《推定睡眠時間:0分》
アニメーション監督ギンツ・ジルバロディスの一人映画という触れ込みをどこまで信じていいのか知らないがエンドロールには制作会社かなんかのロゴを除けばギンツ・ジルバロディスの名前しか載ってなかったので、少なくともエンドロールに載せないといけないくらいの役割は全てギンツ・ジルバロディスが一人で担っていたんだろう。塚本晋也の映画のように延々と監督の名前が載るわけでもなくロゴと「監督:ギンツ・ジルバロディス」の文字が出てエンドロール終了。世界一短いエンドロールではないだろうか。
一人映画の良さといえば作家の脳内ビジョンを可能な限りロスなく出力できるという点がまず考えられるが、『Away』が面白いのは登場人物もまた一人なので、どこだか知らん島にどうやら飛行機事故によって逢着したらしい主人公が生きるために数々の試練を完全無言で乗り越えるというストーリーが、単独で映画を制作する行為とメタ的に被ってくるところだった。
正体不明の幻影的な黒い巨人に呑み込まれそうになった主人公はひとまず近くにあった砂地のオアシスに逃げ込む。理由はわからんがそのオアシスには巨人は入ってこようとしない。しかしたったひとつの出入り口から立ち去ろうともしない。オアシスには果物とかはそこそこあるから居座り続けようとすればできるだろうが、それは巨人に怯えたまま迎える誰にも知られぬ孤独な死を甘んじて受け入れるということを意味する。
というわけでオアシスで手に入れた数々のアイテムと可愛いだけでマトモに飛ぶこともできないが可愛いのでそれだけでいい単に可愛い黄色い鳥をリュックに入れて主人公はオアシスから旅立つ。狭い安全地帯の中で退屈にして孤独に死ぬか恐ろしくとも勇気を振り絞って自由で広大な危険地帯に旅立つか。映画製作の現場に黒い巨人がいるかどうかは知らないが、創作を仕事にしようとする人の心境というのもわりとこんな感じなんだろうというところがあるのだ。
ところでこの黒い巨人というのは宮部みゆき絶賛の(それもまた古いな)名作ゲーム『ICO』に出てくる影みたいな敵と『ICO』ディレクター上田文人の代表作的なオープンしないオープンワールドゲームの『ワンダと巨像』に出てくる巨人を合わせてカオナシ属性を与えたような感じで、なんでも本人は宮崎駿と上田文人のファンを公言しているらしいが、これが日本人向けのリップサービスではないことはまぁ映画の内容から言って間違いなかろうというか、ジブリ感もないことはないのだが鑑賞感覚としてはなんだか上田文人ゲームのプレイ動画を観てる感じなので、ガチ勢の作った「俺の上田ゲー新作」っぽさが漂うのであった。
上田ゲーがそうであるように『Away』もお話はひたすらシンプルでとにかく、走る。オアシスで島の地図とバイクを手に入れた主人公くんは(余談だがこの一連のアイテム取得課程はめちゃくちゃゲームのチュートリアルっぽく、ついでに言えばちょっとだけ『メタルギアソリッド3』っぽかったので、なにも和ゲーばかりやっているわけでもないだろうがゲーム超好きなんだろうなという感じなのだった)地図に描かれた岸辺の町らしきものを目指して山あり谷ありの行路を往く。
オアシスから出ちゃったのでゆっくりとしかし確実に巨人は近づいてくるのだった。表情のバリエーションがゼロな主人公の心情を代弁するのがこの死の巨人であり、最初はただただ巨人から逃げることしかできなかった主人公は次第に巨人に立ち向かったりするようになる。巨人と主人公が最後に取る行動が同じなのはその逃避と対峙を通じて主人公が内なる巨人を克服したことを意味するのだろう。ただただ走り続けてるだけなのに、むしろその行為の反復が主人公の葛藤や恐怖や怒りや孤独を詩的かつ雄弁に物語るあたり、シンプルな行為の繰り返しからドラマが生まれる上田ゲーっぽいところだ。
んで、一人映画ですからこの島には技術的にオッケーな限りでギンツ・ジルバロディスさんの「これだろ!」っていうファンタジックエリアがたくさんあります。鏡の湖のシーン、綺麗だったね~。夢の井戸のシーン、不思議だったね~。底の見えない谷にかかるボロ橋のシーン、ある意味フリードキン版の『恐怖の報酬』だよね~。人のいない静謐な異界の風景はどこもたまらなく魅力的である。
そういうファンタジックエリアを主人公は島のそちこちに建てられた里程標代わりの(?)半円ゲートをくぐって移動していくのですがこれがたいへんよいのです。バイク駆ってゲートをくぐる時の得も言われぬ高揚感ね。くぐるたびに越えたぞ! 越えたぞ! ってなる。『パイロットウイングス』じゃないんだから…でもそういうシンプルな行為とか絵面がやっぱり面白いし、予算的・技術的制約を逆手に取った平面的なローポリ映像世界の中で、例外的に立体的に描かれたゲートをくぐる瞬間というのは強烈なのだ(カメラもダイナミックに動くし)
あとビジュアルが独特な映画ではありますが音の演出も素晴らしい映画で、静と動とか自然音と劇伴の切り替わりがエモーショナルでドラマティック。台詞の一切ない映画だがむしろ台詞がないことで緩急自在な音の演出が際立っているのでこれも考えたものよね。主人公の無表情も中途半端に表情作るくらいならオール無表情の方が飛行機事故と孤独で壊れそうになってる人っぽくない? みたいな逆転の発想を感じるし、映画館の客席に座布団置いてあったら拍手の代わりにたぶんぶん投げていた(スクリーンを傷つけると損害賠償を食らう可能性があるので物を投げるのは絶対にやめよう)
『ワンダと巨像』みたいな上田ゲーはプレイヤーのストーリーを進めたい欲求と勧めないでずっとこの世界に浸っていたい欲求の綱引き自体がひとつのゲーム体験になるという仕掛けがあるが、可愛い動物も可愛くない動物も目めっちゃ怖くて死ぬ動物もいっぱい出てくるし、『Away』もずっとこの静かで美しい世界に浸っていたいな~感と、でも主人公には人間社会に無事辿り着いて欲しいな~感がせめぎ合って、いやまぁなんとも見事な、娯楽映画としての設計と作家の詩情が高度に融合した一人アニメ映画であった。
※あとエンドロールが短すぎるので日本公開版には日本の配給宣伝とかに携わった人が載る日本版エンドロールというのが付いてくるのですが、曲が映画の世界観と合ってなくて不意打ち的余韻破壊を食らったので、単館系アートアニメを少しでも多くの人にアピールしたいという気持ちは大変わかりますが、載る人数的にもそこまで多くないのでイメージソングはイメージソングとして映画とは別のところで使って、日本版のクレジットは単に黒地に白抜きで列挙とかで良かったんじゃないかな~とか思います。っていうかクレジット人数に比して曲が長すぎるので一分ぐらいダイジェスト映像流してるだけですしね。
※※ところでラストについてですが俺はあれは主人公が巨人が象徴する死の恐怖と諦めを乗り越えたということが重要だと思っているので、あの先になにがあるかはおそらく大したことではなく、乗り越えることができたんだからこれから何があっても大丈夫、という意味だと思ってます。
【ママー!これ買ってー!】
巨人の倒し方がそれっぽいし全体的にそれっぽい。