君の名前で僕は呼べない映画『影裏』感想文

《推定睡眠時間:10分》

冒頭に出る配給会社のムービングロゴがソニーミュージックでこれは珍しいな、と思っていると次はアニメでもないのにアニプレックス、そしてスクリーンに現れる岩手テレビ開局ウン十周年記念作品の文字。こんな並びを観るのは初めてだ。原作は芥川賞受賞作、綾野剛&松田龍平の豪華スター共演、にも関わらずメジャー会社も絡んでないし、よくある大作邦画とはだいぶ違うルートで作られた映画なんじゃないだろうか。

内容もかなり渋めの力作で邦画メジャーとは一味違った作品を、という製作側の気合いを感じる。岩手のご当地ネタはたくさん出てくるし311ものでもあるので地域振興映画としての側面があるのは間違いないが、しかしこんな作家性の強い文芸映画が地域振興かつ岩手テレビ開局ウン十周年記念になると考えたのだとしたら製作幹事の岩手テレビは映画のことなんかなにもわかっていないか、逆にめちゃくちゃ芸術に理解のある人々の集まりなんだろう。どちらにしても岩手テレビの株が上がるイイ話である。

主人公の今野秋一(綾野剛)は医薬品卸かなんかの会社の盛岡支店に勤務する出向社員。内向的かつ都会的な性格のためなかなか新天地に馴染めなかったが、倉庫の方でピッキングのバイトをしているUターン人の日浅典博(松田龍平)と出会ったことでにわかに変化。一緒に酒飲んで何がおもしろいのかわからない話をしたり、渓流釣りに行ってみたり、さんさ踊りを観に行ったり…と、親交を深めつつ盛岡に馴染んでいく。

時は飛んで一年ちょっと後の2011年3月。被災地への物資支援で大忙しの今野はピッキングのパートの西山さん(筒井真理子)から突然、こんな話を聞かされる。日浅が死んだ。寝耳に津波の衝撃発言であった。はたして日浅になにがあったのか、というか日浅と今野の間になにがあったのか、なにかがあったとしてどうしてパートの西山さんがそのことを知っているのか? というわけで今野は死んだらしい日浅に思いを巡らせながら、その謎を解き明かしていくのだった…。

こう書くとミステリー色が濃厚な映画に思えるが実際は文芸映画寄りなので謎の解明にそれほど比重が置かれているわけではない。どちらかといえばお話の軸は日浅との出会いで今野がどう変わったか、変わっていくか、という点にある。それも何か大きな変化ではなくて微細な変化で、物語に大きなうねりとか明快な起承転結を求めるとぶっちゃけ退屈度がそれなりに高くなるが、まぁそういうタイプの映画ではないですからね。よくこれ作ったなぁって思いますよ、岩手テレビ。

学生気分の抜けないこども三十路の日浅に背後からだ~れだをされた今野は珍しいタバコの匂いでそれが日浅だと気付くというシーンがあった。香りの映画だと思った。香りとか空気とか。ボクサーブリーフ一丁でベッドにうつぶせになってる今野の足をカメラが艶めかしく捉えるんですよ。エロいね。オトコの身体のエロス。その香り。今野がジャスミンを大事に育てているというのもまた香りだ。

仕事で盛岡に来ていた前の恋人と会うことになった今野がラブじゃない方のホテルに行って恋人とふたりきりでエレベーターに乗る。エロいといえばこのシーンもたまらなくエロかった。扉が開けばすぐ離れてしまうことがわかっているほんの一時のふたりの距離の近さ。それをワンカットでジーッと撮るわけですよ。そういう、関係性の香りも丁寧に掬い取っていく。心の機微をこれと明示しないで、比較的長めのショットの中で人間の配置であるとか、会話の間であるとか、その香りから登場人物が何を考えていてどういう人間なのか自由に察してくれやという感じ。

繊細にして退屈な日常描写を平板に繋いでいく作りも、生活の香りを出そうとしているのだと思った。脱衣所で全裸になって脱いだ衣類を片っ端から洗濯機に入れていく時の今野の背中に香る生活の重さ。大したことの書いてない年季の入った回覧板に意味もなく閲覧済みのサインを書くときの手つきに香る生活のつまらなさ。その回覧板でちょっとしたトラブルになった近所のキレ気味孤独婆に香る生活のかなしさ。

という生活の諸相がいちいち素晴らしいのだが、そこに前触れなく闖入してくる生活の破壊者として存在するのが松田龍平演じる日浅で、こういう役をやらせたら松田龍平もう無敵、何を考えているのか皆目わからずちょっと怖いのだが、でもその、居そう感に不思議な親近感もあって…絶妙。いいんですよ松田龍平。東京の大学行っててそれから盛岡にUターンした人の設定だから純方言じゃないんです。でも盛岡でまた暮らしてるうちにだんだん標準語が訛ってきてちょっとだけ方言入ってくる。

そのどちらでもなさがすごいよくて…知り合いに東京に居た時はバリバリの標準語だったのに地元の盛岡戻って仕事し始めたら微妙に訛りだした人がいて、その人もなんか仕事とか定まらない感じの人だったのでちょっと思い出したりした。微妙な先輩風の吹かせ方とか、職場でのおばちゃん連中の人気者ぷりとか、東京ではたぶんそうではなかったのだが地元に戻って年功序列の地元秩序に馴染んでいく感じとか、いるなぁこういう人っていうリアリティがありましたよ、松田龍平の日浅。

内奥に何を抱えているかわからないという点では綾野剛も負けてはいない。『怒り』とか『楽園』とかで既に実証済みの、松田龍平の怒りを押し殺すための無表情に対しての痛みを押し殺すための無表情には切ないところもゾッとさせられるところもある。そのふたりがふたりきり、同じ場で同じ穏やかな時を過ごしているシーンに香るなんとも言えないエロティシズムとサスペンス。いやぁ、すばらしかったすね。

ラストシーン手前でちょっと寝たのは痛恨の極み、そのおかげで日浅の死の謎を追っていた今野が最後に何を見つけたのかよくわからなくなってしまったが、俺はあれは、タイトルに引きつけて言うなら、明るい表面ばかりではなく人間のどうしようもない影裏に目を向けることで逆に救われることもある、みたいなことなのかなぁと思った。
震災を背景にしているのもそのへんが理由じゃないだろうか。沿岸部と内陸部の被害差が喚起する様々なものがないまぜになった心情、落胆と安堵とか、絶望と希望とか、悔恨と…とか。それを今野と日浅に象徴させて、あるいは今野と日浅の思いを震災に託して、というまぁそんな感じの『影裏』だったんじゃないでしょーか。

※四季折々の自然描写もたいへんすばらしく、わけても渓流釣りの場面は白眉。

【ママー!これ買ってー!】


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今をときめくポン・ジュノがこの綾野剛を見て「歩く傷のような人」と評したとか評さなかったとか。わかる。

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