《推定睡眠時間:25分》
アパートだったか病院だったかでくつろぐ母子の微笑ましい光景は突然の爆撃音で一変する。地下へ! の声に促されてカメラが廊下に踏み出すと再びの爆撃音と通路から噴き出す真っ白な粉塵。すぐ近くに落ちたようだ。気が付けば娘の姿がない。カメラを手にした母親は娘を探しながら突如として戦場と化したアパートだか病院だかを進んでいく。その先に、娘はいた。生きた姿で、笑顔を弾ませ。
映画の見過ぎでPOV系戦争映画かと思ってしまったがこれが現実、と、続ければ俺もちゃんとした大人になれるのだろうが、やっぱりPOV系戦争映画にしか見えないと正直に告白してしまう。なぜなら劇的効果を狙ってあえてそのように編集しているように見えるから。内戦下のシリア・アレッポでカメラを回しながら女児を出産した女性の約十年間をそのまま繋いで提示するビデオダイアリーのような私的な映画ではない。ドラマ仕立ての長い政治コマーシャルといって差し支えないんじゃなかろうか。極めて洗練された政治コマーシャルである。
まこういうことを言うと良識ある人々のひんしゅくを買うことがわかる程度には俺も大人なので、一応あたりまえのようですが確認しておきますが、宣伝っていうのは悪者の武器じゃないですからね。悪者も正義の味方もそうでない傍観者もみんな宣伝はします。宣伝は情報社会の手軽な兵器。何が真実で何が正義かわからぬような情報爆発の世の中ですから宣伝で勝った方の情報をみんなとりあえず正解ということにします。
本当のことは宣伝の下に隠れた小さな事実をひとつひとつ発掘していけばわからないこともない。でもそんな労力を割けるほどみんな暇じゃないし、ひとつ真実の情報を見つけたと思ったそばから膨大な自称真実の情報が押し寄せてくる、そんな環境では誰だって真実の情報よりも宣伝を手に取りたくなる。それが戦火の及ばぬ海の向こうならともかくも、今まさにこの場でわたしやあなたが殺されようとしている、何食わぬ顔で日常が破壊されている、というような切迫した状況で真実か宣伝かの選択肢はない。宣伝で武装する無辜の市民を非難する権利は安全地帯で惰眠をむさぼる連中にはない。
とはいえ無いものを有るとは言えないし思っちゃったものは仕方が無い。基本的にはやっぱ宣伝の映画だし、要は、空爆を続けるロシアを非難しつつ他国に積極的な介入(それがどのようなレベルのものかはわからないが)を求めるという内容。どう観るにしてもそのへんは意識しておいた方がよいのではないかと思ったりする。
もっとも、ニュースなんかほとんど見ない(ましてや海外ニュースなんてまったく)俺がなんとなくシリア内戦続いてるなーと今でも思えているのは定期的に映画館でシリア内戦ものの映画をやってるからなので映画さまさま、宣伝さまさま。『シリア・モナムール』とか、『ラジオ・コバニ』とか、『プライベート・ウォー』とか、『ラッカは静かに虐殺されている』とか、『アレッポ 最後の男たち』とか…なんだかんだ一年に一本ぐらいは観てるんじゃないだろうか、シリア内戦もの。内戦のきっかけとなったアラブの春なんてもう遠い過去の出来事のようで気を抜くとあったことさえ忘れてしまうが、宣伝が持たざる者の武器にもなることを証明したアラブの春の精神はこんな形で生き延びているわけだ。
それで『娘は戦場で生まれた』の内容ですが、この主人公兼撮影兼共同監督兼戦場で生まれた娘の母のワアドさんは元々ジャーナリスト志望というのもあり、内戦勃発前の反体制デモからアレッポの現在(撮影時)までをワアドさんと思しき女性の語りを交えつつ明瞭簡潔に素描。大局には触れずに一市民の目(カメラ)から見た内戦十年弱はエピソードの取捨選択がハッキリしていてとても見やすいし、子供の出産であるとか家族友人と過ごすなんでもない時間とか普遍的でプライベートな場面と非日常的な爆撃の場面が交互に来る構成は、渾然一体となった親密感と緊張感がダイレクトに迫ってくる。
全体としてシリアで具体的に何が起こったかということよりも状況の推移をいくつかの象徴的なエピソードや風景からイメージさせる作りになっている。それは内戦下に暮らす人たちから見た戦争の記憶の再現であろうし、同時に専門家や意識の高い人々ではなくシリアで何が起こってるのかよく知らないしあんまり積極的に知るつもりもない俺みたいな人間に向けられた、わたしたちを見てくれというメッセージでもあるんだろう。あなたたちと同じような日常をわたしたちも送っている。それがある日突然破壊されたらあなたはどう思いますか? と、そんな感じ。冒頭のPOVにはそうした意図があったんだろうと思う。
簡潔にではあるが発端から描いているのでシリア内戦入門編もしくは体験版としてよく出来ているんじゃないだろうか。シリア初心者の俺がそう言うんだからそれなりに説得力はあるはずだ。ただ入門編には大事なところのすべてが入っているわけではないし、もっと深く知るうちにそのわかりやすさがいくつもの情報の犠牲の上に成り立っていたことに気付いたりする。その意味ではこの映画単体でどうこう言えることはないのかなと思った。これは二時間のコマーシャルで、まぁこれきっかけでシリア関連の情報に関心が向いたら作り手の本望だと思うので、二時間のコマーシャルとして面白く観た、と斜に構えて感想終わる。
※ドキュメンタリー映画として面白かったのはこの主人公ワアドさん、常にカメラを意識して自分を作っているようなところがある。宣伝といえば外に向けての行為というイメージがあるが、過酷な現実をカメラを通して準フィクション化することでこの人は理性とか希望を保っていたのかもしれず、そこにはセルフセラピー的な意味もあるのかもしれない。
【ママー!これ買ってー!】
上に挙げたシリア内戦映画、Amazonで検索したら配信もソフトもこれと『プライベート・ウォー』しか出てこない。『プライベート・ウォー』はともかくシリア内戦映画は小さな会社が利益よりも使命感で配給してるようなものが多いので(『シリア・モナムール』なんてそれを上映するために有志が会社を興したんだとか)二次利用まで持ってくことが難しいのかもしれない。やってたら映画館で観ておくが吉。