互模索」、「この作品の情報に接した瞬間から市街実験が開始され」たわけだが、ロビーを見てドキドキ氷解。滑るものの正体は建物の至る所に撒かれた映画祭の余ったチラシであった。そうだよなローションとか撒けないよな清掃大変だし。でもこれはこれで撤収作業大変だろう。ありがとう映画祭スタッフの人と高田世界館の人。それにしてもまるでロジャー・コーマン映画のような節約演出だ…。
大量に撒かれたチラシに滑らないよう足元を模索しながら場内に入るとお馴染みの(お馴染みらしいです)蜘蛛の巣のように客席に張り巡らされた祝祭的紙テープとトイレットペーパー、場所が世界館だからか万国旗のオマケ付き。入り口脇には布をかぶった匿名の女が行き倒れていて通路は傷ついた女たちの魂(物理)が俯いて頭を抱えたり途中で座席に倒れ込んだりしながら徘徊している。床を覆うゴミ、もといチラシが都市の吹き溜まりを思わせて、まだ上映始まってないのに早くもなんか辛い感じである。
しかし映画本編の辛さはその比では当然なかった。舞台は1990年の東京。育児ノイローゼに陥った仕事人間の若ママ春子さんは何をやっても泣き止もうとしない娘を思わず叩いてしまったことから虐待ママに一直線。マザコンのガキっぽい夫は育児の手伝いなんかしないし姑の味方をするばかりでむしろ邪魔、その姑は口を開けばあたしらの時代の嫁はねぇと小言攻撃、自由奔放な妹は相談相手にはならないしだいたい昔から妹ばかりを母親は優遇するので春子さんは姉を憎んでさえいた、頼みの綱の母親は気の持ちようだと壊れたレコードのように繰り返すばかりでそこに姑を凌ぐ小言爆撃がもれなく付いてくる、友達はいない。かなり限界状況である。
身体の不調を訴えて内科を受診しても異常なしの一言でさっさと帰らされ、区のケースワーカーに紹介してもらった精神科医も自分を助けてはくれないと感じる。ついには心中未遂を起こしてしまった春子さんは夫とともに24時間診療の総合病院精神科に駆け込み、ストレスが溜まっていたのかやたら高圧的で刺々しい精神科医によって措置入院させられてしまうのだった。ここで、5分休憩。
上映時間約2時間の映画で休憩? とチラシを見ながら思っていたがうん休憩要りますこれ。めっちゃ辛いじゃないか。小言地獄、独り言地獄、コミュニケーション破綻地獄。「刺激の強い描写、光が点滅し画面が大きく揺れる場面が含まれています」とのおどろおどろしげな注意書きがチラシにはあるが、「刺激の強い描写」ってこういうことかい。エロとかグロとかかと思った。
『少女椿』の原田浩の新作と聞けばそういう要素を期待する人も多いかもしれませんがー、ネタばらしのようでちょっと書くのを躊躇ってしまいますが無かったですそういうの。でも母親になった経験がない俺でも辛いんだから同じような経験がある人にはその経験がフラッシュバックするぐらい強烈な描写の嵐だろう。前半1時間、春子さんがノンストップかつリアルに追い込まれていくので心を落ち着かせる暇がない。
「光が点滅し画面が大きく揺れる場面」というのも想像していたポリゴンフラッシュ的なものではなかった。この映画は紙芝居型のアニメパートの折々に原田浩がDV(ドメスティックバイオレンスじゃない方)で撮り溜めたっぽいストレスフルな90年代東京の実写都市風景が挿入されるアニメ/実写混成作品になっていて、その中にはパトランプを撮った場面や火事の現場をスクープ的に収めた場面やどこからか聞こえてくる事件みのある男の怒声を探して(怒声から逃げて?)路地裏をカメラ片手に疾走する場面がある。とくに説明はされないのでわからないがたぶんこういうのを「光が点滅し画面が大きく揺れる」と言っているんだろう。
そうよな、色んな理由でそういうのが厳しいっていう人もいますよね。画一化された客を想定する映画館(とくにシネコン)で映画を観ているとつい忘れてしまいがちですが、誰もが同じように映画を享受できるわけじゃないというのは考えてみれば自明のことで、目が見えない人は映像が楽しめない、耳が聞こえない人は劇伴とセリフが楽しめない、足が悪い人は客席に入るだけで一苦労で、チックの人は映画自体は楽しめても音を立てたりして周囲の客に敵視されるんじゃないかと恐れて映画館に行くことを諦めてしまうかもしれない。
