《推定睡眠時間:0分》
ウェンズデーかあいいよウェンズデー。ウェンズデーはいつでもかわいいな。可愛いの形容詞が指し示すものはどれも違うがオリジナルのシットコム版でも可愛いし実写映画版のクリスティーナ・リッチが扮するウェンズデーも可愛かった。クリスティーナ・リッチ! 今では懐かし女優の枠に入ってしまった感もあるが…(しかしフィルモグラフィーを見るとテレビドラマに活動の場を移して精力的に活動しているようで、なにより)
ウェンズデーの良さは健全なメンヘラというところ。学校に行かず人形の首をギロチンで切り落として遊び気に入らない弟を墓に埋めて殺そうとする健気なウェンズデーちゃん。どう考えても狂っているがだからといってそのことに一切悩んだりしませんからねウェンズデーは。いつも服毒自殺一歩手前の陰鬱ムードではあるがそれは生来の気質であって自分が他の人と比べて変だからとかではないのです。
変な自分に悩まないから治療の必要もない、今日も鬱々と拷問の本を読んでおさげの髪を絞首ロープ型に編んで寝る前にはルーチンで自死用ギロチンをベッドにセットしつつも翌朝にはきっちり回避するウェンズデーは一見メンヘラに見えるがそのじつ健康そのものであって、これはアダムス一家全員に言えることではあるが、むしろ、彼ら彼女らに比べれば自分のどこそこが他人と違うとか違わないとかいっていちいち気に病む一般ピープルの方がよほど治療の必要のあるメンヘラなのです。
というわけでそういうお話。いつの時代なのだか知らないがフランケンシュタインの怪物よろしく松明を持った鬼畜村人に襲撃され故郷を追われたアダムス夫妻はニューオリンズ? ニュージャージー? かどこかの郊外に悪霊の住み憑いた立派な精神科病院の廃墟を見つける。ここなら誰にも襲われることなく平和に暮らせるに違いない。さっそく居を構え仕事にも学校にも行かず楽しく暮らしていたファミリーと召使いのハンド君とフランケン君であったがそんなオバケ暮らしに晴天が。アダムス邸の立つ丘の下にいつの間にか超平均的薄っぺら郊外住宅地の普通タウンが建設されていたのだ。
かつての迫害経験から下界との交流にあんまり乗り気でないファミリーであったがなんとしてでも郊外住宅地を売り捌きたい動くバービー人形みたいな極悪普通人住宅デザイナーはテレビクルーを引き連れて土足でファミリーの居城に踏み込んでくる。この糞オバケ屋敷のせいで住宅地の景観は台無しだ! この私の手でリフォームするかさもなくば…なんだか、楳図かずお邸を巡る景観訴訟のような話であった。あったなそんな話も。
ちなみに吹き替え版で見たんですけど全然よかったですよ吹き替え版。洋画吹き替えを本職じゃない人が担当するとタレント吹き替え! 話題性狙い! って怒る映画ファンもいたりしますけど、本職じゃないっつってもこれはゴメズが生瀬勝久でしょ、モーティシアが杏でしょ、ウェンズデーが二階堂ふみなので巧いですよそこらへんは。
これミュージカル部分っていうか歌の部分は吹き替えなしの原語なんですけどオリジナル版の俳優とわりと似た声質の人を選んでるっぽいので急に原語の歌に切り替わっても違和感ないし、フェスターおじさんのロバート秋山とか悪役のLiLiCoはさすがにどうかな~って思わなくもないですが、実は吹き替えクレジットを見て初めてそのことに気付いたってぐらいで、タレント枠の人もちゃあんと役にハマってましたしね。すげぇ気合い入れて作ってたと思いますよ、吹き替え。
で内容の方は監督コンビがR指定下ネタアニメ『ソーセージ・パーティ』の人なのであそこまで過激なネタはないとしてもこれまでの『アダムス・ファミリー』と比べてたぶん露悪的なのですが、面白いのは露悪的に描かれるのはファミリーの方じゃなくて普通タウンの人々の方で、学校裏サイトならぬ町内裏サイトで悪意あるデマを拡散する悪役(しかし表の顔は素敵デザイナー)にはその馬鹿げた造形も含めてウゲェだし、町の規格化された子供たちが親たちの前で「人と同じことをしよう!」の歌を披露する場面なんか最高に最悪。
