《推定睡眠時間:0分》
島根の刑務所にカメラが入った…と聞けば中島貞夫×松方弘樹の『暴動島根刑務所』が否応なしにも頭に浮かんでしまうわけですが、この「島根あさひ社会復帰促進センター」というのは官民協働の新設刑務所で、まず、名前が全然刑務所っぽくないので頭に浮かんだ東映実録的なイメージは即棄却、中も一般的な刑務所イメージを大きく覆す実に先進的な作りで、暴動どころではない。
映画の主眼はそこではないのだが驚きの連続だ。夜間の見回りと房の監視は刑務官のメインお仕事と思いきや民間の警備員に委託、配膳はアメリカ映画とかだと配膳担当の受刑者がやったりしてるよなと思ったら自動運転の配膳カーがアイスクリーム屋さんみたいな楽しい音楽を流しながら食堂まで運んでいく、アメリカ映画とかだと(そればっかりですが…)受刑者は刑務官に睨まれながら列になって移動したりしますが、ここは受刑者の単独行動が可能で刑務官は各受刑者の行動を胸につけた位置情報を発信するICチップで把握・監視しているらしい。
日本の刑務所といえば雑居房一層構造のイメージがありますがここはアメリカ映画とかでよく見る独居房二層構造(※棟によって違うかもしれない)、房に囲まれた中央部には兼食堂と思しきデイルームのようなスペースがあり、明るく広々としたぬくもりのある印象でとても刑務所とは思えない。
施設全体の構造も中央に中庭があって監視塔があってそれを取り囲むように殺風景な収容棟があって…というのっぺりしたものではなく、いくつかのユニットを渡り廊下で繋ぐフレキシブルな構造、遠目に見ると何らかの大型研究施設のように見えなくもない。
第一印象、かっこいい。すごくSF。もし懲役刑を食らうことがあったら是非ともここに入りたい。入らないに越したことはないがどうせ入るならやはり記憶に残る刑務所ライフを送ってみたいものだ。外に出たら自慢できるし。いや、そういう話ではないのだが…。
刑務所は罪を犯した人に罰を与えるための施設と言う人もいれば受刑者を更生させて社会復帰させるための施設と言う人もいる。この斬新な名称や設計思想からもわかるように島根あさひ社会復帰促進センターは明確に後者に寄せたアプローチ。犯罪者のためにこんなに楽しそうな施設おかしいじゃないの! 血税はどうなってるの血税は! と怒る人もおりましょうが、罪は罪人本人が罪と自覚できて初めて罪になる、という考えもありますし、日本だけの特殊事情ではないとしても、日本の再犯率は50%に迫ろうというきわめて高い水準にある。
だったらそこで徹底更生してもらって再犯防いだ方が結局はシャバの人も得をしますし税金だって安くつくじゃないの、とまぁそんなようなわけで? かどうかは知りませんが? ともかく島根あさひ社会復帰促進センターでは様々な更生プログラムを導入していて、そのひとつが回復共同体プログラム、通称TCと呼ばれるもの。これに密着して参加した受刑者の変化を捉えていく、というのがこの映画『プリズン・サークル』なのでした。
< TCとは何か。まぁ、詳しいことは検索した方が正しい知識が得られてよいと思うので私はあえて詳しく書かないと逃げを打つが、なんかね、体系化されたグループセラピーみたいなやつ。自分の過去を書いたり語ったりして分析しつつ参加者間で共有したり、それぞれの事件を小グループに分れてロールプレイしたり、暴力にはどんな行為が含まれるか意見出し合ったりとかする。 印象だったコマは天使と悪魔のところ。自分は悪いことをしたから人並みの生活を望むべきではないみたいなことを言う傷害致死で懲役8年の人が出てくるんですが、この人はまたなんで俺だけそんな目に遭わないといけないんだと思うところもあった。でこの人に、自分を罰する自分と自分を罰する自分に反発する自分の論争を他の参加者の前で演じてもらう。それぞれのサイドに他の参加者が補助役として付くんで、そのアドバイスを受けながら自分悪い派の自分と自分悪くない派の自分に自分の中で戦ってもらうわけです。 