《推定睡眠時間:10分》
一作目を観てないのでコロッセオみたいなところで行われるハイパーSASUKEとヴオォォォ的な歓声を上げながらのハイパーSASUKE鑑賞以外に何もやることがない極限の脳筋女蛮族どもが集っているワンダーウーマン島の様子を見て大丈夫かと不安になってしまった。大丈夫か。確かに俺は強い女の人は好きですがいやでもこういうことじゃないっていうか…なにここ? その衣装センスなに? その文明なんなの? そんなバカげたものを皆さんお待ちかねの的に映画の冒頭で見せられても。ダセェどころじゃないと思うが普通にカッコイイものとして撮ってるしな。
その間に何があったのかは一作目を観てない俺にはわからないが冒頭のワンダーウーマンSASUKEが終わると話は一気に飛んでDCユニバース内のアメリカ1984年。なんか知らんが普段は考古学者とかやってるらしいガル・ガドットのワンダーウーマンがスーパーマン的なポジションで街の悪党とかを退治してる。カルチャー鮮度彩度が度を超して目が痛いこの煌びやかなアメリカ80年代! だ、ダサい! これは…これは圧倒的にダサいぞ! 大丈夫か!! この映画本当に大丈夫なのか!!! 新コロ禍に見舞われハリウッド大作が軒並み公開延期に追いやられた2020年の掉尾を飾るハリウッド大作がこれで大丈夫なのか!!!!
あのね結論から言えば超大丈夫でしたしむしろ今これを映画館で観ないでどうするのみたいなドンピシャ感があって最高でしたね。たぶんこのドンピシャ感にどれぐらい価値を見出すかっていうのがオモシロ派と微妙派の分かれるところなんだろうな。俺ぶっちゃけワンダーウーマンどうでもいいんですよ。だってバカみたいじゃないですか。軍用車両の列を瞬足で追っかけて裸足マッドマックスを繰り広げるあたりの絵面とか笑っちゃわないですか? そのくせ強さがなんか中途半端だし。ガル・ガドットの彫像的な風貌も面白味がなくて嫌いですしね(身も蓋もない)
やっぱヒーロー映画っていうとそのヒーローになりたいかどうかとか友達になってみたいかどうかとかっていうの結構観る側が無意識的に重視するところだと思うんですよ。俺ワンダーウーマン、どっちでもなかったわ。別に自分でなってみたくもないし友達になりたくもない。だからワンダーウーマンの死んだ恋人とかが出てきてロマンティックな感じになる場面に結構尺を割いてたりするんですけど、そういうの心底どうでもよかったですね。ワンダーウーマンの映画なのにワンダーウーマン周りのシーンになるとあ~ワンダー編入っちゃったか~みたいになったもん。
でも超面白かったのはこれがワンダーウーマンというよりドナルド・トランプの映画だったからで、つくづく思うのですがみんなジャンル映画を真面目に観すぎ。真面目というのはつまり作品を現実社会や私事から切り離して作品単体として観たり評価するということで、この作品はこれこれこういう設定になってるんだからそこにツッコミを入れるのは無粋だろとか…これは○○をモデルにしたキャラかもしれないけど○○という名前ではないからはそれ以上の意味はないんだとか…なんかそういう感じで作品の解釈材料を作品の中で描かれたものだけに限定しようとする純粋主義的な風潮があるじゃないですか。
でも映画は社会の中で作られるものなんだから社会から独立した、いわば社会のノイズが入らない映画というのは普通に考えてあり得ないですよね。で、それを観る観客はどんなに客観視してるつもりでもみんな違う人間なんだから鑑賞体験に主観が入らないわけないですよね。だから映画なんか実社会と自由に繋げて好きなように主観的に解釈したらいいじゃんと思うわけで…だいたいそっちのが観ていて楽しいだろうとか思うのですが…ともかく、そういうわけで『ワンダーウーマン1984』は俺にとってトランプの映画だったわけで、もちろん今後いろんな界隈からこのヴィランがいかにトランプかという評論が出てくるに決まっているにしても、こんなにトランプ激推しの映画なのに俺の観測した範囲ではそのトランプ性に喜んでる観客がほとんどおらず、なんてつまらない映画の見方をしているのだろうと…まぁ映画をどう観るかは人それぞれですからね! はいもうフィルマークスで観た感想の悪口とか言わない!
