《推定睡眠時間:40分》
ヒーロー映画とかカンフー映画で主人公が強くなる理屈は色々あるが(ないものもあるが)この映画の場合は無痛症らしいと最初の方で明かされるので痛みを感じない普通人ヒーローといえば『キック・アス』、主人公スーリヤくんのモノローグを基調にフェイクとジョークを織り交ぜた回想形式は確かに『キック・アス』的で、邦題からはストレートなドラゴン映画を想像するがその溢れんばかりのパロディや引用、オフビート具合から言っても『キック・アス』フォロワーの感が強い。英語題の『THE MAN WHO FEELS NO PAIN』もブルース・リーのかの有名な「Don’t think,Feel!」を踏まえた一種のジョークなんだろう。感じたくても感じられないのよこっちは。
ただその感じられなさが思いのほか深刻だったのは予想外。無痛症と書けばヒーロー属性っぽいがこれは先天性無痛無汗症と略さずに書くべきで、映画が始まるとすぐに分かるわけだから別にネタバレではないのになんとなくネタばらしのようになってしまって気が引けるが、カンフー映画っていうより変則的な難病映画、障害映画なのだった。
世の中には障害を武器に強くなるという人もいる。『チョコレート・ファイター』のジージャー・ヤーニンは自閉症設定、アクション映画が大好きで毎日毎日飽きもせずにブルース・リーとかジャッキ-・チェンのビデオを見ながらトレーニングしてたら本当にリーとかジャッキーみたいになっちゃった! のだったが、その病によって外出できない少年時代のスーリヤがテープがすり切れるほどアクション映画を見まくるくだりに『チョコレート・ファイター』の影響が感じられるこちらではその病が武器にならない。
衝撃的である。いやそれがむしろリアルなのだから衝撃でもなんでもないのだが、まさかこんな邦題の映画で主人公の先天性無痛無汗症設定が武器にならないとは…スーリヤくんにとって先天性無痛無汗症設定は本当に単なるハンデキャップでしかないんである。
こうなると『キック・アス』的な軽佻浮薄と思われたパロディ趣味もなんだか深い悲しみの色を帯びてくる。スーリヤくんがビデオで見てその超人格闘っぷりに衝撃を受ける片足の空手マスターが『片腕ドラゴン』ジミー・ウォングから取られたと思しきジミーという名の悪徳兄貴を持つのは単なるオマージュではなかったわけだ。たとえ障害があっても強くなれる! そこには難病少年スーリヤくんの切実な願いが込められていたんである。
以下ネタバレありますから各自勝手に気をつけてくださいよ新年だからって手加減しませんよ俺はそのへんは!
その悲しさを映画は最後まで捨てない。だからラストなんて身も蓋もなかった。片足の空手マスターとマスターに師事していた幼なじみの女スプリと共にスーリヤくんはジミー率いる悪徳警備員群団(そのショボさがまた悲しい)と闘う羽目になるのだが、絶対に悪徳警備員側が勝つようにそのストリート試合を仕組んだジミーの意に反してスーリヤくんたちかなり頑張ってしまい遊び目的で試合を始めたジミーは窮地に追い込まれる。
そこでジミーが取り出したのは卑怯にも拳銃だったのだが、この拳銃ジミーを、スーリヤくんがファイトで倒すのではなく、こりゃやばいと瞬時に悟ったスプリが、なんとジミーの落とした拳銃を拾って彼を撃ち殺し、片足の空手マスターは二人の愛弟子を守るためにその罪を被ってムショに入るのだ…!
銃は拳より強し。確かにその通りかもしれないがそれを格闘アクション映画のクライマックスでやってしまうか! 身も蓋もない! 身も蓋もないが現実はそういうものだからまぁ仕方がないといえば仕方がない…とにかく、ヒーロー幻想はあくまで幻想でしかないし、難病はあくまで難病でしかないと打ちのめされるのであった。
いや、ヒーローはいる。それは未来ある愛弟子たちを守るために彼らの罪を自分だけで引き受けて出頭した片足ドラゴン(この行動は多分に『ドラゴン怒りの鉄拳』のラストを踏まえたものだろう)であり、母親は病気で父親はDV野郎という恵まれない家庭環境に抗い人身売買的結婚を要求する金持ち白人に抗ったスプリであり、四年生きれば御の字だと誕生時に医者に告げられるも奇跡的に成人するまで生き延びて、あまつさえ警備員相手とはいえそこそこ強そうな男達と拳でやりあったスーリヤなのであり、そして彼ら彼女らのメンタルの中心に鎮座するブルース・リーなのである。
「THE MAN WHO FEELS NO PAIN」たるスーリヤくんにとってリーの放つ「Don’t think,Feel!」は福音であったに違いない。スーリヤくんの父親は感じられない分だけ考えて行動するようスーリヤくんを徹底訓練する。さもなくば先天性無痛無汗症患者に待ち受けているのは命の危険のみ。スーリヤくんが無事成人できたのもこの父親のおかげである。だがそうは言っても「Don’t think,Feel!」。リーを守護神として、父親と違ってのびのびとスーリヤを育てようとした祖父の嘘冒険話を羅針盤として、スーリヤくんは何かを感じるために危険ばかりの外の世界に踏み出すことになるのだった。
フィクションはままならない現実と闘うための力をくれる。最近のインド映画でいえば『クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅』が雰囲気的には近かったかもしれない。雰囲気というか、恵まれない環境の中で夢を失わずに生きる人の切実さが。熱血展開に行きそうで行かないアクション映画パロディなオフビート138分はその実、過酷な現実をユーモアと想像力で乗り切ろうとする熱烈なアクション映画賛歌であり、ブルース・リー賛歌だったのである。Don’t think,Feel!(でも怪我とかしたら危ないから考えてからフィールしよう)
※最後にスーリヤが会計士の職に就くのは自閉症会計士が必殺仕事人になるベン・アフレックの『ザ・コンサルタント』のオマージュかもしれない。
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インド産ホロ苦ファンタジー。劇的なハッピーエンドじゃない版の『フォレスト・ガンプ』みたいな映画でたいへん味わい深かったです。こういうスタイルで格差社会が描けるインド映画界、明るいっすなー。