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土蜘蛛というのはもともと大和朝廷に従わんかった地方豪族の蔑称であったが後代になると蜘蛛っていうぐらいだから蜘蛛でしょって感じのカジュアルさであったかはどうかは知る由もないが人から化物に妖怪変化、源頼光の英雄譚にもファンタジックに取り入れられたのであった。かわいそうな土蜘蛛。それにしても今でも人を虫ケラとか言って見下すこともあるわけですから人間の発想なんて進歩しないもんですね。むしろたかだか蔑称なのになんとなく詩情を出してきた大和朝廷の人の方が悪口センス的には進んでいたかもしれない。
宗教の影響力が比較的弱い日本でもこんな風に中央への従属や一方的な文化の刷新を拒む土着の人々を空想的に怪物化したりしてきたのだから宗教と社会構造が分かちがたく結びついているような文化圏では土蜘蛛どころではない。宇宙を創造した設定とかの大物神様でもひとたび別の神話世界を持つ民族に侵略されるや神格が貶められて侵略者の神話世界の中で倒されるべき悪神になったり知恵なりなんなりはあったりするが権力はない無害かつ便利な神になったする。
このような土着神話の支配神話への組み込みは侵略を正当化し統治を円滑に進める役に立った、とオカルト事典の古典的名著『魔法 その歴史と正体』には書いてある。おそらくこれを最も容赦なく体系的に行ったのはやはりキリスト教でしょーっていうわけで今日まで語り継がれるキリスト教世界の固有名を持った悪魔というのも元を辿ればだいたいどこかの偉い神様なのであった。豊穣神バアル・ゼブルから転化した蠅の王ベルゼブブとかはその代表格である。
『ウルフウォーカー』、そういう映画でした。歴史知識は完全にあれなのであれですが舞台は中世アイルランドの城塞都市、イングランド人が入植して作ってイングランドすごいんだぞー土人どもは偉大なるイングランドのために畑でも耕してろーって地元の野蛮人たちを半奴隷的に使ってるところです。なにがイングランドだこのやろーばっきゃろー…と思いつつも武力にモノを言わせたイングランド人に直接文句を言うとめちゃくちゃ怒られるので地元の人たち面従腹背。
その鬱憤は奇妙な噂話として表われるのであった。すなわちウルフウォーカー。城塞都市の周りの森には狼がたくさんいて開墾と領土拡大を狙うイングランド入植者は手を焼いているが、実はその狼群団を率いる狼人間ウルフウォーカーが森の奥深くには住んでいて、たまに現われては傷ついた人間を魔法で癒やしてくれたりするのだという。
この頃にはアイルランドはカトリックの国であったから地元の人たちにとっても狼人間なんか異端・異物。けれどもイングランドの圧政の中で被支配者たちはキリスト教の外部にあってキリスト教以前のアイルランドを想起させる狼たちとウルフウォーカーに癒やしと救いを求めたのだ。
でイングランドからの入植者で狼ハンターの父に憧れる主人公の女子ロビン・グッドフェローちゃんは森の中でそのウルフウォーカーにトトロ的遭遇、果たしてどうなるやら的な感じになるのですが、この命名、イングランドの民間伝承には家の手伝いをしてくれる便利な妖精が何人も存在するが(都合の良い国である)、ロビン・グッドフェローもその一人。もはや懐ゲーの『ペルソナ2 罪』では防空壕のダンジョンに出てくる妖精悪魔でしたな。合体で作った時の台詞がカワイイ。
映画の中のロビンちゃんは妖精じゃなくて普通に人間なのですがなにもなんとなくでこの名が付いたわけでもなかろう、というのも狩人志望のロビンちゃんは女は家事が仕事だろっつって掃除とか洗濯とか嫌々させられるからなのですが、じゃあそこにどんな含意があるかといえば、俺はですねこれは二つのシンクレティズムの話だと思ってて、土着の文化を劣ったものとして悪魔化するキリスト教の統治的な押しつけシンクレティズムに対して、ロビンちゃんの名はそれ自体がキリスト教由来じゃなくてイングランドに土着のものなので、土着文化同士の平等で融和的なシンクレティズムの可能性を暗示しているのだと思った。
ストーリー展開の面で『もののけ姫』の影響はすごく感じる映画なんですけれどもその意味では似て非なるお話。『もののけ姫』は日本の近代はこうして作られたっていうお話じゃないですか。そこに色んな層が重なって複雑に絡み合ってはいても根底にあるのはアニミズムだから、妖怪が出てきたらその妖怪は純粋に妖怪っていうか、自然の権化としての妖怪で。日本人は自然をぶっ殺して文明化してきたんだっていう話になる。
でも『ウルフウォーカー』の妖怪…ウルフウォーカーは起きてる間は人間で寝ている間だけ狼になる半人半獣っていう特性からしても自然の権化って感じじゃない。パンフレットの解説を読んだら実はこれ島ケルトの伝承にある妖怪ではなく、アイルランドにキリスト教を持ち込んだ聖パトリックという人が悪いことをしたら寝ている間に狼になるぞと野蛮アイルランド人たちを戒めるために作り出したものらしい。だからこれも一種の土蜘蛛。文明が発展する中での人間と自然の衝突を描く『もののけ姫』に対して『ウルフウォーカー』は自然を媒介にして文化と文化の衝突を描く。
自然と人間が平和的に共存するのはまぁ自然の方は人間みたいに自分の思ってることを喋れませんしわりと限界ありますが、文化と文化なら必ずしも敵対的な形を取らずに交わることはできるかもしれない。時代も国境も超越した森の中で、夜に見る夢の中で。なんか、ポストコロニアル的なおとぎ話って感じすね。
などとね、まぁ、賢ぶって書くわけじゃないですか。はいそれ完全後から考えたこと。もう観てる間はそれどころではないですから。いや~参ったね~これは~。すさまじい、すさまじいとさえ思いましたよ。爆発的にエモーショナル。後半は涙腺がアントニオーニの『砂丘』のラストでピンク・フロイドが流れるシーンみたいに爆発してましたね。その迂遠な喩えはなんなんだよ!