いやぁ、トランプ、輝いてましたね。映画の中のトランプはマックスという名前の虚業家なんです。80年代だからまだ肌もツヤツヤ。でも仕事はボロボロ。テレビ用に作ったスーパービジネスマンのキャラで俺を信じれば大金持ちになれるぜと一口石油投資を呼びかけるも実態はほぼほぼ詐欺で、ここ掘れば石油出るぞ計画は科学的根拠がなかったので結局どこからも石油出ない。まんまでしょ。トランプもテレビに出るときはビジネスエリート大富豪のキャラで売ってますけど本業の(だった)不動産ビジネスはことごとく失敗してますからね。
2016年の大統領選もその頃にはもはやこちらが本業だったタレント業が微妙になってきたから宣伝のために出たもので、まさか大統領に選ばれるとは本人さえ思っていなかった…かどうかは本人以外知りようもないが、幾度となく訪れた破産の危機をトランプが舌先三寸でサバイブしてきたのは時と場合に応じてコロコロ発言を変えることで相手を翻弄するトランプ外交からすればさもありなんという感じはする。で、このマックスというトランプの映画的戯画もそんなような男なわけです。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の80年代的未来世界に君臨する悪役ビフ・タネンがトランプをモデルにしたキャラであることは最近ではよく知られている。『BTTF2』では惨めな老後を送っていた老人ビフがスポーツ年鑑なるものを過去の自分に渡して賭博で大儲け、未来を自分の都合の良いようにバラ色改変したわけですが、80年代テーマの映画でもあるわけだし『BTTF2』を下敷きにしたと思しき『WW84』では謎の魔法アイテムがスポーツ年鑑の代わりになる。
なんでもこの魔法アイテムは願いを一度だけ叶えてくれる代わりに何かを奪うらしい(そこらへん説明が曖昧でよくわからん)。もちろん破産寸前のマックスは起死回生の策としてこれを奪うのだが、その使い方が実にトランプでシビれる。「俺をお前にしてくれ!」。超パワーの怪人にしてくれとかめっちゃ金くれとかじゃないのです。自分をジーニーの如しお願い魔人にしてしまう。なぜか。たぶんマックスさん、自分が叶えたいお願いがわからなかったんでしょうね。
叶えたいお願いがわからないほどの中身のなさ。アメリカ政治のトリックスターたるトランプの強さはまさしくそこにあるわけで、トランプは発言が一貫しないし嘘なんか平気でつくし場当たり的だから思想信条や目指すものなんかなにもないんだろうというのはリベラル派が叩きネタにするところですが、その中身のなさが支持者にとっては自分の声を代弁してくれる器として魅力的にさえ映る。リベラルのエリートどもが無教養な貧乏白人の声なんか代弁できるわけがない。オバマ(とその路線に乗ったヒラリー)には中身があるからその中身が地方の貧乏白人の声を弾いてしまう、というのはいみじくもマイケル・ムーアが2016年の大統領選の際にトランプ勝利の理由として指摘したことであった。
でもトランプならやってくれる。不法移民なんか追い出してくれとお願いすればたとえ実現不可能でも壁の建設を約束してくれる。エルサレムをイスラエルの首都にしてくれとお願いすればパレスチナの反発は不可避でもそんなものは無視して承認してくれる。俺たちの大統領が選挙で負けるわけはないとお願いすれば、それに応える形で選挙不正を「真実」にしてくれるのだ。
そこに何らかのビジョンや一貫性があるかと言えばあるようには思えないし、その結果世界がどうなるか考えているようにも思えないけれども、そんなものはトランプはもとよりトランプ支持者でさえ求めていない。トランプが空っぽである限り、誰でも自由にその巨大な権力に願望を投影することができるのだ。もちろんトランプを悪魔として糾弾しようとするリベラルもその例外ではないわけで、「トランプ大統領は悪魔です!」というお願いはトランプを悪魔的に強くするだけだろう…というのは『WW84』を観ればまぁわかりますよね。
さて映画の中のトランプことマックスさんは巨大な力を手に入れたもののその力で何をすればいいのかよくわからない。このへんの自分の力に自分で怯えながら次第に力の使い方に目覚めていく下りは最高であった。このね『ダークナイト』のジョーカーから根性とカリスマ性を抜いた感じね。俺こういうヘタレた悪党めちゃくちゃ好きなんですよ。ワンダーウーマンの襲撃から逃げるときの表情を見よ! 無様で弱々しくて全く尊敬できるところがなくて、でもどんなスーパーヒーローよりも強力な能力をその卑俗で空虚な存在の内に秘めているというこのニヒリスティックな魅力。
