《推定ながら見時間:10分(vimeo鑑賞)》
なんと痛快なタイトル! エコの嘘ですよエコの嘘! そうだよねぇ、俺もなんとなく怪しいと思ってたんだよねぇ、エコロジィってやつをねぇ。映画の監督にしてホストは環境保護のうるさいデモなんかには参加しないと表明する平和主義者。その彼が環境保護に熱心な(ややファナティックなほどの)女性ジャーナリストと知り合って、さてそこから始まるエコの嘘を暴く旅。どいつもこいつも持続可能性持続可能性と祝詞のごとく唱えているが、そんなの実は全部ウソ! ホント~はエコ活動なんかやってやしないんだなぁこれがぁ。やっぱりねぇ、思った通りなんだよねぇ。
ま、残念なことにもちろんそんなアンチ・エコロジストが溜飲を下げるためのエコロジスト糾弾映画ではなく、実際はゴリゴリのエコロジストによるアクティヴィズム映画。エコの嘘ってなにかって要はグローバル大企業の嘘でした。今や持続可能性とかサスティナビリティのワードはどの企業もこぞって飛びつくマーケティング・トレンドにしてブランド保証。絶不評配信中の『攻殻機動隊 SAC_2045』も「サスティナブル・ウォー」なるアイディアが物語の背景になってます。
でも持続可能性って具体的に何を指してるんでしょうねぇ。コカ・コーラのCEOもイーロン・マスクも石油企業BPの偉い人もみんな当社は持続可能性守ってますよって言います。言いますけれどもその会社がどの程度持続可能性に配慮した経済活動を行っているか監査するような公的機関はないし、あったとしても世界中に販売拠点や生産拠点を分散していたり、製造工程を細かく分けて下請けに回していたりするグローバル大企業の活動実態を外部団体が把握するのは不可能だろう、ましてや下請けの下請けのそのまた下請けの…なんて話になってしまうと社内でさえ把握できているか怪しい。実質、グローバル大企業の持続可能性を検証することは不可能に近いわけだ。こういうのはたまに外電記事でニュースになりますよね、えぇアップルとかのことですが。
ま、とはいえ、凡人の直感に従えば、株主第一主義のグローバル大企業様が何かとお金のかかる持続可能性にちゃんと配慮した経済活動なんかマトモに展開してるわけがないわな。っていうんでその一端を見せてくれるのがこの映画。お偉いさんが持続可能性守ってますよーとアピールする会社の本社から遠く遠く離れた途上国の原材料生産地なんかに行きまして、地元活動家とか現地住民の人なんかの話を聞きながら、これのどこが持続可能性じゃいなという光景を見せていく。森林伐採。環境汚染。強制立ち退き。ワリを食うのはいつも世界の隅っこの方だ。持続可能性とはつまり競争に抗する共生の原理なわけですねぇ。
ドキュメンタリー映画にもスタイルが色々あるがこれは「たまたま映っちゃった!」みたいなライブ感は無きに等しくかなりフィクショナルに作り込むタイプ。台詞も含めて台本が非常にしっかりしてるし、個々のシーンも構図や編集も同様、全体の構成もまた同様。悪く言えば結論ありきのドキュメンタリーなのだが、よくよく整理されて無駄なところは周到に刈り込まれているわけだから見やすいし飽きずに観れるというのも確か。
とくに良く出来ているのがキャラクター設定でしたねぇ。主人公が演じるのはちょっととぼけた「普通の人」。穏やかで争いを好まないから環境保護のデモには加わらない、しかし環境保護には賛成だからスーパーで買い物をする時には余裕があればパッケージに「環境にやさしい」とか「フェアトレード」とか書いてある商品を買う、どんな相手にも胸襟を開いて友敵を作らずに、何に対してもユーモアの精神を忘れずに、過剰に感情的になったりせず、したがって要は「普通の大人の男」なのだ。
これと対照的なのが相棒の女性ジャーナリスト。この人はデモには賛意を示すしパッケージの「環境にやさしい」とか「フェアトレード」はまず疑ってかかる、どんな相手でも必要とあらば追求の手は緩めない、ユーモアセンスもあるがそれよりも正義を優先する。一言、典型的な「厄介な女」といったところだろう(「普通の大人の男」にとっては)
映画はこの女性ジャーナリストが環境配慮や持続可能性を謳うグローバル大企業がいかに虚飾にまみれていくかを主人公に教えるために、スーパーで環境にやさしい商品を買ってるだけではわからない世界各地の「嘘」の現場を連れて回る。そのことの意味はまぁ、言うまでもないですよね。啓発。自分は普通の人間で、フェアトレード商品なんか買ってるんだから普通どころかむしろ善良だ、とこんな風に思ってる人を説得するための映画というわけ。台本と段取り最優先の視聴者に優しい作劇はあくまで視聴者の説得を第一に考えているからなわけですねぇ。
時に漫才コンビのような、時に教師と生徒のような、時にバディのような二人のキャラクターと関係性は魅力的(どことなくモルダーとスカリーのようだ)。長い旅で様々な「嘘」を見てきた主人公が最後にちょっとだけ改心して、「厄介な女」の言っていることは実は正しかったのだと訴えるラストはあまりにも教科書的予定調和ではあるが、まぁ、こういうスタイルのTVドキュメンタリー・シリーズのスペシャル版とでも思って観ればそれほど悪い印象もない。
啓発を目的とした映画であるから個々の「嘘」に対するツッコミははっきり言ってメチャクチャ浅く、印象論の謗りを免れないようなところはある。その「嘘」を通して浮かび上がってくるのは最終的にエコロジー版のトマ・ピケティというべきもので、グローバル大企業の横暴を許さず市民・労働者は団結しようみたいな話なので「エコの嘘」というタイトル自体が実は嘘だったりもする。結局、問題なのは持続可能性がどうのとかではなくひたすら競争を煽る市場原理と、その上に君臨するグローバル大企業による富の収奪の構造そのものなのだ(それが「嘘」の土壌というわけ)
そういう意味で物足りなさはあったのだが、まぁでも、面白く観れましたからいいんじゃないですかね。大企業の発する安易で甘美な「持続可能性」の売り文句を消費して「意識の高い俺」に酔ってる市民だってエコの嘘の立派な共犯者。特別なにか行動を起こさなくてもそう意識するだけで変わるものもあるんじゃないでしょーか(映画は行動しろって煽りますが)
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欧米では啓発を目的としたアクティヴィズム映画がたいへん盛んなのでむしろそうした思想性から逃れたドキュメンタリーが称揚されがちな日本とはなにか根本的にドキュメンタリーというものに対する考え方が違うんだろう(良いとか悪いとかではなく)。これは飲料水メーカーとか水道民営化に関するアクティヴィズム・ドキュメンタリー。