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世にはたとえば松田優作の『ア・ホーマンス』みたいな「ナメてたあいつが○○○○」とかいう映画ジャンルが存在するわけですがこのタイプのナメてたあいつはおそらく初めてではないかと思われるので面白いことを考える人もいるものだなぁと思う反面バカじゃねぇかトロマ映画じゃないんだからと良い意味であくまで良い意味で思いました。
しょうもないなこれはー。しょうもない与太話だよー。まぁでもトロマ映画と違うところはですね基本的には頭の良い人が作ってるので本当にしょうもないところは慎重に回避してバカバカしくもインテリジェンスの香る風刺劇になってるところですよね。そこはちょっと狡いんじゃないかと思いましたけれども理由はネタバレが絡んできてしまうので後述するとして、どんなお話かと言うと! …言うと!
そんな別にね大した話とかないですよ映画が始まるといかにも悪そうなリベラル白人がLINEみたいなやつのグループチャットで2020年11月5日現在絶賛渦中の人である人のことだと思われる大統領をディスったり底辺貧乏白人をコケにしたりして嗤ってるんです。なんて嫌なリベラルども! しかしコケにしているだけなら大統領選でトランプを再選させて吠え面をかかせてやればいいがどうもそれでは済まなそうである。いかにも悪そうなリベラル白人がうっかりチャットでこうこぼす。「週末はマナー(領地)で底辺白人ども狩り! たっのしみー!」
うーんそうか、マナーって領地っていう意味の英語だったんだなぁ。Netflixドラマの『ザ・ホーンティング・オブ・ブライマナー』は呪われたブライ家のお屋敷にやってきた家庭教師のお話だったが、ブライ邸の呪いを意味するタイトルなら文末のマナーは一体なんなんだろうと…思っておりましたが謎、氷解しましたね。ブライ領の呪いという意味だったのだなぁ。そうかそうか、そういう意味か。巧いねっ! ブライ「邸」ではなくてあえてブライ「領」の呪いになんですよ。これはドラマを観た人なら膝を打つところではないかと思…ちがーう!
そうですこのリベラル白人どもはなんと非道にも貧乏白人を拉致してきて広大なマナーで人間狩りゲームを行っていたのです! この腐れリベラルめぇぇぇ! 圧倒的不利な状況に置かれてなお懸命に戦う勇敢な貧乏白人12人であったが相手は金に物を言わせた外道リベラル! ゲームを面白くするために武器は与えられたが昔のスラッシャー映画で処女が絶対正義だったように今のハリウッド映画はリベラルが絶対正義だから勝てるわけがない…哀れな12人の怒れる貧乏白人は一人また一人とバカみたいにあっけなくはらわたとかぶちまけて惨死していくのでした。やべー超おもしれー。
ここから先は鬼畜リベラルのマナーです。立ち入った人間は人種国籍を問わずみんな貧乏白人扱いされてネタバレ爆弾で四肢が四散しますのでご了承下さい。
というわけでここからは俺のマナーなので未見勢なんか一顧だにしませんが『ア・ホーマンス』を引き合いに出したからって「ナメてたあいつが○○○○」の○○○○に入る言葉がロボットだと思っていたそこのお前! お前がいったい世の中に何人いるのか知りませんがまんまと騙されたな! 『ザ・ハント』のナメてたあいつはロボットなんかではない! 陰謀論者だ! ナメてたあいつが陰謀論者! うーん、バカ! バカだけどあるめっちゃリアルにあるなそれ!
すごいっすよね鬼畜リベラル金持ちどもが秘密のマナーで底辺白人の狩りを楽しんでるっていう陰謀論をシェアしただけの素朴な人たちが実際にマナーに放り込まれて制裁的にぶっ殺されまくってしかもそのマナーは元々単なる鬼畜リベラル金持ちどものLINE上での悪趣味な冗談だったのに外部に流出したことで陰謀論としてネットに拡散して会社が炎上しちゃってその会社側からお前ら悪ふざけのせいで炎上したじゃねぇかっつってクビを切られたリベラル金持ちどもがそんなに陰謀論が好きなら作ってやんよってことでアメリカ映画の中では人を殺しても罪に問われない場所ということになっている東欧に作られたニセモノなんだけど結果的にホンモノになっちゃったマナーであったっていうね、どんなシナリオだよ!