違うんですよいわゆる「泣ける」映画だからじゃないんですよ。確かに泣けるストーリーではあるんですけどそれ自体は比較的よくあるもので、そこに泣いたっていうよりも…絵がとにかくすごくてですね、町はクレーの絵画みたいに抽象化されているし人物は太い描線でコミック的にデフォルメされているし森に入るとここはドローイング+グラデーション豊かな水彩…とシーン毎にタッチを使い分けてるわけですが、最初は別々のものであったこれらが終盤にはお互いに侵犯し入り混じり混沌の中でドローイングの線はケルト文様に変容し人間は狼に変容し夢は現実にあるいは現実は夢に変容し、中世であったはずの世界はマンガ的コマ割り(※カット割りではなくスプリットスクリーン)で分割され、墨で画面上下は塗りつぶされて劇化され、過去と現代の境も消え…これこそ融和的シンクレティズム!
映画のメッセージがこう力強く、大胆に、言葉に頼らずあくまで絵で表現されてしまうとそれはもう涙腺決壊しかないでしょ。こんなの見せられたら繰り返しが多くてやや冗長な展開さえ神話的な表現として肯定的に捉えてしまいます。神話、基本的にどこの国でも同じことを何度も反復しますからね。っていうかあえてその線を狙ったんじゃないかと思いますよこのシナリオを書いた人は。
反復の中で徐々に様々なものの境界線が消えて祝祭の空気が醸成されていく…終盤の「劇」の場面でのまさしく劇的な支配者/被支配者の関係性の反転は鳥肌ものだったからねー。こういうのが現代劇の多くが捨てた反復の作用ですよ。『ウルフウォーカー』はそれを拾い上げて分断を乗り越える行為として蘇らせたんです。もうこの決断(があったのかどうかは知らないが)にも泣くね。一歩間違えば退屈に陥る危険を冒してまで神話の越境力、神話の融和力を現代に示そうとしたんですたぶんきっと!
言うまでもなく都会派ロビンちゃんとウルフウォーカー娘のメーヴ(これも神話由来の名前らしい)の交流も感動的に愉快であるし、パパ・グッドフェローの苦難と恐れもたいへん切実に胸に迫ってくるわけですが、そんなものはいくら書いてもしょうがない。とにかくね、文化の積み重ねと混じり合いの産物として歴史を捉える深い洞察、現代の文化の衝突状況に対する強烈なメッセージ、緻密にして奔放な絵が呼び起こす高揚、一見それと相反するような親しみやすくて優しい世界観、それに走るとか跳ぶとか原始的なアクションの快楽…が渾然一体となった爆発的な傑作。
俺は映画でも音楽でも小説でも傑作っていう形容はあまりしたくないんですけど、実際傑作なんだからそうとしか言えないんですよ、こういう映画は。
【ママー!これ買ってー!】
『ウルフウォーカー』を作ったアイルランドのアニメスタジオ、カートゥーン・サルーンのヤバさを世に知らしめた「ケルト三部作」の第一作(『ウルフウォーカー』がその最終作らしい)。娯楽性では『ウルフウォーカー』よりだいぶ劣りますが動く絵本としては超絶。
2020/11/11 追記:日本公開はこっちが先だったので勘違いしてましたがこれはケルト三部作の二作目で一作目は『ブレンダンとケルズの秘密』らしい。
最後の作品はケルト三部作の第2作目です、『ブレンダンとケルズの秘密』が1作目
あ、日本での公開は逆になったんですね。直しときます。どうもです。
ブログ主様のおっしゃる通り、素晴らしいアニメでした! プリキュアだけで満足してたらいかんな、と反省しきり。
エンピツみたいな手書きっぽい部分かなりもあって『ホーホケキョ となりの山田君』で金と時間を投じて追求されてた水彩画っぽさも、現在ならわりと容易に実現できるのかもしれないですね。
ちなみに、吹き替えで見たんですが、子供の声が達者な演技だったので、大人の声優かと思ってたら違くて、10歳くらいの役者さんで、それにも驚愕。
ピンカーの言うように、世の中良くなっていってることを実感しました!
カートゥーン・サルーン作品って吹き替えもいいですよね。『ソング・オブ・ザ・シー』の時は中納良恵の歌吹き替えが話題になりましたし。