たぶん重要なのはこれどっちがダメでどっちが正しいとかそういうのを教育するためにやってるんじゃないんです。自分の二面性を客観的に把握して自分で自分をコントロールするためにやっているし、あまり人に見せたくないような面でも包み隠さずさらけ出せるような関係を他の参加者との間に打ち立てるためにやっている。そういう共同体に入ることで法の抑止効果よりももっと身近なレベルでの相互的な抑止効果を狙ってるんですよね。 これは面白いし、本当そうだよねぇって思いましたよ。たとえば自殺するにしたって道徳的なレベルでの自殺はよくないですよ! っていうメッセージよりも身近な人の死なないでくれよっていうメッセージの方がダイレクトに効いたりするじゃないですか、一般的には。自殺相談にしたってそれ自体は好ましいものだけれども一時的な相談ダイヤルよりは、やっぱ対等な立場で長期的に関われる相談先があった方がいい。 映画を観ていてこれはすごいなと思ったのはTC修了者の元受刑者がモザイクなし(※受刑者は刑務所側との取り決めで全員モザイクが入っている)でTC修了者の集い的なものに顔を出すシーンがあるんですが、そこでこの人、出所してからうまく仕事に適応できなかったりして一度万引きしたって話す。普通、それ隠しません? 黙っとけば万引きなんてバレないんだし、ましてやカメラの前、しかも顔出し了承、言って得することなんてないじゃんって直感的には思ってしまう。それで他の参加者に咎められてましたしね。 < でもなんで一見得にならなそうな罪の告白ができるかってそれぐらいの信頼関係が他の参加者との間に(ついでにカメラとの間にも)あるからだし、もっと罪を重ねてまた臭い飯を食うよりはそこで犯した罪は打ち明けてしまって、他の参加者の手を借りて自分をコントロールした方が結局は自分の得になるってたぶん思ってるからなんですよ。 これはすごいですよ。こういう関係を続けられるというのがすごいっていうのもあるし、嘘をつかない方が自分のためになるっていう直感的ではない論理を実践できるのもすごい。俺には無理だと思った。仮に俺が元受刑者で出所した後に万引きしちゃったらたぶんそのことは絶対に隠すし、っていうかこういう集まりにそもそも来ない。怖いですからね。なるほどって思いましたよ。これがTCの効果かぁって。なにか再犯防止の特効薬みたいなものじゃなくて、再犯しそうになってもギリ大丈夫なセーフティネットを構築するみたいな、そういう感じなんでしょうきっと。人間の限界とか弱さを勘定に入れた上での決して理想的ではない現実的な更正プログラムですね。 そのTCプログラムの模様を見せながら映画は4人の参加者に焦点を絞っていって、プログラムを受ける中でのそれぞれの変化を捉えていくわけですが、監督としてはそれを訴えかけたかったんだろうなとは思いつつも俺としてはそこばかり見ない方がいいんじゃないかと思ったのは、メイン被写体のTC参加者は過酷な幼少期を送っていたりする。虐待とか、虐めとか、捨てられるとか。初めはあまり積極的に語らなかったりどこか他人事としてその過去を眺めていた彼らが次第に過去と向き合って、でそれを明確に暴力だった、その過去において自分は暴力の被害者であったし、その被害者意識が犯罪のハードルを下げて一線を踏み越えさせた、とそういう感じのストーリーが描かれる。 俺がこのTCプログラムを素晴らしいと思ったのは参加者が内容の如何を問わず今の自分が思っていることを素直に話せる自分であったり仲間だったりを作るっていう表面的なことをまずは丁寧にやっていくプログラムだと思ったからで、家庭環境と犯罪の因果関係はそれはそれで重要な論点ではあるとしても、あまりそこを強調してしまうとTCの表面性がなにか深いものを引き出すための道具であるかのような印象で上塗りされてしまうんじゃないかと思った。 