《推定睡眠時間:0分》
前ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカを名匠エミール・クストリッツァが撮ったと聞けば疫病が流行ってようがなんだろうが観に行ってしまうがホセ・ムヒカが何者か全然知らないしそもそもウルグアイがどのへんにあるどんな国かも知らない。かなり冒険鑑賞である。
かろうじて頭の中にあったムヒカ関連記憶は一年ぐらい前にケイズシネマとかのミニシアターでやっていた『ハッパGoGo 大統領極秘指令』とかいうふざけた邦題のモキュメンタリー?映画で、観てはいないが予告編にそういえばムヒカが出ていた。ムヒカは大麻合法化をやった人。でこれはムヒカの依頼で大麻を買い付けにアメリカに行った親子かなんかのお話だった。『世界でいちばん貧しい大統領』でも大麻合法化に触れて大麻が犯罪組織の資金源になるくらいならいっそ合法化した方がよかろうとその理屈を語っていたから、なんかリベラルっぽい人なんだろう。
映画は大統領退任後のムヒカとクストリッツァの語らい(インタビューではなく語らいである)を軸に様々な記録映像や他の映画の断片をミックスしたものだったが、引退後のムヒカを見る限り親切な妖怪のような好々爺、「世界でいちばん貧しい大統領」というぐらいだから資産とかもないっぽいっていうか金使った生活自体に興味がないっぽいので汚いあばら屋で寝起きしてゆるいジョークを飛ばしながら自前の農場でコーヒー豆かなんか作ってる、とここまでは絵に描いたような賢人である。
だが、そんなムヒカも若かりし頃は急進的な都市ゲリラ。革命を志し仲間と共に金持ちとか銀行を襲撃しては「接収!」の名の下に金品強奪、たまに命も奪ったりする武闘派であった(ムヒカ自身が殺人に関与したかは知らないが)。
投獄数回、脱獄数回、投獄年数計二十年弱、足と胴体に受けた銃弾は十発ほど。現在の好々爺っぷりからはあまりに遠いが闘争の過去あってこその好々爺という見方もできる。やはり人間一度ぐらいは革命にかぶれて臭い飯を喰らっておくべきですな。
74分と比較的コンパクトなランタイムの中に詰め込まれたムヒカ激動の半生。クストリッツァはそれを評伝としてではなくあくまで詩として紡ぎ出す。よってぶっちゃけこれを観てもホセ・ムヒカなる人物の政治家としての姿はあまり把握できなかったが、個人史を通して国家の歴史、その悲劇をあぶり出すのがクストリッツァ節。老ムヒカの表情のひとつひとつ、何気ない言葉の端々から滲み出るのはムヒカの経験してきた痛みであると同時のウルグアイの痛みとその先の希望なのであった、というようなまぁそんな感じの映画です。
冒頭、農民アンティークな固定ストロー付きカップみたいなのになにやらコーヒーと思しき液体を注いでは吸って吐き出す、注いでは吸って吐き出す、を繰り返すムヒカ。それを葉巻をくゆらせながら無言で見つめるクストリッツァにやがてムヒカはカップを差し出す。飲め、のアイ・コンタクト。無言でカップを手に取りチュ~っと飲むクストリッツァ。表情は変わらない。美味いのか不味いのか。なんか言えよ。ムヒカ、賢人顔でクストリッツァを見つめる。クストリッツァ、何も言わずに返答のダンディスマイル。
…なんなんだお前ら! なにその脛に傷持つ暗黒街の男たち的な無言のやりとり! ジャン=ピエール・メルヴィルのノワール映画じゃないんだから! ムヒカはそれでもいいけどクストリッツァはお前キャラ作りすぎだろ! ダンディ! すごいダンディ!