陰謀論のネタになるような不愉快で無配慮な内輪発言をしてしまうリベラル金持ちもリベラル金持ちがムカつくからってスーパー安易にネット陰謀論に乗ってしまうアンチ・リベラルもどっちもダメですよそんなことしてるとそのうち痛い目に遭いますよというおとぎ話のような映画であるが作ってる方は人でなしサスペンス『コンプライアンス 服従の心理』のクレイグ・ゾベルなのでおとぎ話的な温かみ皆無。
とにかく片っ端から人が死ぬ。殺される方と殺す方が合わせて20人ぐらいいる集団戦なので映画館座ったら5分で死体! 5分に1回殺せば20人で100分、映画の尺はエンドロールを入れて89分だから実際にはもうもっとポンポコ死んできますよ。酷いっ! 殺す方も殺される方もどっちもろくでなしだから誰がどう死んでも別に構わない感じがなお酷いがそのように受け取る観客の方も酷い。
まぁでもですねそこは頭の良い人が作った映画なので本気で喧嘩売ってる感じにはなっていないというかこれは殺される側が陰謀論者ですから畢竟主人公も陰謀論者ということになるわけですがこれが実は、人違い、と主人公本人は語る。陰謀論が金持ちリベラルをぶっ殺す爽快な映画だったら良識ある観客どもは感情移入できないですからね。とくにリベラルな観客は。
貧乏白人の陰謀論者だったら殺してもいいということはないが人違いで人を殺しちゃったら金持ちリベラルの偽善も露わになるということで、お観客様は可哀想な人違いの人に感情移入してその人がランボーかセガールかという超絶反撃を金持ちリベラルどもに食らわせることで溜飲を下げるとこういう仕組み。狡猾だよねー。ストレートに陰謀論者ヒーローもしくはヒロインが戦う映画にはなってないわけですよ結局はねー。
でも俺はそれ嘘じゃないかって思うんですよ。主人公のベティ・ギルピン、すごいクセのある神経症的な演技をしてて素晴らしいのですが、この人は自分がこうと思い込んだら敵だろうが味方だろうが躊躇わずにその場でぶっ殺す(超爽快である)。人狩り用のマナーっていう異常な場のせいもあるがそうだとしてもこの人は尋常ではない、というのはこの主人公を立てるためにモブ死していく常識的な陰謀論者の主人公候補たちと比べれば明らかだ。
たぶん他の陰謀論者、あんま本気の陰謀論者じゃなかったんじゃないですかね。陰謀論を娯楽的に信じている感じで、猫動画をシェアするぐらいの感じで陰謀論をシェアしてるような人たち。実は案外底辺という感じでもない。要はそこまで現状に不満でない。でも主人公は違うんです。金がないから兵隊になってアフガンに派兵されたこの人は本気でテメェの手は汚さねぇ金持ちリベラルどもをいつかこの手でぶっ殺してやりたいと思ってたんです。だからネットでたまたま金持ちリベラルどの偽善を暴く恐怖の人狩りマナーゲート陰謀論を目にした時にはカーッと噴き上がったんじゃないですかね。
ある意味、本気でマナーゲート陰謀論を信じてたのはこの人だけだったんですよ。本気で信じてたからマナーの中で躊躇なく金持ちリベラルをぶっ殺すことができたんです。そう思えばなんで絶体絶命のマナーでどうしてこの人だけ生き残ることができたかっていう説明になりません? まぁ、その説明は劇中ではされないので真相は観客の陰謀論的妄想の中にしかないわけですが!(俺の妄想の中では鬼畜金持ちリベラルのリーダーであるヒラリー・スワンクも貧しい家庭の出身で苦労に苦労を重ねてようやく築き上げた大企業の偉い人の地位が自分よりも努力していないように彼女の目には映ったネット陰謀論者たちによってアッサリと覆ってしまったことで超逆ギレしてマナー実装計画を思いつくと同時にかつての自分のような境遇を主人公に見てある種の百合的に彼女をマイ・ターゲットにした…ということになっているが、これらはすべて俺の妄想であると念を押しておこう。念!)