虐待を受けようが受けまいが人が犯罪に走ることはあるわけで、もちろん映画はすべての犯罪の根には家庭環境が…とまで言い切っているわけではないけれども、極端な話、過去の虐待体験談が全部作り話っていう参加者がいる可能性もあるわけじゃないですか。でもそれを嘘っぽいと言ったりしないっていうか、嘘だとしてもとりあえず表面的にはそれを個人の真実として受け止めていく、そうした環境の中で少しずつガードを解いていってプログラムに主体的に参与することのできる人間に育てつつ、自分の抱える問題と正面から向き合えるようにしていく…。 っていうのがTCの核なのかどうかは正直わかんないんですけど、ただ映画を観る限りではそう見えたので、属人的な要素についてはそこではむしろ後景に退く。壮絶な虐待の過去というのもたいへん興味深いところではあったので、そのへんは別の映画として観てみたかったかもしれない。 これはこの人を合法的なところで活用できなかった社会が悪いんじゃないのみたいな地頭系振り込め詐欺師がプログラムの一環として童話を書く場面、その内容がえらく文学的で出来すぎていて、なんだか必死で他の参加者(とカメラ)に気に入られようとしているようで胸が痛くなってしまった。 盗みの常習犯で強盗致傷をやっているが傍目にはそんな暴力性は微塵も感じさせない『ギャングース』の牛丼担当みたいな人が自分の過去の人間相関図を描いた時の「ネコ(カワイイ)」の文字、この人が相関図を指しながら語る激しい虐待からするとまったく場違いで、この人にとっては本当にネコが救いになってたんだなぁと切なくなる。 って感じで面白い場面いっぱい、なにはともあれ面白い面白い興趣が尽きない映画ではありましたね。あと刑務所側との取り決めを逆手に取った演出、あれは素直に驚いた。拍手。 【ママー!これ買ってー!】
だからそういう映画じゃないんだって。これはこれで傑作だけれども。
はじめまして。ふじおかと言います。島根旭のTC作りに関わりました。監督の坂上さんが、様々なコメントをシェアしてくれてますが、映画にわかさんのこのコメントが一番心に残りました。TCの意図しているところを良く理解してくれているように思うからです。個人の話もかけがえのないものですが、回復のための仕組みとその実現が鍵と思っています。
コメントどうもありがとうございます。映画観まして、こんなプログラムがあるんだなぁと素直に驚きました。受刑者の更正の一環としてというより、日本では個人的な問題を同じ問題を共有するグループに持ち込んで相互的に解決していく問題解決の仕組みであるとか、そういった形の人の繋がりはあまり一般的ではないように思いますので、日本でもこういうことをやっている所があったのか、ということです。
特殊な治療でも特殊な人のための治療でもなくて、当たり前の問題解決法の一つとして刑務所の中でも外でももっと広まればいいなぁと思います。
こんにちは。観ました。
よくぞ、この映画を撮ってくれたなあ、と思います。
罪は、因果応報ではないのです…よね…
イギリス映画でも(笑)、受刑者同士がディスカッションするプログラムのシーンがあって、トークが高揚して乱闘になったりしてましたが、本作では、そういう事はなかったのかな。
あの部屋で、壁に高く、十字架が掲げられていないのが、日本かなあ、なんて。
あんなに自分を客観視し言葉にするなんて、ふつーの人生送っててもなかなかないです。
撮影数年だそうですから何かしらトラブルはあったでしょうが、受刑者同士の対話を促すというよりは指導員の元で自分の思っていることを素直に表に出せるコミュニケーションの術を学んだり、そのための環境を指導員と受刑者の全員で協力して作っていくことが主眼のプログラムでしょうから、あまり直接的な対立には発展しないのかもしれません。
そういえば十字架はなかったですけど仏壇の置いてある教誨室みたいなのはありましたね。カメラに写ってないだけであれも受刑者の宗教多様性を考慮して色んな宗教とか宗派の祭壇があったりするんですかねぇ。