《推定睡眠時間:5分》
好きなんですよオークワフィナ。まず顔が面白いし、それからちょこまか動くし、声がハスキーだし、なんかニンジャみたいでイイですよね。そんな褒め方、世の中にあるのかな? 俺はニンジャみたいって人から言われたら超嬉しいですが…。
でそのオークワフィナがついに主演です。まだキャリアの浅い人っぽいですが『オーシャンズ8』とか『クレイジー・リッチ』とかでハリウッドの個性派バイプレーヤー(華人枠)の座を確立、したかどうかは分からないがでもまぁキャラが濃いからなんとなくみんなあーあのニンジャみたいな人ねって感じで覚えてると思いますが今回はニンジャではなくて普通の人の役で主演でした。
いや~身につまされますな~。この映画でオークワフィナ演じるビリー、ニューヨークの安アパートに暮らすフリーター寄りの無職。学芸員を志しているが家に届くのは落選通知ばかり。家賃滞納の常習犯でやばくなってくると実家に金をせびりに行く。金ナシ、友ナシ、三十過ぎて将来ナシ。今回は普通の人なので面白い表情を浮かべるでもなく…俺か! もうかなりマックスですよ。キャラ設定の時点で身につまされ感がほぼマックスでした。
しかし本当の身につまされはここからであってそんなビリーの元に中国の祖母が末期ガンっぽいという話が届く。しかし中国の慣習ではそういう場合に本人にはガンの事実を伝えない。実際にそうなのかどうかは知らないがこの映画の中ではそういうことになっている。っていうんでアメリカに住んだり日本に住んだりしてた一族はババァに楽しく死んでもらうためにビリーの従兄弟ハオハオの結婚式を挙げますよ名目で中国のババァ家に集う。
肝心のビリーはお前感情的なところあるし来たら婆ちゃんガンだよって本人にバラしちゃうだろとか両親に言われて自宅待機を命じられるが納得が行かず独断で中国行き敢行。何がビリーを駆り立てるのか。それはホームであった。幼い頃に中国を離れニューヨークにやってきたビリーは自由の国を満喫しているかと思いきや本質的にはやはり馴染めないところがあって、ニューヨークの冷たい空気に触れては遠い過去に残してきた中国のホームを想うのだ。
だが、ざっくりした憧憬を胸に中国の地に降り立ったビリーを待ち受けていたのは思い出の中で美化されたまぼろしチャイナとは似ても似つかぬ殺風景な高層マンション群にニューヨークの汚いあたりと大して変わらないような商業地区、空気の重すぎる殺伐とした親戚会食と親戚小言、全然めちゃくちゃ乗り気でない現代っ子の新郎ハオハオの中華式大結婚式を強引に総合プロデュースしようとするババァの姿であった…ああ! 身につまされる!
着眼点がたいへん面白い映画で祖母にガンの事実を知らせるか伏せておくかっていうのを中心にアメリカ移民かつアメリカかぶれのビリーの母親と中国在住・中国寄りの親族が対立したりするんですが、これ別に中国じゃなくてもめちゃくちゃあるなと思った。要は都会式と田舎式なんすよね。都会の人は個人主義だから人権とか個人の意志っていうのをなにより大事にするんですけど、田舎の人は個人主義がその人を不幸にする可能性があるなら人権でも自由でもなんでも摘み取ってしまえという考えじゃないですか。もう断言してしまうが。
だからあの微妙な温度の親戚喧嘩を見ていてう~わって感じでしたよ。あるわー。そのめちゃくちゃ面倒臭いやつあるわー。今中国は好景気だから中国戻ってきなよとかいう無神経な善意の押しつけをキメてくるおばさんにビリーの母親がでもアメリカの方が自由だし今の中国と違って金だけ求めてないですからね的なそこまで言うなよな反論をしちゃって米中代理戦争の様相を呈してくるところ、めっちゃ田舎の法事で東京VS地元としてあるやつだわー。
あるわー。そんな両親たちと違ってどの国がナンバーワンとか別に思ってないしどこの国だって良い面も悪い面も当然あるでしょとか冷静に考えてるビリーとかハオハオのどっちの味方をするわけにもいかずただ面倒臭さを感じつつその場で黙って飯食ってるしかない気まずい感じ、あるわー。そんな上の世代の苦労なんかつゆ知らず一人でスマホゲームに熱中してる小学生ぐらいのクソガキ男児、あるわー。
あるわー。ババァともなれば完璧な冠婚葬祭演出家を気取りたくなるので披露宴会場のロケハンに行ってコース料理でロブスターで選んだはずなのにカニになってるのはおかしいじゃねぇかとどうでもいいポイントでしつこくスタッフに噛みつくの、あるわー。あとそのババァとは別のババァの面倒を見てる親戚ババァがキラキラ仕様の野球帽っていうかサンバイザーっていうかなんて言うのか知らないけどあれをいつも被ってるの、あるわー。ハオハオとアイコが事あるごとに「次は子供連れて帰ってこいよ!」って親戚連中に言われるのも超あるわー。あるわー!
