《推定睡眠時間:0分》
グリコ・森永事件って略したらグリモリじゃん。グリモリ! うわぁ! グリモワールは魔道書の意だから語感がなんか魔術っぽい! キツネ目の男も言われてみれば魔術やってる人みたいですよね! 魔術師だったのかな! 魔術師だったんじゃない? 世界初の劇場型魔術犯罪だったんじゃないのこれ!?
糞みたいな戯言はどうでもいいがなにやらオカルティックとも言える禍々しさを帯びたグリコ・森永事件である。なんなんでしょうね。別に誰も殺されたりしてないし、目的もしょせん金とかつまらないものだし、事件の推移を見てもいちいち杜撰で失敗続きのように見えるし、今ならまず成立しない昭和のいい加減さが生んだ珍事件でしかないはずなのに。
やっぱイメージなんだろうか。キツネ目の男の似顔絵は今見ても不気味である。「どくいりきけん たべたらしぬで」はそのユーモアがかえって悪意を感じさせる。ゾディアックもかくやの新聞文通魔っぷりは類似犯なんかまずいないので奇異な印象を与える。子供の声の身代金要求もまた然り。それぐらいしか情報がないのならそこから犯人像を妄想するしかないわけで、物証に裏打ちされた事実よりも妄想の余地が大きいところには必ず恐怖もつきまとう。
その意味では怖い映画であった。キツネ目の男が結局何者なのかよくわからないからである。その姿は一枚の写真とちょっとした回想の中に現われるだけで、これといって特徴のないぶっちゃけ普通のオッサンである。けれどもそれがおそろしいのだ。おそろしいストーリーの映画ではまったくないので実は、キツネ目の男はストーリーにあまり絡んでこない。脚本家本人も言っているようにこれは最近はやりのヒューマンミステリーというもので、怖いどころかちょいちょい笑えて最後に泣ける系の映画である。
だからキツネ目の男は単なる犯人グループのモブという扱い。だからよくわからなくて怖い。まるで幽霊のようなのです。理由もなく悪い場所に居て、追いかけると煙のように消えてしまう。誰もその正体を語ろうとしないし、そういえば一言も喋っていなかったんじゃないだろうか。モブ扱いだからキツネ目の男にはとくに触れずに映画は終わる。それも謎を残して、という感じではなく、これでいいのだ的なハッピーエンドとして。
その怖さはあまり意識的に醸成されたものではないように思う。というのもキツネ目の男の似顔絵であるとか子供の声みたいなわかりやすくてセンセーショナルなイメージを通してグリコ・森永事件の背景を想像しようとすることを戒めるようなストーリーであったので。真面目なんですよね要は。キツネ目の男の正体がどうのっていう下世話な話題には食いつかない。その真面目さが逆に気味の悪さを呼び込んでいるのだから皮肉ではあるが、そのへん、映画として面白いところでありました。
お話はこのようなものだった。テーラーの二代目・星野源はある日のこと自宅の天袋で昔の思い出が詰まった箱を見つける。わぁ懐かしい。中に入っていたのは昔遊んでたオモチャや写真、あと英語で書かれた謎の手帳とかわかりやすく1984のラベルが貼られたカセットテープ。手帳の方は何が書いてあるのかよくわからなかったのでテープを再生してみる。そこに録音されていたのはかつて日本を震撼させたグリコ・森永事件(※劇中ではギンガ・萬堂事件)の例の子供の声であった。いやこれ俺の声じゃん! 俺の目ってキツネ目だしもしかして死んだ親父って…ということで星野源は声の謎を追うことにする。
一方、在阪新聞社の無気力文化部記者・小栗旬は社会部の古舘寛治からギン萬事件の記事書かへんか的な依頼を受ける。時効も成立してるし今更ギン萬っすか~? と初めは冷めた態度(東京への異動経験のせいである)の小栗旬だったが謎と思われた事件も情報を精査して足で取材するともう時効だしってことで案外ザクザク新事実発覚、なんだか興が乗ってくる。偶然にも同じ事件を別々の角度から掘り始めた星野源と小栗旬。果たしてふたりが掘り出した真実とは…。
面白いところはたくさんあるのですがまず目を引くのはやっぱ画ですよ画。これは非常に特徴的だったと思いますがシンメトリーを多用していて、で、日本映画の美術って生活感を出すために色々モノ置いたりとかしがちだと思うんですが、これは全然モノを置かない。端正で明瞭な画面になっていて、まぁテレビドラマ的といえばそうなのですが、かなりスタイリッシュ。ドローンを使った意外な構図変化もちょっとびっくりしましたね。それがストーリーに合っているかと言えばあまりそうは思えないのですが、単純に目に楽しくてよかった。
それから俳優陣の豪華共演っぷりね。これはすごいですよ星野小栗とかは演技が悪いっていう意味じゃなくてむしろ全然良かったんですけど顔の並び的には別にふーんって感じですけどワンポイント起用も含めて脇を固めるのが宇崎竜童・梶芽衣子・火野正平・宮下順子・佐藤蛾次郎とかです。佐藤蛾次郎はオファー飛ばさないでも勝手に出てくる可能性もあるが他はなかなか集まんないんじゃないすか。集まんないっていうか、2020年の邦画メジャー新作がこの顔並びで勝負してくるとは思わなかったよね。
まぁ題材が題材ですし元から客の年齢層は高めに見積もってるんでしょうが、それにしてもと言いますか。ただこうやって俳優の名前を並べるとなんとなく(映画の中での)事件の真相というか背景が見えるような気がしてしまうというのは困るところだが…。