こういうところ、面白かったですね。空気で語ると言いますか。それが何を意味するかはわからないけれどもなにかしら人生の滲む空気を捉える。全体の半分くらいは引用映像でこの映画のために新たに撮られた素材は決して多くはないが、まぁ人間を切り取る視点がやっぱ映像詩人ですよね。コーヒー淹れてるだけのシーンの豊かなこと。
クストリッツァはアクティヴィストじゃないしドキュメンタリストでもなくあくまで映像詩人なのでリベラルの目線で大げさにムヒカを称えたりだとか、日常に徹底密着してムヒカの素顔を白日の下にさらけだそうとしたりだとか、そういうことはしない。逆に、そういうことをしないからこそ人間ムヒカが見せる日常の中の様々な顔が味わい深くなるというのもある。
こんな場面なんて実に面白かった。(おそらく)大統領退任間際、報道陣を引き連れてカフェかなんかを訪れたムヒカに突如として反ムヒカの一般市民が食ってかかる。お前がこの国をダメにしたんだ! IMFのための政治なんかしやがって! ムヒカ政権が大麻解禁以外に何をしたか知らないが何をしたにせよいきなりそんなことを言われてムヒカ災難だなぁと呑気に思ったその瞬間、ムヒカ激高して反ムヒカの一般市民の側頭をホールドするとウィルスなら飛沫感染間違いなしの至近距離で相手の両目をしっかり睨みつけながらIMFと取引はしてねぇよ! などと完全反論、ウィルスなら飛沫感染間違いなしの至近距離で反ムヒカの一般市民をほぼほぼ暴力の恫喝的反論でねじ伏せる。ねじ伏せた後は即いつもの好々爺スマイルを取り戻すのであった。
ムヒカのキレの沸点が低すぎるしキレからの復帰が早すぎるところはさすが強盗的接収で活動していた元武闘派の前科数犯都市ゲリラだったし、反ムヒカの一般市民もなんでお前その場面で絡むんだよっていうところでグイグイ行くガッツがあって何者感があるし、なんか色々と人間が濃い。思わず笑ってしまうような正邪や党派を超えた人間の絡み合いがある。
ムヒカの大統領退任のタイミングで撮られたらしく、映画のクライマックスは熱狂的な支持者たちがワールドカップの応援さながらにムヒカ引退式典に集う場面。政治的評価は知らないがこんな濃い国民をともかくまとめあげたのだから少なくともその点でムヒカは立派な政治指導者であったんだろう。
酸いも甘いも吐き出しては噛みしめて。ひとつの時代の終わりと新しい時代の始まりをムヒカという存在に託してクストリッツァはただコーヒーを味わう74分。果たしてそのお味は…のくだりにもしっかり笑わせられる、豊穣なドキュメンタリー映画でしたなぁ。
※ちなみにムヒカの妻も臭い飯を喰らった左翼活動家だったらしい。革命で結ばれた二人がやがて大統領とファーストレディーに登りつめて引退後はのんびり田舎暮らし。全編を彩る哀愁のタンゴも含め、ロマンの嵐である。
【ママー!これ買ってー!】
政治家のスピーチなんか絵本にするなよと思うが出版するのは自由ですからね。いいんじゃないの。
こんにちは。
クストリッツァ監督は、なんでムヒカ氏に興味を持ったんでしょうね…それにしても二人とも映えるわー。大統領っつったって、強大な権力を行使するってのとはちょっと違うんだよね、というようなバランス感覚に感心しましたけれど。
ウルグアイといえば、写真撮るときに「ウイスキー!」って言う映画がありました。詳細忘れましたが、せつなくほのぼの、とても良かった記憶があります。
映えすぎですよね笑。クストリッツァのはにかみスマイルなんか卑怯ですよ、あれは。かっこよくて逆に笑っちゃいました。
なんでムヒカ撮ろうと思ったのかは謎ですけど、クストリッツァ前に『セブンデイズ・イン・ハバナ』っていうオムニバス映画に出演したことがあるらしいので、なんか南米に関心が向いてるのかもしれません。南米とか、革命家とか。
『ウイスキー!』は知らなかったすねぇ。面白そうなので今度借りて観ます(TSUTAYAが営業再開したら)
監督、スパイもやってますね(笑)
『フェアウェル さらば哀しみのスパイ』
俳優もやってたのか…