これは応援するね。100%トランプを応援してしまいます。だって痛快じゃないですか、どうせ最初っから強いワンダーウーマンをこんな情けないオッサンが舌先三寸で窮地に追い込むんですから。文字通り血反吐を吐きながらトランプは人々の「こんなはずじゃなかった」お願いを叶えていく。こんな俺のはずはない。本当の俺はもっと才能があって、もっと金があって、もっと女にモテて、もっと、もっと、もっと…こうして世界が願望と妄想の形作るポスト・トゥルースで覆われるとこれはもうトランプの独断場。願望が願望を生み妄想が妄想を呼ぶ。トランプはますます強くなって誰もがトランプに縋るようになる。
ビッグ・ブラザーの誕生は加速主義的終末の到来を意味した。ある支持者から「偉大になってください」のお願い(原語ではグレートとかなんとか言ってるんだろうか?)を受けたトランプは全人類のお願いを叶えるために劇中の表現で「スターウォーズ計画によく似た」究極兵器を使用するまでになる。米ソ全面戦争が始まった。現実の分断が始まった。その怒濤の壊れっぷりが実に壮観であったのでワンダーウーマンの邪魔さえ入らなかったらなぁ…とか思ってしまう。
どうせみんなワンダーウーマンが勝つことは知ってると思うのでもう書いてしまうがトランプの偉大なる野望は残念ながら頓挫するのでした。その始末の付け方はこの監督はやっぱワンダーウーマンにかこつけてトランプ風刺がやりたかっただけなんじゃないの説を裏付けるもので、中身がないがために人々の願望の受け皿となって、中身がないがために人々の願望で内面の空虚を埋め合わせていた道化師としてのトランプも、最後には自分が心から望むものにようやく気付く。これが何についてのお話かといえば、突然巨大な権力を手にしてしまったトランプ(的な)の困惑と成長を描いたヒューマンドラマだったというわけです。
それはあり得たかもしれないもう一つの1984年で、現実にはそうならなかったからバイデンが「不正に」勝利したアメリカとトランプが「本当は」勝利したアメリカに『高い城の男』よろしくアメリカが分裂してしまったポスト・トゥルースな2020年に我々は生きているわけですが、まぁそう考えるとこのキラキラに誇張されたドールハウスみたいな80年代も真実と願望の虚実皮膜の表現のように思えて、なんか、この時期に公開されたことも含めて皮肉が深いなぁみたいな。
なにせ映画の中でトランプと戦うワンダーウーマンを演じるのはシオニストとして知られるガル・ガドットなわけですから。もしガドットの前にマックスが現われたら劇中のエジプトの人みたいに「エルサレムから異教徒を追い払ってイスラエルの首都にしてください」ってお願いしたかもしれないんだよ。最高じゃない?
※それにしてもDC映画らしくなんだかとても歪な映画だった。サブヴィランのパンサー女とか無理にストーリーに絡ませなくてもとか思ったよね。
※※あとですねトランプの能力をガチで信じてる人も出てくるんですけど大抵の人は信じてなくて冗談で「じゃあ異教徒排除してくれや」とか言うっていうのがトランプ現象をよく捉えている感じでイイんですよ。それで実際に叶っちゃってみんな焦るっていう。
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こういう形で『BTTF2』のイメージを借用する映画っていうのは他にないんじゃないすかね。
>>「真面目というのはつまり作品を現実社会や私事から切り離して作品単体として観たり評価するということで…」
>>「なんかそういう感じで作品の解釈材料を作品の中で描かれたものだ
けに限定しようとする純粋主義的な風潮があるじゃないですか。」
3年ほど前の記事になりますが、この風潮をとても的確に言語化されていると思います。
話が少しそれるのですが日本のアニメ漫画オタク界隈だとこれが一種の規則になっており、「意識高いもの嫌いだぞ」系のオタクまでその規則を尊んでいて、それになんとなく違和感を感じていたのですが、この記事を読んでなぜ違和感を感じるのか分かりました。
真面目すぎるし固すぎるし、作者や作品というものを世俗から切り離して考えすぎなんですよねそういうのって。ある種の神聖化というか。
そうなんですよ、もっと自由に作品を見ればいいのにな〜って思うんですけど、作品や作者を神聖視してしまってそれができない。そんな鑑賞態度は逆に作品にとって失礼じゃないかとさえ思います。