ロシア思弁SF映画『アンチグラビティ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

あまり日本には入ってこなかったがロシア宇宙主義という思想潮流があったといいそのSF的神秘主義的思弁は歴史の影で(などと大げさに書くと陰謀論臭が出ますが)国を超え時代を超え様々な人間にインスピレーションを与えてきたらしい。それが具体的にどのようなものかといえば物の本とウィキペディアによるとたとえばロシア宇宙主義の創始者と目されるニコライ・フョードロフはこんなような構想を持っていた。

人間は煎じ詰めれば情報(フョードロフは粒子と表現しているらしいが)であるから人間を構成するすべての情報を集めれば死んだ人間は蘇るし、ヒトのDNAからは死んだ先祖をすべて物理的に復活させることができる。人間はしょせん物理的な存在であるから器官改造で空を飛べるようになるし水中で生活できるようにもなる。人間は人間の手で進化し自然を克服すべきである。重力を制御し宇宙へ飛び出し不死の天人となるべきである。そこには永遠のユートピアが待ち受けているであろう。

こうした構想は人間の進化のためには重力からの解放が必要だと説くLSD教祖ティモシー・リアリーの地球外コロニー移住論、通称「スマイル計画」に受け継がれているし、イーロン・マスクの火星移住計画にもその残滓が見えるが、なにもそこまで話を広げなくとも『機動戦士ガンダム』をはじめとして和製SFアニメやゲームなんかにはお馴染みのもの、『アンチグラビティ』の第一印象はゲームのような映画だなぁというものだったが、それはたぶんロシア宇宙主義的な構想を俺ぐらいのヤング世代は空気のようにサブカルチャーから吸収しているからだろう。重力からの解放やら人間の不死性やらを表現するにアニメとかゲームは最適である。

『アンチグラビティ』がこうしたものをどの程度意識的に取り込んで作られたロシア映画なのかは知らないが背景にロシア宇宙主義を見れば少しだけ味わいが深くなる。まー基本的にマニア志向といいますか、設定は奇抜だけれども思いのほか跳ねないSFの典型というか、俺の中では「押井守が推薦コメントを寄せる映画」っていう分類の映画だったので推して知るべしですが…その跳ねないところをロシア性で補足したくなるだけの知的好奇心は刺激される。

個人的にロシアSFに求めるものは思弁性とか土着性なのでこれで全然オッケーですがアクション的に面白いか面白くないかで言ったらガンガンバトルできそうな設定なのにそんな盛り上がるところもないし敵も一種類ぐらいしかいなくて飽きるし別に面白くはないので、そういう映画だと思わないで観た方がよさそうではあった。

主人公が目覚めるとそこはよくわからん謎空間。プチプチと音を立てて虚無が空間を侵食し見慣れたはずの街はバラバラに分断されて上下左右もなくめちゃくちゃに接続されている。見た感じは街全体が巨大なニューロンのネットワークになってしまったようだが、その形状の意味するところはのちのち判明する(そしてなるほどと膝を打つ)

困惑する男の前に『モンスターハンター』みたいな格好をした男女混成チーム登場、そして陽炎のような真っ黒な魔物が登場。ハンター組によればここは昏睡状態に陥った患者たちが引き寄せられる空間、真っ黒な魔物は脳死患者の残留思念(?)だということである。昏睡と言われれば確かに事故ったような記憶が主人公にはあった。この昏睡ワールドでは至る所に昏睡患者の記憶が現出してしまうので主人公の事故現場も時が止まったまま再現されている。

わからんことだらけだがそこらへんを一人でうろちょろしてたら例の残留思念に食われてしまうので主人公はハンター組についていく。そのアジトになっている廃墟の武器工場に居ればとりあえずは安心らしい。ハンター組が主人公を探していたのには理由があった。予言者的な特殊スキルを持ったハンター組の一人によれば彼こそは救世主、昏睡ワールドに囚われた人々を永遠の地に導くのだという。俺そんな大層な人間かねぇ、と主人公にはしっくり来ないがこの人は自称天才建築家、そのドリーム都市計画がなにやら永遠の地に関係しそうではあるが、果たして…。

ロシアという場はコミュニズムの壮大な社会実験が行われた場なわけだから現実が理念を生むのではなく理念の方が現実を規定する日常的な感覚からすると逆転した現象がしばしば途方もないスケールで起こる。フョードロフの宇宙進出構想はロケット工学の父コンスタンチン・ツィオルコフスキーの思想的土台となって(と言われるらしいが)ソ連の宇宙開発を前進させたし、政権奪取前のヒトラーに超与えなく良かったインスピレーションを与えて最終的にホロコーストまで生み出してしまった反ユダヤ文書「シオン賢者の議定書」は帝政ロシアの政争の中で生み出されたパッチワーク偽書、それ以前から炭疽菌の培養・散布などは試みていたものの衆院選惨敗後のオウム真理教の急激な武装化はロシア・コネクションあってのもので、オウム真理教の海外布教がもっとも効果をあげたロシアでは今でも現地のオウム真理教信者がたまに摘発されたりする。オウム真理教の武装化が麻原のハルマゲドン幻想を現実化するためのものであったことは言を俟たない。

『アンチグラビティ』のコアにあるのは潜在意識の更に下に潜り込んだ昏睡患者の生きる世界に重力に縛られた現実世界を生きる人間にはたどり着けないユートピアを見ようとする視点の逆転であった。『惑星ソラリス』とか『ストーカー』とも通じるロシアSF的世界観が炸裂。そうは言っても別にタルコフスキーみたいなアート映画ではないのでストーリー的には落ち着くところに落ち着くが、現実を凌ぐ理念を具体的な映像として作り上げてしまうのはやはりのロシア、ロシアン・イマジネーションに満ちた異世界を存分に見せてくれる。

せっかくの超アガるゲーム設定(怪物のうろつくサイドの世界から資源持ち帰って廃工場で武器製造とか、各キャラクターに割り振られたスキルとか)があまり活かされないのはもったいないなぁと思うがまぁ、その異世界を味わう映画ということで、わりと面白かったです。

【ママー!これ買ってー!】


ユービック

どこがどう似てるとか言えないが似てたので。

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