それでババァ、独身のビリーには優しいんですけど息子の嫁にあたるビリーの母親には当たりが強くて日本で暮らしてるっぽいハオハオの日本人妻アイコにもあいつバカだし気に食わねぇわとか普通に陰口叩くですけど、こういうのもあるわーですよね。ババァって自分の身内が誰かに取られたって感じると嫉妬隠さないし家族を所有っていう概念で捉えようとするじゃないですか。いやそれはババァとかいうビッグ代名詞で断言してしまっていいことなのかな!? まぁ大抵のババァどうせこんなだからいいでしょ。
もう本当に心から身につまされる法事あるわーの連続。身につまされるポイントは人によって違うと思うのですが俺は妻のいないハオハオに愛嬌のないビリーをミックスしたようなポジションなのでこの法事(じゃないが)めちゃくちゃ行きたくねぇなとか思ってしまった。と同時に笑ってしまった。基本的にはあるわーの波状攻撃で苦笑い不可避な状態に客を追い込む飄々としたホロ苦喜劇でしたね。なんか監督してるのはかなり若い中国系の女の人っぽいんですけど若い人が撮る映画じゃないだろこの小津じみた老成ユーモアから言って。どんな人生送ってきたんだ。
で、まぁ、そういう風刺的あるわーが映画のオモシロポイントではあるんですが、現代中国が舞台というのはやはり映画の核心的なところで、今公開中の懐古調中国ノワール『鵞鳥湖の夜』は2012年の再開発地域を舞台としているのですが、広大な中国のことであるから地域の違いは無視できないとしても、再開発の先に待っている風景というのはたぶん『フェアウェル』の墓石じみた新築マンションとかビル群なのだろうという感じがあるんです。
その風景と、映画の冒頭と最後に出てくるニューヨークの街景は対照的で、とくに最後の場面は不自然なほど画面を作り込んでアメリカのサラダボウルを演出。そこにはいかにもな証券屋っぽい男たちがいて、その傍らにはユダヤ超正統派っぽいジジィがいて、建築作業員もいて、アジア系もラテン系も黒人も白人もみんないる。それは別に中国にもいるだろと言われればそれはそうなのですがこの映画の中ではそういう風にアメリカと中国の対比がされているわけです。
ババァ大好きなビリーはババァの隠し生前葬としてのハオハオ結婚式に参加してこのままババァと一緒に住もうかなってちょっと心が揺らぐ。それはビリーがババァに概念としてのホームを見出したからなんですが、でも生前葬を終えてニューヨークに帰ってくると、ビリーやっぱちょっとホッとした表情を浮かべるんです。で、中国にはなかったサラダボウルの中でホームってどこに住むとか住まないとかそういう話じゃないよなってビリーは思う(たぶん)
冒頭と最後に出てくるニューヨークの場面ではそれぞれ別の仕方でババァとビリーが国を超えて接続されているわけですが、土地としてホームは移民二世のビリーにとっては、あるいは今のグローバリズムの世界には中国にもアメリカにも日本にもなくて、土地とか血縁とかと無関係に人間が様々な仕方で繋がるその場に生まれるのがホームなんだみたいな、そういう主題がこの中国とニューヨークの風景の対比から浮かび上がってくるわけです。
ババァもそこに押し込められた新築マンションというのは象徴的なもので、俺はウーバーイーツでタワーマンションなんかに配達に行くといつも思うのですが、タワマン出入りするだけでもあれこれ手順があって糞めんどくせぇ。俺のウバイー経験上タワマンなんかに住んでる金持ち連中は意外とチンケなファストフードとか頼んだりする率が高いのですが、出入りするだけでもとくの高層階の住民は面倒臭いのだからそれも分かる話だなという気もする。
結局、タワマンというのは定住の概念をグロテスクに具現化したようなもので、お金持ちはセキュリティもサポートも設備も防音性もそれからもちろん専有面積だって万全に違いないタワマンに安住の地を求めたくなるのかもしれないが、実際住んでみれば2019年の台風で武蔵小杉のタワマンに起こったことに端的に表れているように、むしろ定住性の追求が定住の不可能性をあぶり出していることに気付くわけで(気付くのだろうか?)、木造の平屋に住んでりゃ家の外に直置きしたママチャリで近所のマックにハンバーガー買いに行くなんか造作も無いが、タワマン高層階住民がハンバーガーを買いに行くことはそれだけでちょっとした遠征ということになる。