殺しはいちいち漫画みたいだし人命が人生ゲームの車に乗ってるピンよりも軽いバカみたいな映画ではあるがマナーの近くには難民キャンプがあってそこで難民たちが明日をも知らぬ過酷な生活を余儀なくされている…というシーンはリアリズムのタッチで、そのシーンが意味するものは金持ちリベラルも陰謀論者も等しく自分たちのことしか考えてなくて、テメェが殺し合って遊んでる横で死ぬほど苦労してるやつがいるんだよ! ということだろう。
そのへんにアザラシの脂肪レベルに分厚い人でなしバカジョークに覆われた映画の核があったのではないかと思った。死闘を制した主人公は家に帰るために金持ちリベラルが別荘の庭に停めておいたプライベート・ジェットに乗り込むと金持ちリベラルどもは決して人として扱わなかったキャビン・アテンダントに一緒に座って飲もうぜって言う。思想がどうとか信条がどうとか色々ありますが人間やっぱりお互いを尊重することが大事ですね。
君たち! やれバイデンだのやれトランプだのと騒いでいる君たち! やれ差別だのやれ不正だのと相手を罵っている君たち! そんなことばかりしていると君たち全員まとめて人狩り地獄に堕ちて惨死するぞ! そうなりたくなかったらお互いを尊重し自分ばかりでなく他人を思いやりなさい! 肉片はたくさん飛び散りますが案外、道徳的な映画であった。
※あと冒頭の「ホラー映画の主人公っぽい属性の人」が次々とくたばっていく『スクリーム』的なメタホラー展開は人を食っていてよかったです。ものすごく意味ありげに出てくるが結局たいした意味はない鍵とか、武器とか。ジャンル映画ファンをおちょくっている感じである。わっはっは大笑い。
【ママー!これ買ってー!】
貧乏人は『動物農場』なんか読まないに違いないと見下していた金持ちが死ぬ映画なので読書は貧者の武器。
先日本作を見て、前半のゲーム的バッドエンド感の繰り返しとラストの一騎打ちの、そこはかとない呑気さが気持ちよかったんですが、一つ気になる点があってラストバトルの直前ベティ・ギルビンが「ベートーヴェンは聞き飽きた」って言うんですが、流れてる曲はモーツァルトなんですよね。これが単なる凡ミスか否かで結構いろいろ変わってきますよね。ピアノ協奏曲なんて(少なくとも門外漢には)マイナーな曲なんで、凡ミスなら「そこまで知ってるベティ・ギルビン」と言う描写にしたかった訳ですし、わざとならやっぱり「知ったかぶりのベティ・ギルビン」という事になる訳ですから。
なるほど…俺はベートーベンもモーツァルトもわからないんでアレなんですが、文脈というかあの人の出自からすると知ったかぶりっていうよりは文化の貧困の中で育ってきた人の精一杯の虚勢っていう感じなんじゃないでしょうか。これがどの程度の予算規模の映画かは知りませんけどまぁ最低予算だとしても日本映画の超大作レベルの金はかかってるので凡ミスというのは(家のコルクボードに貼られた写真を仕掛け的に用いる演出の細かさなどを見るに)考えにくいですし。
あのキャラクターは余裕の人では決してないんですよね。とにかくずっと精神的にギリギリで、弱みを見せたら負けるっていうのが貧しい生育環境で肌に染みついているので、ベートーベンの下りもそういうストリートの論理で反射的に出た、っていう意味合いの台詞だと思います。狙った台詞ではなくて本来はベートーベンの曲をちゃんと合わせるつもりだったものの、ポスプロ中のちょっとしたミスとか気まぐれでモーツァルトを合わせてみたら思いのほかシーンにハマったので解釈変更、とかありそうな線ですけど。