《推定睡眠時間:15分》
結局最後までデイジー・リドリーのレイにハマれなかった。EP.7『フォースの覚醒』のジャンクハンターだった頃のレイはまだ女主人公の新鮮さもあって面白く見れていたが、EP.8『最後のジェダイ』になってジェダイ感を出してくるとコスプレっぽい気がして微妙(これはとっ散らかったシナリオも大いに影響している)、どうせまたそのうち作るのであろうがそれを引きずったままひとまずのシリーズ最終作『スカイウォーカーの夜明け』ではスカイウォーカー一族の物語に引導を渡す大役を担うわけで、やっぱなんかもっと全然色々と引導を渡すには足りてなかったのではないかとおもう。
私は知を尊ぶ人間であるから現象学的にこれを敷衍すると、レンはずっと古代ギリシアの賢人みたいなローブ風道着を身にまとっているので脇の下がチラチラと画面に映り込むのだが、まったく臭いを嗅ぎたくならない。
たとえばアリシア・ヴィキャンデルが鍛え抜かれた筋肉と脇の下を惜しげもなく披露した『トゥームレイダー ファースト・ミッション』はそうではなかった。嗅ぎたくてたまらなかった。なぜならそこには逞しい筋肉があり、汗があり、汚れがあったからである。デイジー・リドリーのレイにはそれが欠けている。脇の下が見えているにも関わらず臭いを嗅ぎたくならない…これはアクション映画の主人公として致命的ではないのか?
そんなことはないかもしれない。かもしれないというかそんなことは絶対ないと知っている。レイはフォースで戦うわけだから別に筋肉質である必要はないと理性では知っている。でも映画は身体で観るものですから。俺はですね! 俺はそこが大いに不満でしたよ! なんていうのかな! ちょっといい喩えが浮かびませんけど大量のマッドマックスな族車が大砂塵を巻き上げながら荒野を走ってるからいつクラッシュするんだろういつクラッシュするんだろうと思ってワクワクしてたら前の方からゆっくり速度を落としていって順々に行儀良く道の駅に入ってっちゃったみたいな! みたいな? いやそれも違うのだが…。
ともかく、そこにノれなかったなー。俺はむしろ元ストームトルーパーのフィンの物語の方に期待をかけていたので、ストーリー上の役割の薄さを補償するためか今回はフィンとポー・ダメロンがミレニアム・ファルコンに乗ってるところから映画が始まっていたが、それ以降はぶっちゃけ添え物、よく喋るモブ程度の地位に格下げされてしまったことにガッカリだった。ストームトルーパーの回心者がそんな扱いでよいのか。従来の善悪二元論を超える形での悪との戦いを模索してきた新新三部作においてフィンというキャラクターの持つポテンシャルはもっと大きなものだと思うのだが。
いやそれならそれでいいけど要は脇の下を見せるのなら嗅ぎたくさせろって話なんだよ。体臭が! そう体臭が足りないんだこの映画には! 体臭には人間のストーリーが宿っているんだ! それがこの映画にはないんだよ!