で、梶芽衣子は声を録音された星野源の母親役なので、その過去というのが必然的に事件にも関わってくるわけですが、この過去の部分がですね…足りない! 140分以上も上映時間あるのにそこに割く時間はほんのわずかで、これはペース配分どうなのよと思ったなー。だって梶芽衣子招集しといてその扱いはねぇじゃんっていうか、梶芽衣子の語りはもっと聞きたいし、そこで語られる過去の持つ意味とか、語りの中に宿る情念は、もっと重いはずなんですよこの映画のストーリーからすれば。
だけどそれがなんか刑事ドラマの最後の方みたいな感じでちゃちゃっと処理されてしまって…そこ結構ガッカリした。途中まですごくイイんですよ。交わることのなかったはずの星野と小栗が別々に事件を独自捜査していくうちに近づいていく過程とかスリリングで。だけど二人の交わったところぐらいがミステリーの面白さとしては頂点で、そこからはグダってくるっていうか、声を使われた子供たちのその後の人生っていう泣かせ系のヒューマンドラマの方向に路線が変わってくるんです。
そうするとやっぱどうしても緊張感削がれるし、なんかヌルくなってくるんですよ、観客を泣かせないといけないから。劇場型犯罪はマスメディアがないと成立しないので最初は新聞報道の功罪っていのがサブテーマとして出てくる。警察の腐敗っていうのも出てくる。その犠牲になった子供たちっていう構図も仄めかす。だから硬派にそのへん追求するのかなと思ったら(序盤は確かにそんな風に進む)そうは進まなくて、最終的に文化部の一記者に過ぎない部外者の小栗がようやく見つけた「真犯人」に向かってあなたはあなたの犯罪がどれだけの人を苦しめたか知っていますかッ! みたいな説教をかますに至って、あーあこれがしょせんメジャー邦画の限界なんですなぁと白けてしまった。
それになんつーか、時効迎えたからってみんなポンポン過去のこと話しすぎじゃないすかね。大体の人は小栗と星野が事件について尋ねると刑事ドラマでお馴染みのお前に話すことはねぇ帰ってくれ! っていうのやるんです。でも星野小栗が頭下げてお願いします! って食い下がると実はねぇ…と話し出す。これもまぁ途中まではタイトルの通り心の中の「罪の声」がそうさせているのだろうと受け入れたが最後までこの調子なのでちょっと捻りがなさすぎないかなぁっていうか、人間の心理を単純に考えすぎなんじゃないかなぁっていうか。
だから面白い映画ではあったんですけど、トータルの印象としてはテレビの2時間サスペンスの拡大版に結局は収まってしまったなぁという感じ。すごい惜しい映画だと思いましたよ。中盤までのトーンで最後までやってたらよかったのにねぇ。日本映画の泣かせの呪縛は強い。善良な観客どもに善良な涙を流させようとするからせっかく面白い題材も腐るが、でもそれで観客も劇場も映画会社も満足みたいだから、まぁいいんじゃないですか。それって結局、劇中で批判されていた「事件の娯楽化」そのものなんじゃないのって俺は思うんですが。
※ただし繰り返しになりますがキツネ目の男は怖くて良かったですし、あと無職のオッサンが重要な役柄で出てくるのですが、このオッサンが無職のオッサンのかけるメガネ(そんなものはない)をちゃんとかけていて、最強に無職のオッサンで素晴らしかったです。本当に無職のオッサンのメガネなんだよレンズのふちになんか茶色い汚れ付いてるし。いやもちろん演技も見事なのですが…でも俳優名を言うとちょっとネタバレになってしまうので沈黙。
※※それと新聞記者たちの醸し出す空気とかはすごいよかったです。ツッコミも達者な社会部の古舘寛治が味わい深し。
【ママー!これ買ってー!】
多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 (サンクチュアリ出版)
アマゾンで「キツネ目の男」と検索をかけたら上から十番目ぐらいに出てきた猫ものの癒やし系エッセイ漫画っぽいやつだが何故「キツネ目の男」で。今ごろパフェとか食ってるんだろうか…アマゾンは何かを知っているのか…!?
↓原作
原作の方を先に見てましたが、原作の方が終盤の描きかたに無理に泣かせようとしてなくて良かった気がします。ただ会話が延々とする話を2時間ちょっとにまとめたのは偉いと思います。
私は原作は未読なんですがよくまとまってるなぁとは思いました。難しいですね。二時間ちょっとに収めるには会話はかなり削らないといけないし、削るとどうしてもこぼれ落ちてしまう感情の機微なんかもあるでしょうし。この題材なら前後編に分けて4時間とかで観てみたかった気もしますね。
びっくりしましたが、似た感想をもちました。
私も後半が脚本に無理あると思いました。
特にテイラーの母親。
父親の自殺で警察に怒り→学生運動→下火になってあっさりやめる(父親の自殺への思いどこいった?)→急に社会への怒りに目覚め犯罪に加担(もはや父親の自殺を招いた警察への怒りと全然関係ない)→あっさり警察への怒り収まる⁉︎
この辺ヤバくないですか?
私は原作も読んでましたが記憶が薄くなっていたので、後半はこんな話だっけ?って思ってました。こんな感動話っぽかったかなーと自分の記憶を疑っています。
あのへんヤバかったですよねぇ。なんか火サスの断崖絶壁で犯人告白シーンみたいな、怒濤の回想で全部済ませてしまうという…たぶんそこらへんは原作だともう少し心情とか事情を細かに描き込んだりしてると思うんですけど、たしかこれTBSかなんかが作ってる映画だったと思うので、万人受けするようにある程度シンプルな勧善懲悪ストーリーにしてねっていう暗黙の要望みたいなものがあったんじゃないでしょうか。そこが残念でした。