この場面が結構深いのですよ。よくある風刺的なアメリカ映画だとこういうことするのって大抵白人ですけど、これはセンターポジションは白人女子でも周りを固めるのはアジア系とかラテン系とかアフリカ系なんです。それでみんな一緒になって「人と同じことをしよう~自分で考えるのはやめよ~」って歌うんですけど、最後に組体操の陣形を組むときに上に登って目立つのはセンターの白人女子で、その足場になるのはアジア系とかラテン系とか黒人なんです。
風刺がキツイっすよね~。「普通の人」として「普通じゃない人」を迫害するのはなにも白人みたいな人種マジョリティだけじゃなくて普通の人の鋳型に収まった人種マイノリティだって普通じゃない人を白眼視するし、普通への信仰を表明すれば誰でも仲間扱いするような形だけの人種平等は結局人種マジョリティを利する結果にしかないっていうのものある。
に加えて、平等主義ってすごく優しい平和な考え方っぽく見えるけど要するに「人と同じことをしよう~」って考え方でしょみたいな身も蓋もない批判もここには込められているわけです。プレステ1か? みたいな普通タウンのローポリ風背景もそんな薄っぺらい平等を嘲笑うかのようで毒が強い。
じゃあ本当の平等はなにかと言えばそれは、まぁ、映画を観てもらえればいいが、観てもらわなくてもだいたい分かりますわね。人と違う人を憎んだり恐れたり邪険にしたりしない、自分と違う考えだからと他人の考えを否定しない、そして自分の中の変態性をちゃんと認める、認めてむしろ個性にする、これです。
みんな違ってみんな良い。みんな違ってみんな変態。普通人の皮を被っているそこのあなただって一皮剥けば多少なりとも変態趣味だったり奇人癖があるでしょうまぁ多少は! いいんです、それ、出して行きましょう。出すと言っても局部とかそういうのはパブリックな領域で出されると困りますが…とにかく! そう思えば毒は強いけれども教育的な映画です。ちゃんと最後はハッピーですしね。
87分の短尺もあってあまり大きなお話には発展せず小ネタの連続のようなところがあるが、オリジナル版はシットコムなのでハンド君がそれほど目立った活躍を見せない点も含め、わりとオリジナルを踏襲した作りだったのかもしれない(エンドロールはオリジナル版オープニングのリメイク)。大きく笑うところはないが退屈するところもない。普通タウンの偽善を暴く一方で伝統を押しつけようとする「ファミリー」の重圧に悩む長男パグズリーの姿が描かれたりもするので、なかなか周到。フランケン執事の出自(なのか?)が描かれるのも良し。
まぁ面白いところは色々あるわけですが、なにはともあれウェンズデー、反抗期に入って母モーティシアを困らせるべく普通女子用のオシャレグッズを身につけたりどうせ死なないからと何度も何度でもフェスターおじさんの頭部をクロスボウで貫く鬼畜ウェンズデーは殺人的に可愛かったですッ!
※赤い風船を握ったウェンズデーにそんなものを持つのは殺人ピエロだけよとモーティシアが語るのはファミリーの親戚にピエロの方のイットとは別のイットさん(※全身毛むくじゃらの何喋ってるかわからない人)がいるので、そのダジャレだろう。ホラー映画ネタといえばウェンズデーが『フランケンシュタイン』の蘇生装置を作る場面なんかもあった。
※あと関係ないといえば関係ないんですが『HUNTER×HUNTER』のゾルディック家ってたぶん『アダムスファミリー』が元ネタですよね。キルアの兄貴の使えない方とか。
【ママー!これ買ってー!】
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懐かし枠のギャグ漫画と安易に思われる方もおりましょうが今日の目で見るとその「変態」を特別視しない眼差しに多様性時代たる現代の感性が感じられ、かなり先進的。いや本当に本当に。