タワマンというか比較的新しいデザイナーズマンションもその傾向が強いが、こういうところのエレベーターに乗ると壁面の掲示物の多さにまったく驚かされると同時に大いに呆れる。騒音の苦情がありましたの貼り紙程度ならまだしも共用部に物を置かないでくださいの貼り紙、電気設備点検のための停電のお知らせ、水道設備点検のための断水のお知らせ、駐車場で発生したなんらかの事案の調査結果、不審人物の対する警戒の要請、ゴミ出しの際の注意点、ペットをエレベーターに乗せる際の注意点、何かがあった際の管理会社連絡先とごあいさつ…こうなるともはや居住というより仕事で、分譲だろうが賃貸だろうが果たしてこんな不自由なところが「ホーム」と呼べるのだろうかと甚だ疑問である。
で、ビリーがニューヨークをホームだと感じられなくなってしまったように(その一因は家賃の催促であった)、おそらくババァも今住んでるマンションを自分のホームだとは思っていなくて、だから一族を集めようとするし、一族を連れての夫の墓参りでは活き活きするし、ババァはどういう間柄なんだかよくわからん謎のジジィと一緒に暮らしたりしているわけですが、それもやはり土地の代わりに人との繋がりの中にホームを求める行為なのだろうと解することができる。
空気激重の親族会食の席では無表情でボーッとしてるだけのハオハオも妻のアイコとベッタリしている時だけは楽しそうである。このふたりが中国語をあまり話せない人なので劇中ほとんど喋らないというのもなにやら象徴的だった。肉声は望まなくても土地と血を背負ってしまう(方言とかイントネーションとか)。だから在米・米国派のビリーの母親と在中・中国派のおばさんは肉声で対立するのだし、中国語も英語も喋れないっぽいハオハオとアイコは暗黒親族法事最大の地雷と思われつつも諍いに巻き込まれないで済むのだ。
ガンをバラすかバラさないかというのも肉声によって告げるか告げないかの話で、おそらく祖母はとっくガンに気付いているのであろうことは、祖母が日課としてやっている体内の邪気を追い払う謎の体操からなんとなく察することができる。重要なのはそれを言葉にするかどうかではなくて、どのようにコミュニケーションを取るかということなわけです。
言語を超えたコミュニケーション、血縁から解放された繋がり、土地に根ざさないホーム、現代中国社会の一側面を通してそういう新しい関係の形式への緩やかな移行を描いた映画なのだと思えば、マァなんとも知的で老成した名作の風格すら漂う…いやぁ、素晴らしい映画でしたね。アッ! もちろんオークワフィナもよかったですよオークワフィナも! オークワフィナ最高! 毎日結婚したい! 恋愛観が小学生。
※ハオハオとアイコの披露宴での酷すぎるデュエットには大笑いさせられるが、それにしても中国語わからん状態で親戚になる予定のよく知らん人らの口喧嘩を受け流したり義祖母からわりと冷たい目を浴びたりするアイコのあの法事ポジション地獄だろ。俺なら絶対帰るのでちゃんと最後まで残ったアイコ神経図太かったです。そういうところに基本的にだらしないハオハオくんは惹かれたのであろう(と、親戚連中の背景を想像して遊ぶことも可能)
【ママー!これ買ってー!】
ところで『鵞鳥湖の夜』でダブル主演の女の方を演じたグイ・ルンメイは台湾の女優さんで、台湾激動の現代史を個人の視点から描き出した大力作アニメ『幸福路のチー』ではタイトルロールの声をアテていた。この映画もまた台湾からアメリカに移住した女性がそこにホームを感じられず、半ばホーム探しも込めてババァの葬式のために台湾に戻ってきたらそこにかつての町の面影はなく…という映画だったのでなんか中国語圏でホーム探しの映画が流行ってるっぽい。
いくつか読んだこの映画のレビューのなかで、いちばん楽しく腑に落ちる文章でした。ブックマークしてほかの記事も読ませていただきます。
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