短すぎたんじゃないかなぁと思う。これは前作『最後のジェダイ』を観たときにも思ったけれどもわちゃわちゃと色んな背景を背負ったキャラクターの物語を同時進行で進めるので2時間ちょっと程度の上映時間(これだってランタイム142分とかですが10分はエンドロールだから実質130分ぐらいだ)に詰め込むとどうしてもキャラクターが軽くなってしまう。
キャラクターが軽いとストーリーも軽くなる。チューバッカとかローズとか軽い部分は軽くてもいいがレイとカイロ・レンの遺恨とかファースト・オーダーの真意とか軽くなったらいかんところまで軽いのはダメなんじゃないのか。
今の客は情報量の多い映画に慣れているし当初のスターウォーズ九部作構想に合わせてオールドファンに訴求する意図も恐らくあって新新三部作もキャラクターを『大乱闘スマッシュブラザーズ』ばりに詰め込むだけ詰め込んでおいて三本でおしまいということになったのだろうが、俺はもう二本ぐらい作っておくべきだったと思う。そこでレイとレイヤとカイロ・レンとかフィンとローズとポー・ダメロンとか、ある程度登場キャラクターを絞ってそれぞれの戦いとか葛藤をもっとしっかり掘り下げておくべきだった。
アベンジャーズみたいな映画が新新三部作と同じくらいキャラクターが大乱闘していてもどっしりとした風格すら漂うのは、それまでに各々の単体作品シリーズで各キャラクターの物語をしっかり展開していたからなのだ。
『アイアンマン』と『キャプテン・アメリカ』も全然観てない俺が言っても説得力がないのだが、新新三部作はその作品の重み付けをレイヤとかハン・ソロとか主に旧三部作のキャラクターに頼りすぎていて、EP.7ラストの時点でそこからの脱却と新キャラクターの育成のチャンスはあったのに、結局は旧三部作のキャラクターの持つネームバリューに屈してしまったように見える。
レイヤだって『最後のジェダイ』でローラ・ダーン演じるホルドー中将に指揮権限を委譲しておけばよかったんですよ。良いキャラだったのに、ホルドー中将。客寄せのためでもあろうし作ってる側のJ・J・エイブラムスがスター・ウォーズのファンだから仕方がない面もあるのでしょうが、そういうところなぁ、最終作に至って酷くなるばかりで残念だったよねぇ。
その意味ではEP.8『最後のジェダイ』はガッツ溢れるチャレンジングな一本だったなぁ。それは新キャラクターもそうだし演出もそう。『スカイウォーカーの夜明け』には初作を思わせる惑星爆破シーンが出てくるのだが、今更そんなことやられても、と思う。全体的にグダグダしているが『最後のジェダイ』には「これ!」っていう決めカットはたくさんあったしね。近衛兵との殺陣はカッコ良かったし最後は鳥肌感ありましたよ。『スカイウォーカーの夜明け』は過去作の名場面を表面的になぞるばかりで、ストーリーもキャラクターはひとまずはどうでもよくなってしまうような決めカットがめちゃくちゃ少なかった。
あとシリーズ最終作にしては戦わなすぎませんかねこれ。『スター・ウォーズ』って自分で宣言してるんだから戦争してくれよ。もう全編戦争でもいいよ。その悲惨さがあってこその希望としてのジェダイまたは絶望としてのジェダイ=スカイウォーカー一族の物語じゃないですか。なんで序盤一時間ぐらい呑気に『インディー・ジョーンズ』みたいなアドベンチャーやってるんだよ。そういうのは前作で済ませておけよ。高速バスに乗る前にはトイレに行くでしょうが。挿入の前にはスキンを着けるでしょうが。脇の下を見せる前には汗でベトベトにしておくでしょうが! しておいてほしい!
でも、一応、完結おめでとう。ぼくは『スター・ウォーズ』の良い観客では全然ないですけど今までのシリーズの完結編として落としどころはこれぐらいしかないよなぁっていう結末にちゃんと着地したんじゃないですか。着地のために面白さが犠牲になってたような気もしますけど、どうせどんな風に作ってもこういう大作シリーズの完結編は叩かれる宿命なんだからこれでいいんだって思いますよ。ジョン・ウィリアムズのスター・ウォーズ・メドレーが流れるエンディングにはさすがに大団円感がありましたしね。なんだかんだ言っても面白かったですよ。脇の下以外は。
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ところでスターとウォーズをナカグロで区切るの気持ち悪くないすか? やっぱ『スター・ウォーズ』より『スターウォーズ』じゃないすか? 脇の下の見せ方でも圧倒的に正しかったがその点でもトゥームとレイダーを区切らずメインタイトルとサブタイトルの間にスラッシュも置かなかった『トゥームレイダー ファースト・ミッション』は正しいと言わざるを得ない。
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※あとこういうフォルムのD-0っていうドロイドが出てくるのですがそいつはキュートで良かったです。声優は監督本人でした。