そうした人々が『ホライズンブルー』で描かれるわけではないけれども、チラシの注意書きが言外に代弁するのは彼ら彼女らを含む様々な「普通」から排除された人間の声であった。普通ってなんですか。女の人は子供を産むとママOSが入って子供を愛するようになるのが普通なんですか。男は男らしくバリバリ仕事をこなして泣き言を言ったりしないでどーんと構えているのが普通ですか。子供は叩かないのが普通で叩いてしまう人は異常なんですか。精神の病に冒された人は異常な人でそうでない人が普通なんですか。という具合。
青いバーが5つスクリーンに浮かんでいて1分経過するごとに1つずつ消えていくので残り休憩時間が一目瞭然な革命的に観客に優しい休憩を終えて後半に入ると、前半が地獄篇ならこちらは煉獄篇。ようやく親身になってくれる精神科医と出会った春子さんが抱え込んだ痛みを吐き出して少しずつメンタルゲージを回復させていくと共に、夫や母親の抱える問題が明らかになっていく。
「相互模索」がキーワードになっているのは春子さんが精神科医のススメで匿名を是とする自助グループに入って同じような問題を持つ人間同士で少しでも楽に生きられる方法を模索していくからで、春子さんと夫、春子さんと母親がお互いに手探りでなんとか破局的な事態を回避しようと奮闘するからでもあった。
メンヘラ期の春子さん目線では無責任で頼れないムカつく許せないガキ男でしかなかった夫もこっちはこっちでどうしたらいいのか悩みながら迷いながら真剣に夫としてどうすべきか模索していたのだ。妹には優しいが春子さんにはやたら当たりが強い母親にも、春子さんがつい子供を殴ってしまったようにそうしてしまう事情があったのだ。
「普通」に隠された膨大な痛みの記憶が春子さんや母親のオーラル・ヒストリーから立ち上がってくる。精神科の待合室で春子さんが新興宗教に勧誘される場面があるが、孤独で息苦しいばかりの都市の普通生活からの救いを求めた人々の集まりをオウム真理教とするなら、これはオウム的なものにカスりつつ入信することのなかった人たちの物語という風に言えるのかもしれない。
母親の痛みは日本の経験した痛みと直結するものだったが、精神科医のロバート・J・リフトンはオウム的終末思想の成立した理由を敗戦体験・原爆体験に求めている(らしい)。
チラシを見ると映画の制作が始まったのは1995年11月。足かけ20年超というわけでまずはお疲れさまでしたですが1995年といえば地下鉄サリン。坂本堤弁護士一家殺害事件ほかのオウム事件に関与しハルマゲドンに向けて準備を進めていた早川紀代秀が手帳に記したのが「95’ 11月→戦争」という言葉であった。
唐突なテロップやなんなのかよくわからない都市スナップ映像、環境ビデオ的なイメージに春子さんのエンドレスネガティブ独白、(特に休憩時の)全然内容に合ってない謎音楽とリアル突撃録りした可能性のある病院や区役所への相談電話の音声、音がぶつかってしまって誰が何を言っているのか聞き取れない口論場面、そしてその混沌の先で提示される救済の道。
なんだか新興宗教の勧誘ビデオのような電波立った地獄のカオスっぷりですが、こういうのは春子さんの心象風景なんだろう。95年の11月ではないが精神不調の治療は春子さんにとっての戦争なんである。
目黒女児虐待死事件みたいなものもあるわけだから戦争は今も絶賛継続中。映画も、これで春子さんは救われた、ではなく、これから一緒に少しずつ人生を模索していこうという風に終わる。その時に夫の発した何気ない一言に泣いてしまった。夫婦だろうが親子だろうが相手を完全に理解することはできないのが当たり前で、その前提を受け入れた上で相手を尊重していくことが自身の救済になるんだということをこれだけ真剣に訴えかける映画というのも早々ないんじゃないだろうか。20年かかってますからね20年。20年かけた映画のメッセージは重いよ。
いや本当に良い映画だった。アングラ界隈の『この世界の片隅に』ではないかと思う。願わくばできるだけ多くの人に観てもらいたいが(学校の教材にしてほしいぐらいだ)上映形態が特殊なので観る機会があまりない。「この作品の情報に接した瞬間から市街実験が開始される」というから実験体となって情報を拡散しよう。とにかく観ろ。これを読んでいる人は上映の機会があったらできれば観に行くこと。できればでいいですから。
追記:春子さんの憂いを帯びた表情やモディリアーニのような肩のライン、アンバランスなフォルムが帯びる色気がなんとも言えず素晴らしい。
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ドン・ハーツフェルトは実写+ドローイング・アニメの個人映画を撮り続ける人。なんとなく『ホライズンブルー』と通じるところがあるように思う。
↓原作